森翔吾です。
この写真は約17年前のドバイ。
昔の写真なので
画質は悪いですが、
ホテルの中に
いろんな人種がいることは
分かると思います。
インド人、フィリピン人、
東欧系、中東系——
全員が出稼ぎ労働者です。
そして、
右奥に映っている女性が
当時20代前半だった僕の妻です。
ロシアの田舎町から
単身ドバイに飛び、
ホテルの研修を
受けている最中でした。
この1枚の中に、
ドバイの「見えない序列」が
そのまま映っています。
前編では、
キルギスで出会った
出稼ぎ夫婦、
ジョージアで出会った
クウェート勤務の
フィリピン人女性、
そして職種ごとの現場の話を
書きました。
建設・ホテル・
メイド・タクシー運転手。
後編ではまず、
この写真の中にいた妻が
10年間のドバイで見てきた
「見えない序列」を書きます。
それを知った上で、
国籍ごとの現状と、
この先に何が起きるのかを
書いていきます。
妻のドバイ出稼ぎストーリー
妻はロシア人です。
ロシアの地方都市で
生まれ育ち、
20歳のときに
ドバイへ飛びました。
大学では英語を
専攻していたため、
言葉のハードルは
比較的低かったようです。
それから約10年間、
ドバイで出稼ぎ労働者として
働きました。
妻がドバイで経験したのは、
「ロシア人パスポートが”白人カテゴリ”として扱われる」
という現実でした。
湾岸では、
パスポートの国籍と
見た目がセットで扱われます。
国籍と肌の色で、
給料もポジションも
待遇も変わります。
同じホテルの同じ仕事でも、
フィリピン人とロシア人では
月給が違う。
同じレストランでも、
バングラデシュ人は厨房、
ロシア人はフロアに立つ。
明文化されたルールではなくても、
現場では当たり前のように
機能している
「見えない序列」があります。
妻はその序列の中で、
比較的上のほうに
位置づけられていました。
具体的にどういうことか。
BBCの調査でも
報じられていますが、
同じホテルの同じ職種でも、
ヨーロッパ人と
フィリピン人・インド人の間に、
1.5〜2倍の賃金差が
存在していました。
妻の実体験を元に
大まかに言うと、
ホテルの中の序列は
だいたいこうです。
フロント・コンシェルジュなど「表に出る仕事」
➡ ロシア・東欧系・東アジア人
(月5,000〜10,000ディルハム)
(月20〜40万円)
接客・客室係など「中間の仕事」
➡フィリピン・東南アジア系
(月2,500〜5,000ディルハム)
(月10〜20万円)
厨房・ベッドメイキングなど「裏の仕事」
➡ インド・バングラデシュ・ネパール人
(月1,200〜3,000ディルハム)
(月5〜12万円)
法律上、
国籍で給料を変えてはいけません。
でも、
「この顔はフロントに立てる」
「この人は厨房」と
採用時に振り分けることで、
結果として
賃金格差が生まれます。
入口ではそこまで
大きな差はなくても、
ポジションと昇進ルートが
最初から違うから、
時間が経つほど
差が開いていく。
だから自然と、
同じ国籍同士で
固まるようになります。
同じ職場で英語を
話している人たちは、
同じカテゴリの仕事を
している可能性が高い。
白人グループと
アフリカ系の人が
ドバイで一緒にいるのを、
あまり見かけないのは
そういう構造的な理由です。
ただし、
この構造は
最近変わりつつあります。
2020年前後に
イギリス系の企業が
ドバイから撤退し、
その穴をインド人オーナーが
埋めました。
2024年にはドバイ商工会議所に
登録されたインド企業は
7万社を超えています。
オーナーがインド人に
入れ替わったことで、
採用基準が「見た目」から
「能力×コスト」に変わった。
白人の顔にプレミアムを
払うモデルは崩れつつあります。
妻がドバイにいた
10年前と今では、
同じ構造がそのまま残っている
わけではありません。
この、
「白人ボーナスステージ」
の構造と、
それが永遠には
続かないという現実については、
以前、妻の実体験をもとに
別の記事で詳しく書いています。
➡【妻の実話】「お先真っ暗コース」を無意識に選んだ、ロシア人美女の末路…
こうした序列があるからこそ、
前編で紹介した
アイアルベックとアイジャン
(キルギス人夫婦)や、
クウェートの
フィリピン人女性と比べると、
同じ「出稼ぎ」でも
見えている世界がまったく違います。
妻は10年間
ドバイで働いた後、
2019年にロシアに戻り、
いま僕と一緒に
カザンで暮らしています。
でも、
もしあと数年
ドバイに残っていたら、
今回の戦争に
巻き込まれていたかもしれません。
国籍別——パスポートで分かれる運命
では、
この序列の中で
それぞれの国の人たちは
今どうなっているのか。
一つずつ見ていきます。

フィリピン人——政府は動いた。でも全員は救えない。
湾岸全体で
推計220〜240万人のフィリピン人が
働いています。
UAEだけで推計70〜100万人。
職種はホテル、家事労働、
看護、小売など
多岐にわたります。
フィリピン政府の対応は、
各国の中で
もっとも組織的です。
チャーター便や
陸路移送を複数回手配し、
帰国者には職業訓練、生活支援金、
メンタルケアを提供しています。
マルコス大統領は
サウジアラビアと直接交渉し、
自国民の安全確保と
帰還支援を進めています。
ただし、
帰国した人は
まだ全体のごく一部です。
多くのフィリピン人は
「帰国しても仕事がない」
という理由で残っています。
フィリピン経済にとって、
海外からの送金は
年間約380億ドル
(2024年は約383億ドル)。
これはGDPの
約8〜9%にあたります。
湾岸からの送金が止まれば、
フィリピン国内の
家族の生活が直撃を受けます。
前編で紹介した、
ジョージアで足止めされていた
フィリピン人女性も、
まさにこの構造の中にいます。
月給2,000ドルの
クウェートの仕事を手放せば、
彼女の家族への送金が止まります。
でもこの生活を続けるには、
ミサイルが飛んでくる国に
戻らなくてはいけません。
インド人——910万人は動かない
湾岸で働くインド人は約910万人。
世界最大の出稼ぎコミュニティです。
2024年の海外送金額は
約1,290億ドルで、世界1位でした。
インド人の特徴は、
「残って耐える」という
選択をする人が圧倒的に多いことです。
前編で紹介した
47歳のインド人配管工のように、
「今の仕事を手放せば、
誰かに取って代わられるだけ」
——そう考えて
残る人がほとんどです。
家族だけを先にインドに帰国させ、
自分は現地に残るという
パターンが最も多く見られます。
インド政府はチャーター便を
手配していますが、
大規模な退避作戦には
なっていません。
910万人という数は、
そもそもチャーター便で
動かせる規模ではありません。
インド人俳優のR・マダヴァン氏が、
SNSでタクシードライバーへの
支援を呼びかけたことが
話題になりましたが、
国としての組織的な退避よりも、
コミュニティの相互扶助で
乗り越えようとしている
印象があります。
ネパール人——借金で来た人は、帰れない
湾岸で働くネパール人は
約150〜190万人。
ネパールのGDPの約26%が、
海外からの送金で
成り立っています。
ネパール人が湾岸に来るとき、
ほぼ全員が「採用費」として
30万〜40万ネパールルピー
(約2,000〜2,700ドル)を
斡旋業者に支払っています。
多くの場合、これは借金です。
ネパール政府は2026年3月1日、
12カ国向けの新規労働許可証を
一時停止しました。
ただし3月16日以降、
サウジアラビア・UAE・カタールなど
7カ国については、
既存労働者の再入国許可が
再開されています。
しかし、
すでに借金を背負って
渡航を待っている人にとっては、
「行かない」という選択肢が
事実上存在しません。
許可が止まっても、
非正規のルートで渡航を試みる人は
後を絶たないと報じられています。
ネパール大使館の元職員が
自国の対応について
語った言葉が印象的です。
「フィリピン大使館には100人のスタッフがいて、倉庫いっぱいの緊急物資がある。我々には6人しかいない。」
借金で来た人たちは、
「戦争か借金か」の二択を
迫られています。
どちらを選んでも苦しい。
これがネパール人
出稼ぎ労働者の現実です。
ネパール人と聞くと、
僕は東京時代を思い出します。
秋葉原・御徒町あたりで
6〜7年働いていた頃、
よく通っていた
インドカレー屋がありました。
でも実は、
そこで働いていたのは
ネパールから来た人でした。

1ヶ月連続で
昼飯を食べに通ったくらい
仲良くなりました。
インド人と比べると
物静かで、素朴で、優しい。
そういう印象が
強く残っています。
だからこそ、
あの穏やかな人たちが
「戦争か借金か」の二択を
迫られている現実は、
どうしても
他人事に思えません。
バングラデシュ人——スマホすら持たず、戦争を知らないまま
湾岸で働くバングラデシュ人は
推計450〜500万人。
そのうち6万5,000人が、
帰国を希望しながら
足止めされていると、
バングラデシュ政府は
発表しています。
しかし、
実際に帰国できたのは、
3月末時点で約1,500人だけです。
バングラデシュ人が
置かれている状況は、
他の国籍と比べても
厳しいものがあります。
数字だけでは見えない
深刻さを物語る事例があります。
ドバイ警察によると、
イランの攻撃で
死亡した民間人の中に、
スマートフォンを持っておらず、
戦争が起きていることすら
知らなかったバングラデシュ人の
ドライバーがいました。
彼は、
空爆を受けた地域をいつも通り
運転していました。
避難勧告も、アプリの警報も、
すべてスマートフォンを通じて
配信されていましたが、
彼の手元には
その手段がなかったのです。
バングラデシュ政府は
帰国便を増やす交渉をしていますが、
資金的にも組織的にも
フィリピンのような
大規模支援には至っていません。
海外送金はバングラデシュのGDPの
約5%にあたる年間約270億ドルです。
労働者が帰れなければ
送金は続きますが、
仕事を失えば送金は止まります。
イラン人——「敵国民」として、一夜にしてすべてを失う
ドバイには、
約40万〜70万人のイラン人が
暮らしていると推定されています。
多くは何十年も前から
居住しており、
不動産や事業を持つ
富裕層も少なくありません。
戦争が始まって以降、
UAE政府はイラン国籍者への対応を
急速に厳格化しました。
そのコミュニティ全体に
影響が及んでいます。
UAEはイラン国籍者の
居住許可を大規模に取り消しました。
国外に旅行中だったイラン人が、
帰ろうとしたら
無警告でビザが消えていた——
UAEに戻れないというケースが
複数報告されています。
さらに、
UAEはイラン国籍者の入国や
トランジットを全面禁止しました。
イラン人向けの病院が
当局の命令で閉鎖されました。
イラン人学校、社交クラブも
閉鎖が確認されています。
ドバイのビーチで、
イラン系住民が警察官に
身分証を求められ、
拘束されるケースも出ています。
ゴールデンビザ(長期居住ビザ)を
持つイラン人でも、
更新が認められないケースが
出ています。
イラン側メディア
(Tasnim通信など)は、
UAEにあるイラン人・イラン企業の
資産規模を「約5,300億ドル」と
推計しています。
ただし、
この数字はイランのGDP
(約3,500億ドル)を上回っており、
主要国際メディアは
「数百〜数千億ドル規模」
としか報じていません。
公式に確認された
数字ではありません。
ある在UAE30年の
イラン人ビジネスマンは
こう話しています。
「30年間この国に貢献してきた。税金も払った。雇用も生んだ。それでも一夜にして”敵国民”になった。」
そしてそれは、
2026年4月の今、
現実になりました。
30年住んだ国から、
一夜にして
「出ていけ」と言われる。
これは、
普通の出稼ぎ労働者の話では
ありません。
数千万、数億円以上の資産を持ち、
税金を払い、
雇用を生んできた、
移住者たちの話です。
パスポートの色が
「敵国」になった瞬間、
すべてが消えるという現実です。
イラン人の状況は、
他の出稼ぎ労働者とは
性質が異なります。
彼らは「出稼ぎ」というよりも
「移住者」に近い存在でしたが、
戦争によって突然、
その立場が根底から揺らいでいます。
ロシア人——戦争から逃げた先で、また戦争に追われる
ドバイにはロシア人が
大量に流入しています。
きっかけは
2022年のウクライナ侵攻でした。
動員令を逃れた人、
制裁を避けてビジネスを移した人、
単純により安全な場所を
求めた人——
理由はさまざまですが、
2022年以降、
ドバイのロシア人コミュニティは
急速に拡大しました。
不動産市場ではロシア人が最大の
外国人購入者グループの一つに
なっていた時期もあります。
そのドバイが、
今度はイラン戦争の
射程に入りました。
「ロシアの戦争から逃げてきたのに、また戦争に追われている」
SNSではそういう声が
多く見られます。
ロシア人の場合、
湾岸の出稼ぎ労働者とは
階層が違います。
多くは自営業、IT、不動産投資、
リモートワークで
生計を立てています。
しかし、
不動産価格の下落や、
航空便の減少、
保険料の高騰などは、
ロシア人にも確実に
影響を与えています。
一部のロシア人はすでに
ドバイを離れ、
トルコ、タイ、ジョージアなど
第三国への再移住を始めています。
モスクワ → ドバイ → 第三国
という、
二度目の「脱出」です。
半年〜1年後——何が起きるのか
今後の見通しを、
ざっくり書いておきます。
専門的な予測ではなく、
出稼ぎ労働者にとって
何が変わるかという視点です。
建設:「遅延」から「中止」へ
ドバイをはじめ、
湾岸エリアの建設現場は
急ブレーキがかかっています。
国際建設契約で
広く使われている
FIDIC標準契約条件では、
戦争などの不可抗力による
契約中断が84日を超えると、
「不可抗力による契約解除」
が認められます。
つまり、
開戦から約3ヶ月(5月末〜6月頃)を境に、「工事が遅れている」ではなく「プロジェクト自体が消える」フェーズに入ります。
NEOMのTrojenaダムは
すでにその段階に達しました。
これは建設労働者だけの
問題ではありません。
ドバイでオフプラン
(完成前)の物件を
購入した人にとっては、
「プロジェクト消滅」は
そのまま
「買った物件が届かない」
を意味します。
すでに払った頭金が
戻ってくる保証もありません。
これから不動産を
買おうとしている人にとっても、
「いつ完成するかわからない物件」に
お金を入れるリスクは
格段に上がっています。
観光:夏を越えられるかどうか
中東全体の観光部門は、
年間の訪問者数で
11〜27%の減少が
見込まれています。
業界関係者からは
「3ヶ月は耐えられるが、
夏は越えられない」
という声が出ています。
湾岸の夏は
観光のオフシーズンです。
もともと客が減る時期に、
戦争の影響が重なります。
夏を越えられない事業者が
大量に出る可能性があります。
労働市場:一番下から切られる
崩壊ではなく、
「再階層化」が起きます。
まず日雇いや歩合制の人が
仕事を失い、
次に試用期間中の人が切られ、
正社員でも
給与カットが始まる。
パスポートの序列が低い人ほど、
先に切られます。
不動産:前提が3つとも崩れた
ドバイの不動産は、
2014年から2019年に
25〜30%下がり、
2021年から2024年に
60〜75%上がった。
常にこういう波を
繰り返しています。
問題は、
今回はただの
景気循環ではなく、
ミサイルが飛んでくるという
前提が加わっていることです。
ドバイの不動産が
高かったのは、
3つの前提が
あったからです。
「安全な場所」
「世界のハブ」
「成長し続ける街」。
今、その3つが
全部揺らいでいます。
取引件数自体は
まだ維持されていますが、
先行きの不透明感は
急速に広がっています。
新規の問い合わせが減り、
買い手が様子見に入っている
という声が業界から出ています。
これは暴落ではなく、
流動性の鈍化です。
このまま時間が経つと、
じわじわと
値段が落ちていく。
急落ではなく、
ゆっくりとした下落が
一番怖い。
逃げ時がいつなのかが
わからないからです。
送金:母国経済への連鎖
フィリピン(GDPの約8.5%)、
ネパール(GDPの約26%)、
バングラデシュ(GDPの約5%)——
湾岸からの送金が減れば、
これらの国の経済に
直撃します。
個人の問題ではなく、
国家規模の問題です。
僕が思うこと
ここまで書いてきた
出稼ぎ労働者たちに
共通していること。
それは、
「不確実性の中で
判断を迫られている」
ということです。
戦争がいつ終わるか
わからない。
ホルムズ海峡がいつ
再び閉まるかわからない。
ビザの制度がいつ
変わるかわからない。
その中で、
帰るのか、残るのか、
別の国に移るのか——
答えのない問いを
毎日突きつけられています。
フィリピン人は
「帰っても仕事がない」から残る。
ネパール人は
「借金があるから」帰れない。
イラン人は
「ビザが消えたから」戻れない。
ロシア人は
「逃げた先がまた戦場」になった。
全員が、
自分の意志では
どうにもならない状況の中に
いるということです。
すでにドバイやクウェートに
いる人は、
パニックになって
全部を売り払う
必要はありません。
でも、
「ここに全財産を
置いておく」という状態からは、
時間をかけて
分散を考えるべき局面だと
思います。
湾岸は、
平時であれば
素晴らしい場所です。
税金がゼロで、
インフラが整っていて、
世界中から人が集まる。
僕自身もドバイで法人を作り、
エミレーツIDを持ち、
子供を連れて何回も滞在した
経験があります。
でも今この瞬間、
湾岸で働く出稼ぎ労働者にとって
「安全」と言い切れる場所は
どこにもありません。
あの人たちは、今どこにいるのか
最後に、
この記事に登場した人たちの
ことを考えます。
アイアルベックとアイジャン——
キルギス・ビシュケクの
深夜のケバブ屋で出会った夫婦。
クウェートのIDを持ち、
8カ国で出稼ぎをしてきた。
深夜にホテルまで送ってくれて、
お土産まで買ってくれた。
今、あの2人は
どこにいるのでしょうか。
クウェートに戻ったのか。
別の国に移ったのか。
連絡は取れていません。

クウェートのフィリピン人女性——
ジョージアで妻が出会った
32歳の女性。
クウェートの大手ホテル勤務、
月給2,000ドル。
イタリア人の彼氏は
NATO基地から
イタリアに帰ると言っていた。
彼女はイタリアに
行きたかったけれど、
ジョージアでは
ビザが取れない。
クウェートに戻ったのか、
まだジョージアにいるのか、
わかりません。
98万6,569kmカムリの
パキスタン人ドライバー——
2024年の年末、
ドバイで僕が乗った
タクシーの運転手。
1日12時間、週6日。
稼いだ金のほとんどを
家族に仕送りしていた。
今、月収が通常の半分以下
500〜700ディルハムまで
(2〜2.8万円)
落ちているドライバーたちの中に、
彼もいるのかもしれません。

僕の妻——
ロシアの田舎から
20歳でドバイに飛び、
10年間働いた。
白人カテゴリとして、
序列の上のほうにいた。
今はロシアで僕と暮らしている。
もし、
あと数年
ドバイに残っていたら。
ニュースでは
「湾岸の出稼ぎ労働者
3,500万人」と
ひとまとめにされます。
でも、
一人ひとりに名前があり、
家族があり、
借金があり、
夢があります。
誰一人として、
ニュースのサイドバーで
終わる人生ではありません。
この「見えない階級制度」の
具体的な数字や裏事情——
そして表では書けなかった
現場のリアルは、
メンバーシップ記事で
詳しく書いています。
