僕の妻の経験談!これがリアル「引き寄せの法則」

こんにちは、森翔吾です。

今日は僕の妻がドバイで
一度だけ本気でやってみた、

「日本の桜を引き寄せる」

という小さな願いが、

8年かけてとんでもない形で
回収されるまでのお話です。

一見すると妻の個人的な物語ですが
この「小さな願い」が火種となり
僕自身の人生、

具体的に言うと、

ビジネスで背負った
1,200万円の借金からの
V字回復のタイミングや、

ベトナムでの妻との出会い。

そして、

コロナ直前のロシア移住といった
全ての重要な出来事。

それらは偶然とは思えないほどに
絡み合っていたことが
今になってわかります。

もし僕たちの人生が
ほんの少しでもタイミングがずれていたら、

今の家族の姿も、

あなたが今読んでいるこのブログも
YouTubeでの発信活動も
全てが存在してなかった。

僕たち夫婦の出会いから結婚
ロシア移住、子どもが生まれて
家族で日本の桜を見る。

そこまでを振り返ると
どう考えても、

「偶然にしては出来すぎだろう」

という出来事が
いくつも重なっているんですよね。

ただ、

「引き寄せの法則」と聞くと
宇宙エネルギーや波動といった、

どうしてもスピリチュアル寄りの
香りがすると思います。

僕自身、

そうした見えない力を盲信したり
頼り切ったりするタイプじゃありません。

この記事では、

そうした部分をいったん横に置き
誰もが共感できる「人生の話」として
僕と妻の裏側のストーリーを語っていきます。

僕のスタンスはこんな感じで、

見えない力は間違いなくあると思う。
でも、盲信はしない。
都合のいい部分だけ安心感として使う。

それくらいの
ちょっと引き気味だけど
完全には否定しない。

くらいの温度感です。

この記事では、

「妻がやった引き寄せ」→「そこから起きた偶然の連鎖」→「日本で桜を見る夢を叶える」

という流れを
ひとつの物語として追いながら
引き寄せを、

「願いがポンと叶う魔法」

ではなく、

「プロセスとしての駒並べ」

として見ていく視点を
共有できればと思います。

 

目次

そもそも「引き寄せ」って何?

引き寄せの詳しい説明は
YouTubeや本に山ほどあるので
ここでは僕なりの理解だけ
サクッと共有します。

僕の理解では
引き寄せって、

「意識を向けたものに、人の行動や選択が自然と寄っていって、結果としそれっぽい現実になる」

くらいのものです。

自分が意識する→行動が変わる→その結果、到達

こんな感じ。

宇宙が即座に願いを叶えてくれる
魔法ではないし絶対に、

「ソファでゴロゴロしながら
願っているだけで年収1億円!」

みたいな都合のいい話でもありません。

もっと地味で
もっとゆっくりで
もっと人間くさい。

どこに意識を向けるかで、

選ぶ言葉が変わる。
選ぶ人が変わる。
選ぶ場所が変わる。

その積み重ねの結果として、

「あれ、なんか叶ってるな」

と振り返って気づくようなもの。

今回の話では、妻が、

「日本の桜」

に意識を向けた結果
そこから先の人生の流れが
どう動いたのか、

その具体例を
メインにしていきます。

妻の「日本の桜を引き寄せたい」が火種になった

まずは、妻サイドの話から。

妻はロシア出身です。

若い頃からバックパックひとつで
世界を飛び回っていて、

・米国
・ヨーロッパ
・中東
・東南アジア
・南米
・アフリカ

トータル約30カ国を
旅してきました。

ただそんな妻にも
「空白地帯」がありました。

それが、

東アジア・極東エリアです。

日本、中国、韓国あたりですね。

そこだけはなぜか
未踏のままだったんです。

ちなみに、

妻はロシア人なんですが
ロシアって日本好きな人が
結構います。

ロシアに来てから知って
びっくりしました。

アニメやゲーム、車や家電
日本人の礼儀正しさなんかも含めて、

「日本=ちゃんとしている」

というイメージを持っている人が
少なくありません。

妻もまさにその1人で
日本に対して、

「いつか行ってみたいな」

という、漠然とした憧れを
ずっと持っていました。

そんな妻が、あるとき
ドバイの石油会社で
働くことになりました。

そこで出会ったのが
日本企業です。

ドバイやアラブ圏では
ビジネスの場でも時間に
ルーズなことがよくあります。

約束の時間に30分~1時間も
遅れてやって来るなんていうのは
日常茶飯事です。

でも、

日本企業の担当者は違った。

時間きっちりにオフィスに来る。
きちっとしたスーツ姿。
丁寧なあいさつ。
約束はきちんと守る。

そのギャップが妻にとっては
かなり衝撃だったみたいです。

ここで妻の中に、

「日本=信頼できる国
ちゃんとしている人たち」

というイメージが
強く刻まれます。

もともとあった漠然とした憧れが、

「いつか本当に行きたい」

という具体的な願望に
近づいていったタイミングでした。

そのあと妻は
ドバイの不動産会社の
営業職に転職します。

そこで、あるキャンペーンが
発表されました。

「営業成績の上位3人に、旅行と長期休暇をプレゼントします」

1位:豪華旅行+長期休暇(遠くまで行ける)

2位:近場の旅行+3泊4日の休暇

3位:現金(約10万円)

この瞬間、

妻の中でひとつの願いが
ハッキリと形になります。

「日本の桜を見に行きたい」

ここで妻は
この時期にたまたま知った、

「引き寄せの法則」

というものを
試してみることにします。

偶然に訪れた本やで
英語の書籍が置いてあったらしい。

その本の内容を元に
実践したのですが、

・日本の桜の写真を、毎日のようにスマホで眺める

・日本に行ったことがある同僚から、体験談を聞きまくる
・自分が日本に行っているところを、具体的に想像する

キャンペーンで1位を取って
完全に「次の旅行は日本だ」と
心の中で決めていたんですね。

それから1ヶ月後。

現実はそんなに
甘くありませんでした。

キャンペーンの結果、妻は3位。

もらえたのは現金10万円。

でも、

1位、2位を取ったのは
経験10年以上のベテランの営業マン。

しかもライバルは100人もる状況。

ぶっちゃけ、

入社して数年の新人レベルで
3位でも凄いことでした。

ただ、

1位は取れなかったので
日本旅行は諦めました。

この時点では
妻が叶えたいと思った、

「日本の桜を見たい」

という願いは叶っていない。

妻の感覚としても、

「ま、そんなうまくはいかないよね」

くらいで、引き寄せのことは
いったんフェードアウトしていきます。

ここまでが、

「引き寄せ=火種」

のパートです。

面白いのはこの
叶わなかった願いが、

ここから先のプロセスに
じわじわと効いてくるところ
なんですよね。

偶然の連鎖①:半年後、ベトナムで日本人と出会う

その「火種」が半年後の
妻の次の行動を無意識のうちに
選ばせていたのかもしれません。

キャンペーンから約半年後
妻は母親を連れて
タイ・プーケット旅行を計画します。

その行程の途中で
まだ行ったことがない
ベトナムに寄ることに。

ちなみに、

2月という時期や
寒さから逃れたい
ロシア人の母親の希望もあり、

このときは日本は
旅行の候補から外れていました。

今回ベトナムへ寄ったのは
ただ単に行ったことが
無い国だったから。

そして旅行当日。

そこで登場するのが、当時の僕です。

その頃の僕はすでに
サラリーマンを辞めて
自分で会社を経営していました。

ただ、

順風満帆どころではなく
一度大きな詐欺に遭って…

-1,200万円の借金も抱えていて。

そこから、

僕が「神セラー」と読んでいる
取引先との出会いで
ビジネスがV字回復。

この神セラーとの出会いは
まさに借金というどん底から
脱したいという強い意識が引き寄せた
最初の大駒だったと感じています。

やっとのことで
また海外に飛べるだけの余力が
戻ってきたタイミングです。

そんな状況で僕は
彼女と偶然出会いました。

「私はロシア人だけど
ドバイで働いているのよ。
10年滞在してる。」

「僕は日本に住んでるけど
今はサラリーマンを辞めて
自分でビジネスやってる。」

的な会話を交わしました。

その時はお互いの
Facebookを交換し別れました。

ただね、その時
僕はあるものを持っていたんです。

それは、

「1ヶ月後のインド行きのチケット」

でした。

インドはドバイの海を挟んでお隣さんの国で
目と鼻の先。

つまり、

「また会いに行ける距離感の中」

にたまたま僕と
妻が入っていたわけです。

もし、妻があのときベトナムに寄り道していなければ?
もし、僕がまだ借金のどん底で、日本を出られる状況じゃなかったら?
もし、インド行きの予定がなかったら?

そう考えると、

「なんとなくそうなった」

と片付けるには
出来すぎな偶然に見えてきます。

でもこの時点で、

妻の「日本に行きたい」という願いは
まだ現実にはなっていません。

ですが、

日本人との出会いという形で
間接的に動き始めていたのかな
と今では思います。

偶然の連鎖②:遠距離恋愛がちゃんと続いた理由

旅行先でたまたま出会った外国人と
恋愛関係になってその後も続いていく。

こういうことって一般論としては
かなりレアケースですよね。

今までも一人旅をしていて
見ず知らずの女性と
会話して連絡先を交換したことは
少なからずありました。

たぶん、

海外を旅したことがある人なら
普通に経験したことがあるかと。

なので、

今回もどうぜそのパターンと
薄々感じていました。

しかも僕たちの場合は、

・日本とドバイ
・ロシア人と日本人
・言葉の壁、文化の壁、価値観の違い

と、ハードモード要素
てんこ盛りでした。

普通に考えたら、

「連絡はちょっと続いたけど
自然消滅しました。」

で終わっていても
全く不思議じゃない距離感です。

それでも関係が続いた理由を
改めて掘り下げてみます。

まず、妻側の視点で見れば
あの『日本の桜を見たい』という意識が
無意識に日本人である僕との繋がりを
維持させたのかもしれません。

そして僕側にも
この2つの要素が重なりました。

さっき書いたこととかぶりますが、

①僕のビジネスがV字回復した直後で
経済的な余力があり年に何度も
実際に会いに行くことができたこと。

②1ヶ月後にインドに飛ぶ予定があり
そこからドバイに寄るルートが
組みやすかったこと。

もし出会いのタイミングが
ズレていたら結果は
まったく違っていたはずです。

例えば、

僕が借金ピークの時期に
二人が出会っていたら?

そもそも海外に飛ぶお金がないので
遠距離を維持することは
ほぼ不可能でした。

たぶん、

サラリーマン時代の一人旅で
出会っていたとしても
時間的に余裕が無く、

再会は「夢物語」
で終わっていたでしょう。

そう考えると、

「なんであのタイミング
だったんだろう?」

という疑問と同時に、

「タイミングまで含めて
うまく組まれている」

と感じざるを得ない部分があります。

偶然の連鎖③:ロシア移住とコロナのギリギリのすべり込み

その後、僕らは結婚し
本格的にロシアへ移住しました。

当時、長女ソフィアが
生まれたばかりだったのですが、

妻が安心して出産や子育てに臨めるよう
ロシアに住む妻の母親のサポートを
受けられる環境を重視しました。

また、生活コストの低さも
重要な要素でした。

当時のロシアは本当に物価が安く
家計の負担を抑えながら
子育てに集中できる場所でした。

ちなみに、

これは2020年のことです。

言うまでもなく、

その数ヶ月後
世界はコロナで一気に
国境封鎖の方向に
動いていきました。

もし、

ロシア移住が3ヶ月遅れていたら
どうなっていたか?

ビザの手続きはストップ。

国境は閉まり、入国はほぼ不可能。

ロシアに住む未来は
かなりの確率で消えていたと思います。

実際、

「海外移住をコロナで断念した」

という話は
あちこちで耳にしました。

僕たち家族は
世界が閉じる直前に
ギリギリで滑り込めた側です。

このタイミングも
あとから振り返ると、

「よくここに間に合ったな」

と思います。

振り返ってみてすごく思うのは、

ロシアに住んでいたからこそ
現地のリアルな生活が
コンテンツになり、

ロシア人の親日感情に
触れる機会も増え、

そこからYouTubeなどでの
発信活動にもつながっていきました。

仮にロシアに住んでいなければ
Youtubeはやっていなかったと思います。

ということは書籍も出していないし
このブログだって書いてなかったでしょ。

=あなたもこのブログの記事を
今は読んでない。

ってことが言えるとすごく
不思議な感覚になりますよね。

とはいえ、

ロシアに移住したからといって
「桜を見る」という願いに
直接つながっている訳じゃないんです。

むしろ逆で、

ロシアに住んだことで
コロナの影響で4年間帰国できず
ずっと桜を見られなくなりました。

でも、

不思議なもので
人生の流れって直線じゃなくて
ぐねっと曲がりながら
思わぬところでつながるんですよ。

ロシアに移住したからこそ
あのYouTubeの一本が生まれ
その動画をきっかけに
ある視聴者との出会いが生まれ、

そこから今回の
「桜のラストシーン」
につながったんです。

ロシアで実感した「日本への好意」と、妻の昔の願いの伏線回収

ロシアで暮らし始めて
意外だったことのひとつが、

「日本人、めちゃくちゃ歓迎される」

という事実です。

街を歩いていると
たまに話しかけられます。

「どこの国の人?中国人?」

と聞かれて、

「日本人です」

と答えると、

「えっ、日本人!?めずらしい!握手して!」

と、目を輝かせて
言われたことが何度かあります。

年配の方から若い女の子まで
日本への好感度が本当に高いんですよね。

さっきも書きましたが
ロシアでは、

・アニメ・オタク文化
・高性能な家電
・日本車
・日本人の礼儀正しさ

 

こういったものが全部まとめて、

「なんか日本っていいよね」

というイメージにつながっています。

それを象徴するような光景が
モスクワの日本大使館にもありました。

桜の時期が近づくと
日本行きのビザを取りに来たロシア人で
行列ができて館内はほぼ満員状態になるんです。

僕も妻のビザを取りに行ったことがありますが、

「ここテーマパークの入場待ちかな?」

というくらい、ものすごい行列でした。

妻の「日本に行きたい」という気持ちは
ロシアのこういう空気の中で
育ってきたものなんだな
とあとから納得しました。

つまり、

妻にとって日本は
単なる観光地のひとつではなく、

「ちゃんとしている」
「信頼できる」

という感情がぎゅっと詰まった
ちょっと特別な場所だったわけです。

その妻がドバイで、

「日本の桜を見に行きたい」

と願った。

この願いは一度は不発に終わりますが
ロシアという舞台に移ってからも
ずっとどこかで
燻り続けていたのかもしれません。

8年越しの「桜の引き寄せ」回収シーン

ロシアに住み始めてから
約4年が経過します。

ロシアでの生活も少しずつ
安定していきます。

あるタイミングで、

「家族で日本に行こう」

という話が出ました。

久しぶりの日本。

子どもたちにとっては初めての日本です。

長かったコロナウイルスでの
入国制限がようやく解除されました。

そのとき妻が
何気ない感じでこう言いました。

「そういえば昔ね、日本の桜を見たくて
引き寄せやったことあるんだよ」

僕はそこで初めてここまで長々と書いた
その話を聞いたんですが、

「え、そんなことやってたの!?」

と、正直かなりびっくりしました。

時期的には3月。

桜のシーズンと微妙にかぶるか
かぶらないかのボーダーラインです。

「桜、見れるかな?どうかな?」

2人でそんな話をしながら
日本行きの準備を進めていました。

ただ、開花予想も微妙。

僕たちの滞在スケジュールもタイト。

あまり情報もなく、

「今年はちょっと時期が遅めでズレたかな」

と、半分諦めムードだったのを覚えています。

そんな状況で、日本滞在も終盤。

ロシアに戻る前日
街を歩いていたときのことです。

たまたまYouTubeの視聴者さんに
ばったり遭遇しました。

「いつも動画見てます!」

と声をかけてもらって
少し立ち話をしていたら
その人が何気なくこう言いました。

「あそこの公園、さっき通ったら桜咲いてましたよ。
無名なので誰もいないけど、地元の人はよく行きます」

そこは観光サイトにもほとんど載っていない
完全にローカルなスポットでした。

普通の旅行者はまず知らない。

住んでいる人か
地元の常連さんしか
知らないような場所です。

半信半疑のまま
そこへ行ってみました。

行ってみたら、まさかの満開。

風が吹くたびに
桜の花びらがふわっと舞う。

観光ポスターみたいな
できすぎなくらいの景色でした。

「マジか!?何故ここにだけ桜が?
しかも満開!!!」

妻は多くを語らなかったけれど
表情を見ればわかります。

桜の下で少しだけ目を細めて
空を見上げていた顔が
なんか全部物語っていました。

「ああ、これはあのときの願いが
ここで回収されているんだな」

冷静に因数分解してみると
このシーンもいくつもの駒が
重なっています。

ロシアに住んでいなければ
YouTubeは始めていない。

YouTubeをやっていなければ
視聴者さんに会っていない。

視聴者さんに会っていなければ
そのローカルな公園の情報も知らない。

結果として、

あの満開の桜を見ることもできなかった。

ドバイの会社のキャンペーンで、

「3位+10万円」になった
あのときの妻。

そのときは、

「日本に行けなかった自分」

だったのに、8年越しに、

家族と一緒に、地元の人しか知らない
満開の桜を見る。

という形で、願いが回収されました。

これを「ただの偶然」
と片付けることもできます。

でも、

「願い→火種→プロセス→結果」

という流れで眺めてみると
いろんなピースがきれいに
ハマっているようにも見えるんですよね。

このストーリーから伝えたいこと

最後に、この話を通して
いちばん伝えたいことをまとめます。

引き寄せは、

「願えばすぐ叶う魔法」

ではありません。

実際の流れはもっと地味で
もっと人間くさくて
もっと時間がかかるものです。

妻が「日本の桜を見たい」と強く思い描いた。

それが火種になった。

そのあとの人生の中で、

・仕事
・出会い
・旅行
・移住
・YouTube

一見バラバラに見える出来事が
無数の「偶然のような必然」
として駒のように並んでいった。

そして8年後、

家族で満開の桜を見るという形で
静かに願いが回収された。

願いは、必ずしも
「その場で」「その形」
で叶うわけではない。

でも、

別ルート・時間差・想定外の形で
叶うことがある。

だからこそ、

今この瞬間に起きているひとつひとつの出来事や、人との出会い、微妙なタイミングを、あまり雑に扱わないほうがいいんじゃないかな

こう思います。

「あのとき3位で豪華な旅行では無く
10万円しかもらえなかったキャンペーン」

も、

「あのときふと決めた
ベトナム旅行の寄り道」

も、

「あのとき何気なく撮ってアップした
一本のYouTube動画」

も。

そのときは意味がわからなくても
あとから振り返ると、

「あ、あれもちゃんと一駒だったんだな」

とつながる瞬間が来るかもしれません。

そして、

ここまで読んでくれている時点で、

「なんとなく流されて生きられればいいや」

というタイプではなくて、

「このままの延長線だけで終わりたくない」
「もう少し、自分の人生をちゃんと握りたい」

と、どこかで感じている側の人だと思います。

その「違和感」とか
「もっとこうなりたい」という感覚こそが、

火種になる願いの原型です。

向上心って、

ガツガツした野心だけじゃなくて

・このまま終わりたくない
・もうちょっとマシにできる気がする
・本当はこういう景色を見てみたい

みたいな、静かなモヤモヤの形で
心のどこかに居座り続けるものだと思うんですよね。

その火種があるから、

本屋でたまたま手に取る本が変わるし
フォローする人が変わるし
休みの日に開くサイトが変わる。

外から見たら「誤差」にしか見えない選択が
何年かかけて並んでいくと、

「気づいたら、全然ちがう場所に立っていた」

みたいなことが普通に起きる。

今回の桜の話も
そういう、

「向上心を捨てなかった人の
時間差での回収」

の一例だと思っています。

だからもし今、

・もうちょっと環境を変えたい
・今の働き方のまま終わるのはイヤだ
・いつかこういう景色を見たい

そんなふうに感じていたとして、

でも、

具体的なゴールまでは
まだ言葉にできていないとしても。

その感覚自体がもうすでに、

「最初の一手目の駒」

なんだと思います。

大事なのは、

その火種をなかったことにしないで
どこかにそっと置いておくこと。

そして日々のどこかで、

・一行メモを書く
・調べてみる
・予約を入れてみる
・誰かに話してみる

みたいな、小さな一手を
ちょこっとだけ前に出しておくこと。

それが数年後ふと振り返ったときに、

「こういう形で返ってくるのか」

と笑えるような、

そんな引き寄せとの付き合い方が
いちばん現実的なんじゃないかな
と思っています。

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