毎年挫折…「新年の抱負」という、思考停止の量産装置

森 翔吾です。

今、僕はロシアのカザン
という街を歩いています。

気温はマイナス7度。

先日までの体感マイナス30度を
経験した身からすると、

まるでもうすぐ
春がやってくるかのような、

そんな穏やかな
気持ちになります。

ちなみに
ロシアはまだ、

「年末休暇」ではありません。

ロシアの年末の休日は
31日から始まるため、

街はいつもの
日常のリズムで動いています。

子供の保育園も、

12月30日のギリギリまで
開いています。

「あれ、日本はまだ
年末年始の休みじゃないのかな?」

と、ふとスマホを取り出し
日本のニュースを見ました。

どうやら日本では
今日(土曜日)から9連休に
入ったようですね。

SNSや
ニュースサイトを開けば、

そこには日本特有の
あの、

「年末年始の空気」

が、溢れかえっていました。

「来年の抱負は?」
「今年こそ変わりたいあなたへ」
「新年の目標設定シート」

画面の向こうの
その喧騒を見ながら、

僕はふと、

かつての自分を
思い出していました。

サラリーマンだった
20代の頃。

当時の僕もまたこの時期になると
何かに憑かれたように、

「立派な目標」

を立てていました。

「今年こそ英語をマスターする」
「転職できるように資格を取る」
「副業で結果を出す」
「筋トレをしてかっこよくなる」

手帳に書き込むその文字は
希望というよりも、

「そうしなければ
まともな人間になれない」

という、

強迫観念

に近かったと思います。

世間が、

「新年だ!変わろう!」

と合唱するリズムに合わせて、

自分も何かを
高らかに宣言しなければ、

社会から置いていかれるような。

そんな恐怖があったからです。

しかし、

会社を辞めて12年。

今の僕にとって
年末年始はただの、

「普通の日」

になりました。

カウントダウンで
盛り上がることもなければ、

特別なご馳走を
食べるわけでもない。

子供たちを
いつも通り22時に寝かせ
僕もいつも通りに眠る。

そして翌朝、

いつも通りに起きて
こうして雪道を歩く。

はたから見れば、

「つまらない人間だな」

と思われるかもしれません。

でもこの、

「圧倒的な静寂」

の中に身を置いて初めて
僕は気づいてしまったんです。

あの頃、必死になって
書き出していた、

「新年の抱負」

が、

いかに滑稽で
無意味で、

そして、

「仕組まれた罠」

であったかということに。

 

目次

なぜ「抱負」を立てる人は、来年も同じ顔をしているのか

今日は、

少し厳しいことを
言うかもしれません。

でも、

嘘はつきたくないので
残酷な事実を言います。

もしあなたが今、

「来年の目標は何にしようかな?」

と考えているなら。

残念ながら、

あなたの来年は何も
変わらない可能性が高いです。

なぜか。

それは、

「1月1日まで待てる程度の目標」は、あなたの脳にとって「どうでもいいゴミ」だから

です。

どういうことか
詳しく説明します。

人間の脳というのは、

生存に関わる
切実な欲求に対しては、

カレンダーなど無視して
反応するようにできています。

例えば、

「今の会社にいたら精神が壊れる」

そう本気で思えば、

退職届の日付が何月だろうが
逃げ出すはずです。

「このままでは食っていけない」

となれば、

深夜2時だろうが
求人サイトを検索し始めるはずです。

それを、

「キリがいいから
新年から始めよう」

と先送りにできている時点で、

その目標は
あなたにとって、

「生存に不要な飾り」

でしかないんです。

飾りだから三が日が過ぎ
日常という重力が戻ってくると、

すぐに剥がれ落ちる。

僕自身、

サラリーマン生活を終えてからの
ここ12年間、

「新年の抱負」

を一切立てていません。

それでも、

ビジネス面では
納得行く結果を出すことができ、

海外移住も実現し、

人生は右肩上がりに
良くなり続けています。

逆に、

毎年、年末年始に
抱負を立てていた
サラリーマン時代は、

同じような目標を
手帳に書き写すだけで、

現実は1ミリも
動きませんでした。

案の定、

新年に向けて買った手帳も
99%が空白という…。

なぜ、

これほど明白な
「無意味さ」に、

多くの人は気づかないのか?

調べてみたところ
そこには科学的にも証明された、

「凶悪な罠」

が潜んでいたのです。

 

驚愕の事実:それは「管理」と「麻薬」のためのシステムだった

「新年の抱負」

という習慣が
これほど根強いのには、

実は、明確な理由がありました。

僕自身、

「なんでみんな、あんなに必死に
目標を立てるんだろう?」

と疑問に思って
少し調べてみたんです。

そうしたら、

そこには僕も知らなかった
驚くべき背景がありました。

僕もまだ
勉強中の身ではありますが、

前提として、

どうやら世の中はこういう仕組みで
動いているらしいんです。

一つ目の理由は、

脳科学的な、

「麻薬」

としての作用です。

心理学には、

「偽りの希望症候群」
(False Hope Syndrome)

という言葉があります。

これはトロント大学の
ジェネット・ポリヴィ博士らが
提唱している概念なのですが、

人間は、

大きな目標を立てた「瞬間」に、

脳内でドーパミンがドバドバと
放出されてしまうそうなんです。

ニューヨーク大学の
ピーター・ゴルヴィツァー教授の
研究でも、

「目標を誰かに話したり、
宣言したりしただけで、
脳はすでに達成したと錯覚する」

という衝撃的な結果が
示されています。

つまり、

目標を紙に書いたり
SNSで宣言したりした時点で、

脳は、

「もうやったぜ!」

と満足してしまう。

「目標を立てた自分」

に酔い、

「すでに変わった気」

になって
快感に浸ってしまうんです。

正直、僕はゾッとしたのですが。

これ、怖いと思いませんか?

多くの人にとって
新年の抱負とは、

行動するための計画書ではなく、

「今のパターンのまま
生きていても大丈夫だ」

と自分を慰めるための
年に一度の、

「精神安定剤」

として機能してしまっているんです。

目標を立てることで
皮肉にも、

「実際に動くためのエネルギー」

をその場で使い果たしてしまっている。

これが一つ目の真実です。

そして二つ目は、

社会による、

「管理の都合」

です。

思い出してみてください。

僕たちは小学校の頃から
書き初めやホームルームで、

一斉に「今年の目標」を
書かされてきましたよね。

あれは、

個人の成功のためだけでは
ありません。

もちろん、

「みんなで同じ時期に気合を入れ直す」
「組織として一致団結する」

といった、

ポジティブなメリットも
確かにあるでしょう。

日本のように
「和」を重んじる文化では、

みんなで一斉にスタートを切るのは
安心感や一体感を生む
素晴らしい仕組みでもあります。

ただ、

その一方で、

「集団を一律に
管理するための儀式」

という側面も
否定できないと思うんです。

もし1億人がそれぞれ、

好きなタイミングで覚醒して
転職したり独立し始めたら、

社会はかなり混乱するはずです。

ただ結果として、

「お正月」という節目が、

みんなの思考や行動のリズムを
一度そろえる、

装置のように機能している。

「はい、ここで一回リセットね」

という空気が流れて
また日常に戻っていく。

そういう構造になっている
というだけの話です。

たぶん、

日常的に思考停止している人ほど
このイベントに飛びつきます。

「普段何も考えていないこと」

を、誰かが用意してくれた、

「新年」

という枠組みに乗っかることで、

あたかも、

「自分は人生について考えている」

かのように錯覚できるからです。

 

「目標」を捨てて、人生の「棚卸し」をせよ

では、

どうすればこの、

毎年同じことを繰り返すだけの
「無限に叶わないループ」
から抜け出せるのか。

僕がサラリーマン時代に
どっぷりと浸かっていた、

あの、

ぬるま湯のような、

でも出口のないループから
脱け出す方法。

答えはシンプルです。

目標を立てるのをやめればいい。

こう言うと、

「森さんはロシアで自由に
生活しているからでしょ」

と思われるかもしれません。

でも、

僕がマイナス30度にもなる
ロシアの雪道を
毎日歩いているのは、

「どこか遠くのゴール」

を目指しているからでは
ないんです。

ただ、

極寒の中で一人
自分と対話することで、

余計なノイズを削ぎ落とし、

今の自分の状態を
正確に把握するため。

つまり、

「目標設定」ではなく、

徹底的な、

「現状の棚卸し」

をしているんです。

「新しいことを始める(足し算)」

よりも先に、

「今持っているもの、
やっていることが、
本当に自分の人生に必要か(引き算)」

を見極める作業です。

例えば、

「資格」についてもそうです。

僕はサラリーマン時代、

資格こそが自分を助けてくれる
「本当に必要なもの」
だと信じていました。

僕自身、結果的に、

資格は何も取れていないし
大学もいっていないので、

詳しいことは
わからないかもしれません。

でも、これだけは
間違いなく言えると
確信しています。

実際、

何かを達成するために
必死で勉強したり、

大学に入るために
血の滲むような努力をした経験は
決して無駄にはなりません。

その「努力のプロセス」で
培った根性や思考力は、

その後の人生を支える
大きな財産になるのは間違いない。

けれど、

「その資格(肩書き)を持っていること」

自体に執着してしまうと
話は別です。

ロシアに住む今の僕にとって、

日本の資格なんて
残念ながら紙切れ同然なんです。

「資格を持っている」

という過去の栄光は、

一歩外に出れば
何の役にも立ちません。

「今、この手で何が生み出せるか」

という、

現在進行形の実力しか
僕を守ってはくれないのです。

そうやって客観視してみると
僕たちが必死に掲げる
「目標」の多くが、

「ただの世間体」

だったり、

「未来への不安の埋め合わせ」

だったことに気づかされます。

だからこそ
僕は思うんですよ。

年末年始という
せっかくの長い休みは、

新しいことを無理やり
自分の中に詰め込むために
あるのではない、

と。

日常の喧騒から物理的に離れ、

自分の人生を
高い場所から眺めるための、

「戦略的な空白」

として使うべきなんです。

「この仕事は、
自分の人生に本当に必要か?」

「この人間関係は、
単なる惰性ではないか?」

そうやって棚卸しをして、

不要な在庫(思い込み)を
思い切って廃棄する。

身軽になれば
人は勝手に動き出します。

無理な目標なんて立てなくても
体が勝手に、

「本当に必要な方向」

へ歩き出すものなのです。

 

劇薬:3日間、自分を「隔離」してみる

もしあなたが本気で
現状に納得していないなら。

そして1年後の来年の末に
また同じ顔をして、

「あぁ、今年も何も変わらずに
1年が終わってしまったな……」

と、嘆きたくないなら。

この連休中、

騙されたと思って
試してほしいことがあります。

人生でたった1回限定の
実験だと思って、

「3日間の孤独」

を作ってみてほしいのです。

ルールは簡単ですが
実行は少し過酷かもしれません。

1. 誰とも話さない。

2. スマホやSNSを制限する。

3. 近所を散歩したり、ただ一人で、ボーッとする。

まず、

スマホやSNSの制限についてですが
完全に遮断しろとは言いません。

あまりにも制限しすぎる
必要はないと思っています。

例えば、

「日中の明るい時間だけは
絶対にSNSや動画サイトを開かない」

といった、

自分なりの限定的なルールで構いません。

大切なのは、

「基本的に外部からの情報を断つ」

という時間を作ることです。

最初の数時間は、

退屈で発狂しそうに
なるでしょう。

脳が、

「情報をくれ!」
「何か見せろ!」

と暴れ出します。

正直に言って、

「来年の目標(抱負)」

を考えている方が
100%楽なんです。

なぜなら、

抱負を語ることは
キラキラした未来に逃げることだから。

逆に、

この「孤独」の中で
自分を見つめる作業は、

今まで「臭いものに蓋」をしてきた
過去の嫌な記憶や、トラウマ、

見たくなかった自分の弱さと
正面から向き合うことになります。

それが、

あなたが普段いかに
「外部のノイズ」
に依存して生きているかの証拠です。

ノイズで本音を
かき消しているんです。

しかし、

その嵐が過ぎ去った後。

ふと、

「自分の本音」

が聞こえてくる瞬間が訪れます。

「あ、俺、本当は
あの人と離れたかったんだ」

「実は、今の仕事の
ここが嫌でたまらないんだ」

それは、

キラキラした
「新年の抱負」なんかよりも
ずっと地味で、ドロドロしていて、

しかしこれは、

確かな「あなたの真実」

です。

この本音に気づくことこそが、

人生の行動パターンを
根本から書き換える
唯一の方法だと思います。

世の中には、

止まるのが怖くて
必死に走り続けている人が
たくさんいます。

新しい資格
新しい目標
新しい習慣。

次から次へと自分に負荷をかけ、

「止まっていない自分」

を確認することで
内側にある空虚さから
目を背けようとしている。

でも、

土台が腐ったまま
その上にどんな立派な建物を建てても
いつか必ず崩れます。

だから、止まるんです。

人生を変えるというのは
それほどまでに難しいことだと思います。

これくらい徹底して
自分を追い込み、

「最後」

を意識して取り組まない限り、

長年染み付いた
行動パターンの重力からは
逃れられないかもしれません。

この連休こそが
誰にも邪魔されずに
一度立ち止まって、

土台を点検できる
最後で最高のチャンスかもしれません。

 

最後に

僕は明日も、

変わらずに
この雪道を歩きます。

新年だから
歩くのではありません。

それが僕の日常であり
自分との対話の時間だからです。

特別な日なんて
どこにもない。

あるのは、

今日という日常の
積み重ねだけです。

世間が、

「偽りの希望」

に浮かれるこの9連休。

あなただけは、

その騒音から耳を塞ぎ
静寂の中で
自分と向き合ってみてほしい。

抱負はいらない。

ただ、

自分の人生の
棚卸しをする。

それだけで
あなたの2026年は、

過去のどの1年とも違う、

「本物の人生」

になるはずです。

それでは、また。

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