もし、あの時、「ロシア人妻、娘2人」と東京に住む決断をしていたら

森翔吾です。

先日、

元上司から連絡が来ました。

僕が29歳で辞めた会社が、
超大手企業に買収されたらしい。

その影響で
社長のもとには、

十数億円という大金が
舞い込んできたそうです。

会社自体は
こじんまりとしているけれど、

大企業の資金力がバックについて、
社長は「雇われ社長」になった。

当然、

社員の待遇も大幅に上がっている。

昔はね、

怪しいものとか
わけのわからないものとか、

馬鹿みたいなアイテムを
販売していた会社だったんですが、

今はそういうのがなくなって、

白物家電寄りの
まっとうな路線になったらしい。

昔の面白さはなくなったけど、
安定はしている。

で、ふと思ったんです。

もし僕があの時
辞めていなかったら——

29歳で年収540万だったから、
12年後の41歳なら、
たぶん750万から800万くらい。

もしかしたら、

運よく年収1000万円
レベルに到達していたかも。

特に何かスキルを
身につけたわけでもなく、

英語も資格も副業も
何も成し遂げていない
可能性が高いけど、

ぬるま湯に浸かってる状態が
絶対に続いていて、

間違いなく
怠けてたかもしれないけど、

会社にいるだけで
そういう状態になっていたと思う。

しかも、

あの会社に入れたのは
完全にたまたまでした。

社員の人がはがし忘れた
求人募集の張り紙。

それをたまたま見つけて、
応募して、受かった。

たまたま見つけて、
たまたま受けて、
たまたま受かった。

その「たまたま入った会社」が
大手に買収されて、
社長のもとに十数億円。

社員にも還元されて、
いるだけで年収が上がる。

こんなラッキー、
人生でそう何度もない。

悪くない人生ですよね。

むしろ「勝ち組」の部類
かもしれない。

——でも、
今の人生と比べたら、

比較にならない。

2025年、

僕の労働収入はほぼゼロでした。

でも貯金は増えた。

娘2人を連れて
日本に半年帰って、

幼稚園で日本語教育を
受けさせた。

日本帰国の前には
ドバイに2〜3週間。

年収800万のサラリーマンが
1年休んだら、
半年で破綻する。

でも、

僕が1年休んだら、資産が増えた。

なぜこうなったのか。

12年前の
「2つの決断」の話を
させてください。

 

目次

もし、あの時「東京」を選んだら。

僕がもし辞めていなかったら、
今頃こんな生活をしていたはずです。

年収800万。
手取りは月に約50万円。

妻とは同じく、

ベトナムで出会って、
結婚して日本に連れてきたとして。

東京で暮らすなら、

間違いなく35歳くらいの時に
5000万円くらいのマンションを
買っていたでしょうね。

今は、

長女が6歳、年長。
次女が3歳、3歳児クラス。

4人家族で3LDK。
都心から電車40分圏内。

住宅ローン、
管理費、修繕積立金、
固定資産税。

食費、光熱費、通信費。
保育園、習い事。
保険、小遣い、交際費。

全部足すと、
支出は月に約45万円。

手取り50万から引くと、

残りは、約5万円。

年間貯蓄、約60万円。

5000万で買ったマンションは、
東京の不動産高騰で、

今はもしかしたら1億くらいの
価値があるかもしれない。

含み益はある。

でも、

住んでいる限り
現金にはならない。

売ったら住む場所がない。

子供は幼稚園へ通っているし、
小学校へ入ったらなおさら
引っ越しはしづらいはず。

絵に描いた餅です。

悪い人生ではない。

年収800万は
日本の平均を
大きく上回っている。

しかも、

たまたま入った会社が
大手に買収されて、
いるだけで年収が上がった。

完全にラッキーです。

でも、

構造的には
「ラットレース」
なんですよね。

走り続けないとショートする。
止まれない。
止まったら終わり。

1年休んだら、

破綻はしないだろうけど
せっかく貯めた貯金が減る。

これがラッキーで得た
年収800万の現実です。

 

第1の決断:29歳の電卓

実は、

会社を辞める前に
こういうシミュレーションを
やっていました。

別のところでも書いてますが
29歳の時。

当時の年収は約540万円。

結婚して、
子供が2人できて、
家を買って、
教育費を払って——

電卓を叩いたら、
絶望しました。

毎月の手残りが
ほぼゼロだったんです。

しかも、

スキルがない。

会社が潰れたら
路頭に迷う。

英語もできない。
資格もない。
副業の経験もない。

40歳になった時の自分を
リアルに想像したんです。

郊外の小さなアパートから
死んだ目をして満員電車に揺られ、

家族を養うために
したくもない仕事に
しがみつく自分の姿。

「詰んでいる」

そう直感しました。

26歳の頃から
ずっとモヤモヤしていました。

何か変えなきゃいけない。
でも何をすればいいかわからない。

そのモヤモヤが3年続いて、
29歳で思い切って辞めました。

怖かった。

でも「このまま」の方が
もっと怖かった。

 

起業後の地獄と、「場所の自由」

辞めてからは地獄でした。

起業して、

物販ビジネスを始めたけど
騙されました。

けっこうな借金を
背負っていたので尚更でした。

正直、

かなり後悔しましたね。

「なんで、あの会社を
辞めたんだろう」

って。

でも、

戻ったとしても——

あの電卓の数字が
頭から離れなかった。

戻ったところで
「詰んでいる」ことに
変わりはない。

だったら、

前に進むしかない。

起業して軌道にのるまで
約3年くらいかかりました。

でも、

ようやく自分の力で
稼げるようになった。

ネットで稼げるということは、
場所を選ばないということ。

東京にいなくても、
日本にいなくても、
収入が発生する。

これが「第1の決断」で
手にしたものです。

うまくいかない可能性もあった。

でも結果的にうまくいった。

それが現実です。

 

第2の決断:35歳のカーテン部屋

場所を選ばずに
稼げるようになったとしても、

例えば、

物価が東京よりも高い
ドバイに住んでいたら
お金はまず貯まりません。

東京に住んでいても同じ。

生活費が高い場所にいる限り、
稼いだ分だけ消えていく。

僕が「第2の決断」に
踏み切れたのは、

妻のおかげです。

妻はロシア人で、

ドバイで約10年間
出稼ぎをしていました。

最終的には、

石油会社の秘書や不動産営業として
年収1000万円を稼いでいた。

でも、

ある時から彼女は生活レベルを
「底辺」まで落としたんです。

10畳一間の部屋をカーテンで仕切って、
3人の女性でルームシェア。

1人あたり約3畳。

プライベートスペースは
ベッドの上だけ。

年収1000万ある人間が、

出稼ぎ労働者用の
タコ部屋みたいな場所に
自ら身を置いていた。

なぜそこまでしたのか。

彼女はドバイで、
同僚たちの「末路」を
目の当たりにしていたからです。

若さと美貌でチヤホヤされ、
稼いだ金を全部
服や美容や旅行に使い、

35歳を過ぎて職を失い、
貯金もなく、

何も持たずに、しぶしぶ
母国に帰っていく同僚たち。

「あの人たちと同じにはならない」

それが妻の原動力でした。

超節約生活をして
浮いたお金を全額貯金して、
ロシアにマンションを買った。

この妻の覚悟を見せつけられた時、

僕は確信しました。

「この人は本物だ」

と。

一応、

妻もドバイで1〜2年は
浪費する豪華な生活を経験したらしい。

でも結果的に、
「意味がない」と
切り捨てることができるようになった。

僕も、

ドバイで見る豪華で快適な暮らしには
うっすら違和感は感じていた。

それ以前にも散々お金を使ってきて、

それがあんまり意味がないと
薄々わかっていた。

だから妻のカーテン部屋を
見た時に、

思い切って、

ドバイではなくロシアの田舎に住む
決断ができた。

幸せの先延ばし。

今は我慢する。
その代わり、
未来を作る。

これが「第2の決断」です。

ここが大事なんですが、

第1の決断(場所の自由)
だけでは今の生活はない。

第2の決断(快適を捨てる)
だけでも今の生活はない。

両方揃って初めて、

「月5万で暮らしながら、
ネットで稼いで、全額投資に回す」

という構造が成立しました。

※妻のドバイでの詳しいエピソードは
こちらの記事に書いています。

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月5万円のサバイバル

ロシアの田舎。

妻のおばあちゃんからもらった家。

持ち家だったけど、

家賃を払ったとしても
月5000円程度。

生活費の合計は月5万円。

2〜3年間、

この生活を続けました。

正直に言います。

これは「節約」なんて
生やさしいものじゃなかった。

サバイバルでした。

給湯器が壊れました。

壁から外せなくて、
半年間、
お湯が出ない生活をしました。

長女ソフィアが2歳の頃。

ケトルでお湯を沸かして、

赤ちゃん用のバスタブに
40度のお湯を張って、

そこで娘を沐浴させていた。

その余ったお湯で、

僕ら夫婦2人が桶で水を浴びるように
シャワーの代わりにしていた。

時にはロシアの
超冷たい冷水シャワーで
しのいだり。

半年間。

自給自足の畑は、
想像以上の重労働でした。

害虫がついたら手で取る。
無駄な葉っぱを剪定する。

気温が0度以下になると
トマトの苗が死んでしまうから
カバーをかぶせる。

一回、苗が全滅した
こともありました。

きゅうりは
冷たい水をやると苦くなる。

ロシアの水は冷たいから、
ホースからは直接あげられない。

ドラム缶に貯めた雨水を
温めてから、
やっとあげられる。

蚊がいる。虫がいる。

村八分。隣人トラブル。
悪い噂を流される。

夫婦喧嘩も何度もしました。

ソフィアの夜泣きが
収まらない日が続いて、

お互い寝不足で
イライラしている時に、

ちょっとしたことで爆発する。

「もうこんなとこ住みたくない」

「街に家を借りよう」

僕は何度もそう言いました。

「野菜なんか
普通に買った方が安いじゃん」

とも言いました。

素直に従っていたわけじゃない。

不満が爆発して喧嘩になったことも
何度もあります。

でも、

妻はいつもこう言いました。

「もったいない。街に住んだら
無駄な家賃がかかる。
このほうがいい」

結局、妻は譲らなかった。

そして僕も、

心のどこかで
薄々わかっていたんです。

妻が正しいことを。

収入が入っても、

月5万円の生活を
崩しませんでした。

YouTubeの撮影とかで
海外に行くことはあったけど、

基本の生活費は5万円。

使う時は使う。
でもそれは毎月の出費じゃない。

このスタイルは、
今も変わっていません。

 

浮いたお金で、人がやりたがらないことをやった

月5万円を崩さずに、

稼いだお金を
全額投資に回しました。

不動産を買って、

妻がリノベーションを
マネジメントした。

買って、直して、売る。

これを繰り返しました。

そしてタイミングが重なった。

コロナ。
戦争。
インフレ。

不動産価格が2倍になった。

さらにロシアの銀行金利は
16%まで上がっていて、

預金しているだけで
資産が増え続ける構造ができた。

月5万円の
サバイバル生活に耐えたおかげで、

「働かなくても
お金が増える仕組み」

ができてしまった。

もちろん、

豪華な生活ではないけど、

夫婦ともに納得できる生活は
送れている。

あの2〜3年間がなければ、
絶対にこうはなっていません。

 

12年後、41歳の現在

2025年、

僕の労働収入はほぼゼロでした。

YouTubeもほとんど更新しなかった。
物販もやっていない。
コンサルも大幅に減らした。

基本的にやっていたのは、
ブログを書くこと。

それだけ。

でも貯金は増えた。

長女ソフィアと一緒に
日本に半年間帰りました。

僕の実家に住まわせてもらって、

ソフィアを日本の幼稚園に
通わせた。

日本語教育のためです。

後半の2ヶ月は
次女アマヤも連れてきて、

アマヤも1ヶ月ほど
幼稚園に通わせました。

実家だったので
住居費はゼロ。

基本的に
お金はあまりかからなかった。

年収800万の
サラリーマンだったら、

「子供に日本語教育のために
半年間実家に帰る」

なんて不可能ですよね。

上司にどう説明する?

有給は年20日。
消化率は半分がいいところ。

帰省は年2回、
お盆と年末年始に各3〜5日。

それが限界。

でも僕は半年帰れた。

最近はタイに2週間ステイできた。

その間も
銀行の金利は入り続けた。

場所の自由。
時間の自由。

これはお金では買えない。

「自分で稼ぐ力」と
「生活コストを下げる覚悟」

この両方がないと手に入らない。

 

2つの世界を並べる

同じ、

「家族4人、持ち家あり」。

なのに、構造が全く違う。

東京バージョンでは、
月の支出が約45万円。

働かないと即ショートする。
1年休んだら破綻に近づく。

子供と過ごす時間は
平日なら朝10分と夜60分。

旅行は時間の関係で近場が基本。

子供の教育は近所の幼稚園1択。

今の森家では、
月の支出が約15〜20万円。

高金利の影響もあって
働かなくても貯金が増え続ける。

1年休んだら資産が増えた。

子供と毎日一日中一緒にいる。

旅行は2週間を年2〜3回
時期は自由。

子供の教育は
ロシア、日本、海外を使い分け。

生活の「グレード」自体は
大きく変わらない。

決定的に違うのは、

「時間」と
「自由度」と

「止まれるかどうか」。

東京バージョンは、

「働くのをやめた瞬間から
崩壊が始まる構造」

今の森家は、

「働かなくても死なない構造」。

同じ家族4人。
同じ持ち家。

でも構造が、全く違う。

 

あなたは今の延長線上に、何が見えますか?

12年かかりました。

最初の3年は地獄でした。

お湯が出ない半年間も、
村八分も、
夫婦喧嘩も、

全部リアルにあったことです。

僕の感覚では、

90%くらいの人は行動しない。

さらに人によっては
行動せずに、

あいつはずるいとか、
グチグチ言う。

でも逆に言えば、

やった人が少ないからこそ、
やった人に結果が集中する。

ただ誤解してほしくないのは
決して、

東京バージョンが
悪いわけじゃない。

安定していて、
ラッキーで、
恵まれている人生です。

でも、

「選択肢がない」のが
一番怖いと思うんです。

止まれない。
休めない。
辞められない。

その構造の中にいる限り、
何年経っても構造は変わらない。

僕が書いてきたこの2つの決断は、

「安定を捨てる」と
「快適を捨てる」。

どちらも勇気がいる。

でも、

今日が人生で一番若い日です。

これはよく言われることですが、
本当にそうだと思う。

背負うものが増える前に、
1ミリでも動いた方がいい。

電卓を叩いた人は
何万人もいると思います。

でも、

うまくいくかどうかの違いは、

その危機感に対して
行動したかどうか。

さらには、

決断したかどうか。

あなたは今の延長線上に、
何が見えますか?

それでは、また。

 

追伸:

具体的な数字と
表では書けなかった本音は
メンバー限定で書いています。↓↓↓

note(ノート)
18階、コンシェルジュ付き。——月5万円生活の「その先」にあった現実。|森翔吾 18階、コンシェルジュ付き。——月5万円生活の「その先」にあった現実。
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