「汚いから捨てなさい」が子供の才能を殺す…6歳の娘に人生観をぶっ壊された話

森翔吾です。

今日は、

僕自身が6歳の娘から教わった
ある、

「大切な気づき」

について
お話しさせてください。

普段ブログでは、

「思考法」や「ビジネス」

について偉そうに
語っている僕ですが…

実生活では
子供の純粋な行動に
ハッとさせられることばかりです。

実は先日、

娘のある行動を通して
僕自身がいかに、

「大人の常識」

という色眼鏡で
世界を見ていたか。

痛感させられる
出来事がありました。

ということで
今日のテーマは、

「一見価値がないものを
宝物に変える視点」

についてです。

もしあなたが今、

「子供の将来がなんとなく不安」

「今の仕事や生活に
行き詰まりを感じている」

そんなふうに、

言葉にできないモヤモヤを
抱えているのなら。

今日の記事が、

その凝り固まった心をほぐす
きっかけになれば嬉しいです。

読み終わる頃には、

あなたの足元に転がっている
何気ない日常が少しだけ
輝いて見えるかもしれません。

 

目次

第1章:親心と、変化の激しい時代を生き抜く「2つの武器」

親であれば誰でも
子供の幸せを願います。

特に、

今のこの目まぐるしく変わる
世界情勢を見ていると、

ふと、不安になることは
ありませんか?

物価は上がり続け、
海外では争いが絶えず、

AIが人間の仕事を
どんどん代行していく。

「いい大学に入って
いい会社に入れば安心」

そんなかつての「正解」が、

今の時代には
通用しなくなっていること。

それは、

親である僕たちが一番肌で
感じていることかもしれません。

「将来、この子は笑顔で
生きていけるだろうか?」

「自分の力で
道を切り開けるだろうか?」

だからこそ
僕ら夫婦には、

子供たちに持たせたい
大切にしている、

「2つの武器(教育方針)」

があります。

武器①:世界と繋がる「言語」

一つ目は、シンプルです。

「言葉」です。

英語を最優先に。

そして現地のロシア語と
僕の母国語の日本語。

別に、トリリンガルの天才を
育てたいわけじゃありません。

テストで満点を
取らせたいわけでもない。

ただ、

「日本語しか話せない」

というのはこれからの時代
少しだけ世界が
狭くなってしまうかもしれない。

もし、

日本という場所に頼れなくなった時。

世界中どこへでも行ける。
誰とでも手を取り合える。

そんな、

「自由へのチケット」

だけは、親からの贈り物として
何としてでも持たせてやりたいのです。

武器②:努力を無効化する「フロー状態」

そして、もう一つ。

僕が言語以上に
何よりも大切にしているのがこれです。

「時間を忘れて没頭できる
『何か』を見つけること」

心理学でいう「フロー状態」。

いわゆる「ゾーン」に
入った状態です。

例えば、

大谷翔平選手を見てください。

彼は、嫌々「努力」を
しているでしょうか?

いいえ、きっと違います。

彼は、息をするように野球をし
ご飯を食べるように
トレーニングを楽しんでいます。

「さかなクン」もそうです。

彼は、有名になりたくて
魚の勉強をしたわけではありません。

ただただ魚が好きで
絵を描いたり調べたりしていたら、

いつの間にかそれが
「誰にも真似できない仕事」に
なっていた。

彼らに共通しているのは、

「努力を努力と思っていない」

ということです。

これは不思議なもので、

「歯を食いしばって頑張る人」は
「遊ぶように楽しんでいる人」

には、なかなか勝てないんです。

だから僕は、

目を皿のようにして
子供たちを観察し続けていました。

「この子の目が輝く瞬間はいつだ?」
「時間を忘れて熱中するものは何だ?」

それを探し出し、
環境を与え、
ひたすら応援してあげること。

それが親から子へ贈れる
最高のギフトだと信じているからです。

でも。

子育てというのは
親の思い通りにはいかないものです。

長女ソフィア(6歳)が
見つけた「それ」は、

僕の想像を遥かに超える
「理解不能なもの」
だったからです。

 

第2章:ポケットの中の「大量の石ころ」

それは、数ヶ月前のことでした。

幼稚園から帰ってきたソフィアの
ダウンジャケットのポケットが
異様に膨らんでいるんです。

「ん? お菓子でも入ってるのかな?」

そう思って覗き込むと、

中から出てきたのは
大量の「石ころ」でした。

綺麗な宝石?
珍しい化石?

いいえ、違います。

ロシアの幼稚園の庭の
砂場の中に混じっている、

ただの、グレーの、小石です。

500円玉くらいの大きさの
少し丸みを帯びた
どこにでもある石。

「……ソフィア、これどうしたの?」

「拾ったの!可愛いでしょ?」

彼女は、

まるでダイヤモンドを
見つけたかのように
目をキラキラさせて言いました。

その日から、

我が家に「石拾いブーム」が
到来しました。

毎日、毎日。

来る日も、来る日も。

彼女はポケットが
パンパンになるまで
石を詰め込んで帰ってくる。

玄関には、

日に日に石の山が
築かれていきます。

普通なら、ここで親は困ります。

「汚いから捨てなさい!」
「洗濯機が壊れちゃうでしょ!」

実際、妻も最初は
「これ、どうするのよ…」
と、苦笑いしていました。

でも、

僕らは夜
夫婦で話し合いました。

「待てよ」

「確かに大人から見ればただの石だ。
でも、彼女にとっては?
これが、彼女なりの
『フロー状態』なんじゃないか?」

何千個という石の中から、

「これだ!」

という一つを選び出す選球眼。

寒空の下、

手がかじかむのも忘れて
没頭する集中力。

ここで「やめなさい」と言うのは、

大谷翔平選手の親が、

「野球なんて将来何の役にも立たない」

と言ってバットを取り上げるのと
同じことなんじゃないか?

だから、僕らは決めました。

「気が済むまでやらせよう。
バケツがいっぱいになったら
川沿いに返しに行けばいい」

そうして、

謎の石拾いは1ヶ月、2ヶ月と続き
次女のアマヤまで真似をして、

我が家はちょっとした
採石場のような状態になりました。

でも。

僕の心の中には常に
「ある迷い」
がありました。

「……で、これが一体何になるんだ?」

野球ならプロ選手になれる。
ピアノなら音楽家になれる。
プログラミングならエンジニアになれる。

でも、

「石ころ拾い」って……?

これをずっと続けたとして、

彼女の未来はどうなるんだろう?
社会で役に立つんだろうか?

「もっと他に、ためになる趣味が
あるんじゃないか?」

そう思ってしまう自分は、

親として器が小さいんじゃないか?

そんなふうに
自問自答する日々でした。

そんな答えの出ない
モヤモヤを抱えたまま
ロシアに厳しい冬が訪れました。

一面の雪景色。

地面は厚い雪におおわれ
物理的に石を拾うことは
できなくなりました。

彼女のブームは、

自然の力によって
強制終了しました。

僕は正直
少しホッとしました。

「ああ、一過性のものだったんだな」
「これでまた、普通の遊びに戻るかな」

そう思っていました。

でも、

物語には続きがあったんです。

僕が「ただの石」
だと思っていたそれは、

場所を変え、形を変え
とてつもない、

「価値あるもの」

に生まれ変わって
僕の目の前に帰ってきました。

 

第3章:LCCの重量制限と、少女の「決断」

つい先日のことです。

妻とソフィアが
南ロシアへ二人旅に出かけました。

ジョージアとロシアに挟まれた
アブハジアの方へ。

気温は20℃以上。

まだ暖かく
美しい海が広がる場所です。

そこで、出来事は起きました。

海岸を歩いていた時、

またソフィアの
「収集癖」のスイッチが
カチリと入ってしまったんです。

海岸沿い、

波に洗われて丸くなった
白くてスベスベした綺麗な石。

彼女はまた
夢中で拾い始めました。

ただ、今回は違いました。

隣にいた妻が
ある「提案(プロデュース)」
をしたんです。

「ねえソフィア。
その白い石に
お絵かきしてみない?」

実はソフィアは、

石拾いと同じくらい
「お絵かき」が好きでした。

画用紙に向かうと
これまた何時間でも
描き続ける子なんです。

石拾い(収集) × お絵かき(表現)

この2つのフロー状態が
掛け合わさった瞬間、

化学反応が起きました。

「やる!」

彼女は、

家から大切に持ってきていた
マジックペンを
カバンから取り出すと、

拾った石に猛烈な勢いで
絵を描き始めました。

大好きなハローキティ。
クロミちゃん。

そして、

パパ(僕)、ママ、
次女のアマヤ、
そして自分の顔。

ただの無機質な冷たい塊が
彼女の体温と、感性と
愛情を吸い込んで、

世界に一つだけの、

「作品」

へと昇華されていきました。

そして、家に戻る日。

空港での出来事を聞いて
胸の奥が熱くなりました。

彼女たちが乗ったのは
LCC(格安航空会社)。

知っている人も多いと思いますが
LCCの手荷物制限は
異常にシビアです。

制限は、たったの「7kg」

今回は約10日間の旅でした。

着替え、iPad、
お絵かきセットや絵本、
勉強道具。

これだけで、もう6kg以上です。

ひろった石を全部詰め込むと
明らかに重量オーバーでした。

「ソフィア、全部は無理だよ。
減らさないと飛行機に乗れない」

チェックインカウンターの前。

後ろには長い行列ができていて、
グランドスタッフの女性も
「早くしてください」という目で
こちらを見ています。

焦る大人たちとは対照的に、

ソフィアは空港の硬い床に
ガラガラと石を広げました。

そして、

まるで宝石鑑定士のような
真剣な眼差しで、一つ一つ石を握りしめ、

「……これは、置いていく」
「……これは、ママの分だから絶対いる」

と、ブツブツ呟きながら
命の選別を始めたのです。

ちなみに、

空港の土産物屋には
子供が喜びそうな
甘いチョコレートやおもちゃが
たくさん並んでいます。

でも、

彼女はそれらに目もくれず
真剣な顔で石を選んでいます。

「キティちゃんは置いていく。
クロミちゃんも、ごめんね」

彼女が泣く泣く手放し
最後に手元に残したのは、

「家族4人の顔」が描かれた
4つの石だけでした。

「パパと、ママと、アマヤと、私。
この4つは絶対に持っていくの。
家族へのお土産だから」

その結果、

なんとかギリギリ
制限内に収まりました。

彼女は、

自分の荷物の
最後のなけなしの隙間を、

お菓子でもおもちゃでもなく
この「家族のための石」だけで
埋め尽くしたのです。

7kgという
あまりにも狭き門。

その極限の選択の中で、

彼女にとって
「最も価値が高い」と
判断されたもの。

それが、

かつて僕が
「何の価値もない」と思っていた
ただの石ころだったんです。

 

第4章:僕のデスクに飾られた「宝物」

帰宅した彼女から、

「パパ、はい!お土産!」

と渡されたその石。

そこには、

僕の似顔絵が描かれていました。

マジックで描かれた黒い点と線。

なんだか楽しそうな
おどけた表情。

不器用だけど
迷いのない力強い線です。

手に持つと、ズシリと重い。

その重さは、

彼女が自分の大好きな
お菓子を選ばず、

僕に届けようとしてくれた
「想いの質量」
そのものでした。

正直、泣きそうでした。

空港で売っている
どんな高級なクッキーよりも
どんなブランド品よりも、

今の僕には何よりも
価値があると感じました。

そこで僕は、

ハッと気づかされたんです。

「価値というのは
元からそこにあるんじゃない。
人が作るものなんだ」

と。

元々は、

ただの足元に転がっている
0円の石ころです。

誰からも見向きもされない
無価値なものです。

でも、

彼女がそこに、

「お絵かき(情熱)」

を注ぎ込み、

「家族への想い(ストーリー)」

を乗せた瞬間。

それは、

代替不可能な一点物の
宝物に変わりました。

僕は今まで、

「石拾いなんて役に立たない」
「時間の無駄だ」

と、心のどこかで
馬鹿にしていました。

でも、

本当にそうでしょうか?

僕の視野が
狭かっただけじゃないのか?

気になって、

僕はPCを開き
GoogleとYouTubeの検索窓に
言葉を打ち込んでみました。

「Stone Art」
「Rock Painting」

エンターキーを叩いた瞬間、

僕の目の前に広がったのは……

僕の常識をあざ笑うかのような
「色鮮やかな世界」でした。

画面を見て、
僕は言葉を失いました。

数千万回も再生されている
YouTubeの映像も発見!

■ 事例1:ストーン・ペインティング
河原の石に、アクリル絵の具で
リアルな猫やフクロウを描く動画。
再生数は300万回超え
その作品はアートとして評価され、
世界中の人が買い求めています。

■ 事例2:石磨きの世界
ただの泥だらけの石を拾ってきて、
何週間も磨き続け、
宝石のようにピカピカにする動画。
再生数は驚異の1000万回超え
コメント欄は世界中の言語で
「癒やされる」「美しい」「感動した」
と絶賛の嵐。

「すごい……」

画面を見ながら、
僕は自分の頬が熱くなるのを
感じました。

恥ずかしかったんです。

僕は普段「ビジネス」だの
「価値創造」だの
偉そうなことを語っていますが、

目の前にある
「石ころ」の価値には
全く気づけなかった。

誰かの情熱と
インターネットがあれば
仮に足元のゴミだって、

1000万人が感動する
エンタメになりえる。

その事実を、

まざまざと
見せつけられた気がしました。

もしYouTubeがない時代だったら、

これらは単なる「変わった趣味」で
終わっていたでしょう。

近所の人に
「すごいね」と言われて終わり。

それ以上の広がりなんて
なかったはずです。

でも、

今は違います。

テレビや新聞といった
大手メディアじゃなくても
個人が発信できる時代です。

だからこそ、

個人のニッチな「好き」が
そのままエンターテイメントになり、

誰かを幸せにする仕事にもなる。

僕ら夫婦は、以前から
「石拾いも続けさせよう」
と決めてはいましたが、

心の奥底では正直
懐疑的でした。

「こんな石ころを拾って
一体何になるんだろう?」

「将来、何の役に立つんだろう?」

そんな不安が
常にありました。

でも、

この「個人の可能性」を
目の当たりにして
自分の浅はかさに気づきました。

もしあの時
僕らの狭い常識で、

「汚いから捨てなさい」
「保育園から石を持ってこないで!」

と注意して、

娘の「没頭(フロー状態)」を
強制終了させていたら……。

これからの時代に最も必要な
「個人の力」の芽まで
握りつぶしていたかもしれない。

自分の無知と傲慢さに
親として恥ずかしくなりました。

 

最終章:ポケットの中の「可能性」を信じる

もし、あの時。

僕ら夫婦が、

「そんな汚いもの
家に持ち込まないで!」

と、ソフィアの手から
石を取り上げてしまっていたら。

今、僕の手元にある
「パパの顔が描かれた石」は
この世に生まれませんでした。

彼女の、

「選ぶワクワク」も
「描く喜び」も、

そこでプツンと途絶え、

もしかしたら彼女は、

「自分の『好き』を信じられない大人」

になってしまっていた
かもしれません。

僕たちは親として
子供の将来を心配するあまり、

ついつい「安全な正解」を
先に渡そうとしてしまいます。

「それは将来、役に立たないよ」
「もっとためになる勉強をしなさい」

でも、

自戒を込めて言わせてください。

価値観が激変する
これからの時代。

何が「無駄」で
何が「宝物」に変わるかなんて、

大人の僕らに
判断できるはずがないんです。

さかなクンが
魚の絵を描き続けたように。

ソフィアが
石を拾い続けたように。

一見、無駄に見える
「夢中な時間(フロー状態)」
の中にこそ、

その人だけの才能の種が
静かに眠っています。

それを、

「常識」

という名のブレーキで
止めないであげてください。

親の役割、

そして誰かを導くリーダーの役割は
その行動を「矯正」することじゃない。

「へえ、面白いね。
じゃあ、これと組み合わせたらどう?」

と、海沿いでの妻のように
ちょっとしたヒント(プロデュース)を
投げかけてあげること。

そして、

たとえバケツ一杯の石ころでも、

「すごい量だね!頑張ったね!」

と、一緒になって
面白がってあげること。

あなたの子供が、

あるいはあなた自身が今
夢中になっていることは何ですか?

もしそれが、

他人から見て
「無駄」に見えることでも
どうか、やめないでください。

磨けば光る原石は
綺麗なショーケースの中ではなく、

泥だらけのポケットの中にこそ
隠れているのですから。

僕のデスクには今、

世界で一番価値のある
「石ころ」が飾られています。

僕は仕事に行き詰まるたびに
この石の笑顔を眺めては
自分にこう言い聞かせています。

「おい森翔吾。
お前の目は、曇ってないか?」

と。

それでは。

読み終えて、今どんなことを感じていますか?

(複数選択可能、直感でチェックしてください)

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