森 翔吾です。
昨日の夜、
たまたま
パソコンの中にある
過去の写真を整理していました。
そうしたら、
懐かしい写真が
次々と出てきたんです。
場所は、
ニューヨーク。
今から約8年前。
僕がまだ独身で、
バックパックひとつで
世界を放浪していた頃。
いわゆる、
自称、
「自分探しの旅」
というやつをやっていた時。
その写真を見ながら、
しばらくの間
ぼーっと考え事をしていました。
写真の中の僕は
世界の中心で笑っているけれど。
その「裏側」にあった感情は
決して明るいものだけじゃ
なかったな、と。
今日は
その時ふと思い出した、
あの頃の、
「弱かった僕」が抱えていた
「孤独と切望」について、
少し長くなりますが
正直に、
書き残しておこうと思います。
もし今あなたが、
表面的な成功や
自由なライフスタイルを
追いかけながらも、
ふとした瞬間に、
「消えない虚しさ」
を感じているなら。
今日の話はそんな
あなたのためのものです。
憧れの街、NYの「光」と「影」

この写真は、
当時僕が滞在していた
NYの建物の屋上から
撮ったものです。
「I ❤️ NYC」
という落書きと、
遠くに見える
マンハッタンの摩天楼。
青い空。
これだけ見れば、
「ああ、森さんは
昔から自由に世界を旅して、
最高な人生を送っていたんですね」
そう思われるかもしれません。
時期で言うと
2016年から2018年頃。
僕は2年間ほど、
世界中を放浪していました。
ロンドン、香港、シンガポール、
パリ、ドバイ、メキシコシティ……。
名だたる都市を巡りましたが、
やはり、
NYのエネルギーは別格でした。
街全体が「上」を目指している。
歩いているだけで
無理やりにでも
前を向かされるような、
そんな場所でした。
僕は年に3回、
トータルで5〜6回は
NYに通っていたと思います。
僕は昔、
秋葉原で働いていたこともあって、
PCとかガジェットが
大好きなんですよね。
だから、
最先端のテクノロジーと
アートが交差するこの街は、
昔から漠然とした
「憧れ」そのものでした。
何度か通う中で、
いろいろな場所に泊まりました。
マンハッタンの
ソーホー(SOHO)とか、
セントラルパーク沿いの
あの有名なダコタ・ハウスの近所とか。
いわゆる「良いエリア」にも
泊まってみたんです。
でも、
マンハッタンは
空気が張り詰めていました。
早朝5時台から
当たり前のように、
セントラルパークは
ジョギングする人たちで
賑わっている。
スーツを着たビジネスマンが
背筋をピンと伸ばして、
胸を張って颯爽と歩く場所。
「戦場」のような空気感。
それに、
とにかく宿が高い。
ルームシェアの
狭い一室でさえ、
一泊2万円(約200ドル)とか
普通にするんです。
食事だって超健康志向な
テイクアウトのお店。
サラダとフレッシュジュースを頼むと
軽く2000円を超える。
今のレートだと
3000円は超えるかと思います。
「さすがに毎日これは払えないな…
もう少し安く抑えたい」
そう思って
たどり着いたのが、
ブルックリンでした。
マンハッタンのような
高いビルがないから、
空が広い。
地下鉄もバスもあるから
便利なんだけど、
あのゴミゴミした
忙しいマンハッタンを、
イースト・リバーの向こうから
ちょっと俯瞰(ふかん)して眺める。
その距離感が、
当時の僕には心地よかったんです。
マンハッタンの喧騒から離れ
広い空の下、
リノベーションされた
倉庫のようなおしゃれなカフェに通う。
そこまで1時間かけて歩き、
現地のフリーランスに混じって
パソコンを開き、仕事をする。
お腹が空いたら、
5ドルのサンドイッチと
4ドルのフレッシュジュースを頼む。
「これこそが、僕が求めていた自由だ」
「俺は今、世界の中心で仕事をしている」
そう自分に言い聞かせて
悦に入っていました。
でも、
今だから正直に言います。
その時の僕の「内側」は
ボロボロでした。
30分も歩けない「成功者(仮)」
自由を謳歌しているはずなのに、
当時の僕は
常に何かに怯えていました。
起業して数年。
ビジネスは
ある程度軌道に乗っていましたが、
その裏で、僕の身体は
悲鳴を上げていました。
「低血糖症」と「うつ状態」。
これが、
きらびやかなNY生活の裏にあった
僕の現実です。
起業後の極度のストレスと
乱れきった食生活。
ストレス発散のために
炭水化物や甘いものをドカ食いし、
血糖値が乱高下することで
メンタルが不安定になる。
その結果、
どうなっていたか。
ちなみに今の僕は、
マイナス20度以下でも
1時間半の間平気で歩きますが、
当時の僕は、
「30分歩くだけで、クタクタになる」
そんな虚弱な状態でした。
12時間たっぷりと眠っても、
翌朝「元気ハツラツ!」と
目覚められるわけではありません。
起きてからも、
しばらくはベッドの上でゴロゴロしながら
YouTubeを見たり
ネットサーフィンをしたり。
「あぁ、疲れたな……」
そう呟きながら、
重い腰を上げてシャワーを浴び
ようやく街へ繰り出す。
当時の僕にとって、
一日のエネルギーの全てを懸けていたのが
その1〜2時間の「散歩」でした。
でも、皮肉なことに、
歩き出した瞬間から、
僕の頭の中は別の「誘惑」に
支配されていました。
「早く帰りたい」
「早く宿に戻って、ベッドに横になりたい」
ニューヨークの
最高にかっこいい景色の中にいるのに。
ここに滞在できる時間は
有限であることも分かっているのに。
「せっかくNYにいるんだから、
もっとこの場所を楽しまなきゃ」
という焦りと、
「もう一歩も動きたくない」
という身体の悲鳴。
頭に分厚い雲がかかっているかのような
「ブレインフォグ」の中に閉じ込められ、
その板挟みになりながら、
鉛のように重い足を
なんとか動かしていました。
物価の高いNYで、
「少しでも健康にならなきゃ」
と、必死になって
高級スーパー(ホールフーズなど)を探し、
1本500〜600円近くもする
コールドプレスジュースを買い漁る。
にんじんのジュース。
ビーツのジュース。
それを飲めば、
この「ダルさ」や「不安」が
消えると信じて。
でも、
そんな付け焼き刃で
治るはずもありません。
お金はある。
独身だから時間もある。
場所の自由もある。
それなのに、
「生きていく自信がない」
そんな、
矛盾した絶望の中にいました。
「前世の呪い」に100万円を払った日
人は、
弱りきると
どうなるか知っていますか?
「目に見えないもの」
にすがりつきたくなるんです。
これは、
僕の人生における
最大の汚点であり、
同時に、
最大の教訓でもある話です。
当時の僕は、
体調不良と精神的な不安の原因を、
「物理的な生活習慣」
ではなく、
「スピリチュアルな運命」
のせいにしようとしました。
ある日、
とある「セッション」を受けました。
そこで言われた言葉を
僕は一生忘れないでしょう。
「あなたが今苦しいのは、
前世で悪いことをしたからです」
……今なら、
鼻で笑い飛ばします。
「いやいや、
単なる糖質の摂りすぎと
運動不足でしょう」
と。
でも、
当時の思考停止していた僕は
その言葉を信じ込みました。
そして、
その「前世のカルマ」とやらを
解消するための儀式やおまじないに、
トータルで
100万円以上のお金を払いました。
藁にもすがる思いでした。
これを払えば
この得体の知れない不安から
解放される。
また元気に仕事ができる。
そう信じていました。
結果は?
言うまでもありません。
「完全なる無駄」
でした。
体調は1ミリも回復せず
ただ口座の残高が減っただけ。
残ったのは、
「騙された」という惨めさと
さらに深まった自己嫌悪だけでした。
「サラリーマン」と「起業家」の決定的な差
なぜ、
あの時の僕はそこまで
追い詰められていたのか。
昨日の夜、
NYの写真を見ながら考えました。
それはきっと、
「全責任を負うことの重圧」
に、心が耐えきれていなかったからです。
僕は元々、
サラリーマンをしていました。
会社員時代、
「なんでこんなに給料が低いんだ」
「社長はいい車に乗ってズルい」
正直に言うと
そんな不満を持っていたこともあります。
でも、
独立して初めて分かりました。
それまで当たり前だった、
失敗しても誰かが
後ろにいる感覚が、
いつの間にか消えていたことに。
サラリーマンというのは、
「守られている」
のです。
例えば、
仕事でミスをして
500万円の損失を出したとしましょう。
サラリーマンなら、
始末書を書いたり
上司に怒られたりするかもしれません。
でも、
自分の貯金から500万円を
補填する必要はありません。
会社が、
社長が、
その尻を拭いてくれます。
しかし、
ビジネスオーナーは違います。
500万円の損失は
そのまま自分の人生の損失になります。
誰も守ってくれません。
くしくも、
この「500万円の損失」という例えは、
実際に僕が
このNY滞在のちょっと前の時期に
経験した金額です。
自分の判断ひとつで
大金が消えていく恐怖を
実際に味わいました。
そして痛感した、
「今月、売上が立たなかったらどうしよう」
「病気になったら終わりだ」
この、
逃げ場のないプレッシャー。
NYのカフェで
おしゃれに仕事をしていた僕の脳内は、
実はそんな、
「生存への恐怖」
でいっぱいでした。
だからこそ、
リスクのないサラリーマンは
リターン(自由・資産)も少ないし、
全てのリスクを背負う起業家は
その対価として
大きなリターンを得ることができる。
当たり前のことですが
当時の僕は、
その「リスクの重み」に
完全に押し潰されていたんですね。
「自分探し」の終わりと、見つけた「答え」
あれから8年近くが経ちました。
33歳だった僕は
41歳になりました。
NYなどを旅して、
自称「自分探しの旅」をしながら
あちこちを彷徨っていた僕は今、
ロシアのカザンという
地方都市に定住しています。
今なら、
はっきりと言えます。
僕を救ったのは、
100万円のスピリチュアルでも
NYというキラキラした場所でも
ありませんでした。
当時の僕が間違っていたのは
身体の管理だけではありません。
何より、
「生き方の方向性」
が、根本から間違っていたのです。
当時の僕は、
自分の器以上の
大きな売り上げを
狙おうとしていました。
「もっと稼がなきゃ」
「もっと大きくしなきゃ」
そんな欲に突き動かされ、
無理にガツガツした起業家を
演じようとしていたのです。
でも、
本来の僕は
のんびりした性格で、
人に対しても
厳しいことが言えないタイプ。
そんな僕が、
シビアな数字の世界で
無理をした結果、
ビジネスパートナーに
500万円分の在庫を持ち逃げされる
という手痛い裏切りを
経験しました。
そんなことを
NYの空の下で振り返り、
「なぜ、僕がこんな目に?」
僕は何度も
自分に問いかけました。
そして、
ようやく気づいたのです。
相手を甘やかしてしまったのも、
管理に隙を作ってしまったのも、
僕が「自分ではない誰か」に
なろうとしていたからだ、と。
世の中で活躍している
起業家のように、
ズバズバと突き進み
冷徹に数字を追う。
そんな「正解」をマネしようとして、
自分の本来の良さである、
「優しさ」や「穏やかさ」
を弱点だと思い込み
否定していたのです。
だからこそ
僕は決めました。
「バリバリ拡大するビジネス」
を追いかけるのは
もうやめよう。
人をたくさん使って
消耗するのではなく、
小さくてもいいから
一人で回せる
ビジネスをしよう。
当時はまだ漠然としていましたが
振り返れば、
この時の強烈な失敗体験こそが
今の僕のライフスタイルの
「起点」になりました。
「足るを知る」
生活コストを安く抑え
たとえ収入が上がっても
生活レベルは上げない。
周りがどんな
派手な生活をしていようと
自分には関係ない。
でも、
ただ節約するだけじゃない。
余ったお金は、
しっかりとした考えを持って
増やしていく。
あの時、
僕は人生に対する
強烈な「危機感」を覚えました。
「しっかり生きなきゃ」
「将来を見据えて、
盤石な基盤を作らなきゃ」
もしあの出来事がなかったら
今ごろ僕は、
日々の忙しさに追われ
レント(家賃)を払うために働く
そんな、
まるで映画の中の
ニューヨーカーのような生活を、
「当たり前」だと思って
続けていたかもしれません。
でも僕は、
その「常識」をぶち壊しました。
そして、
その「小さなビジネス」でも
理想の生活を叶えられるように、
生活コストの安いロシアへ移住し、
「生活レベルを上げない」
という戦略を選ぶことにしたのです。
そう決めてから、
僕の人生からは
不純物が消えていきました。
魔法(スピリチュアル)を
信じるのをやめ
脳と身体のメンテナンスを徹底する。
糖質を控え、
サプリメントで栄養を補い
毎日1時間半ひたすら歩いて
血を巡らせる。
そして、
コツコツと積み上げた
不動産や銀行預金。
これらは決して、
贅沢をするためのもの
ではありません。
二度と生存の不安に
襲われないための、
「心のサスペンション」
として構築したのです。
車で言えば、
ガタガタ道の衝撃を吸収する
バネのようなもの。
この機能的な
「揺れない土台」があるからこそ、
僕は今、
一番大切な人たちと
穏やかに笑っていられる。
それは、
妻と二人の娘という
「家族」の存在です。
かつてNYで
孤独に彷徨いながら探していた
「自分の居場所」は、
どこか遠くの国に
あったわけではありませんでした。
「今日の夕飯、おいしいね」
そう言って笑い合う、
家族との静かな日常の中にこそ
あったのです。
「無駄な時間」が僕のOSを作った
バリバリと前に進んでいる人、
効率を重視する
ビジネスマンから見れば、
僕がNYや世界を彷徨っていた
「空白の2年間」は、
ただの遠回りで
無駄な時間に
見えるかもしれません。
でも、
僕にとっては、
これ以上なく
必要な時間でした。
あの時、
どん底まで落ちて自分の器を知り
生き方のベースを書き換えたからこそ、
人生のここ最近で訪れた、
戦争や、離婚の危機といった
逃げ場のない困難に直面したときも、
折れずに乗り越えてこれたのだと
確信しています。
もう一つ、
今振り返ると、あの地獄を、
「独身のうちに経験できたこと」
は、僕にとって最大の幸運でした。
もし、
守るべき家族ができてから
同じ失敗をしていたら、
今の僕にはリカバリーするのに
かなりの時間を要したかもしれません。
もちろん、
独身時代のように
「ゆっくり考える時間」がない
今の状況だからこそ、
一瞬で答えを出し、
解決に向かう「火事場の馬鹿力」が
備わったという側面もあります。
でも、その力の源泉は、
間違いなくあの
「彷徨っていた日々」に
あるのです。
実は、
このブログの原案も
ロシアの雪原を歩きながら
録音して音声データで作りました。
マイナス30度の極寒の中、
「寒い、死ぬかもしれない」
という危機感に包まれると、
意識しなくても
勝手に足が速くなるんです。
その瞬間、僕は錯覚しました。
「あ、あの時のNYと一緒だ」
イースト・リバー沿いを、
ボロボロの体調で必死に歩いていた
あの時の感覚が
一気に蘇ってきたのです。
僕があえて厳しい環境で
歩き続けるのは、
今の平穏な生活に甘えて
その「生存の感覚」を
忘れたくないからです。
過去を振り返ることは決して
後ろ向きなことではありません。
かつての苦しみや、
孤独だった時間を思い出すからこそ、
今、目の前にいる家族と
過ごす時間の尊さがわかる。
妻への感謝が湧き上がり
仕事ばかりの自分を反省し
感謝の気持ちを伝え、
今日という一日を
丁寧に生きようと思える。
もしあなたが今、
暗闇の中を彷徨っているなら。
答えは、
NYの摩天楼でも
100万円のセッションでもなく、
あなたの、
「足元」と「身体」
の中にしかありません。
今日、何を食べるか。
今日、どれだけ歩くか。
今日、自分のレベルをいかに高めるか。
そのシンプルな実践だけが、
あなたを「本物の自由」へと
連れて行ってくれます。
NYのカフェで
「偽物の自由」に震えていた僕に、
今なら笑ってこう言えます。
「大丈夫、
お前が本当に求めていたのは、
そのかっこいいガジェットでもなく、
100万円のセッションでもない。」
「カザンの雪原で、
家族のためにりんごを買って帰る
この静かな自信なんだぞ」
と。
迷っているなら
まずは自分を高めること。
それだけを
実践してみてください。
それでは、また。


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