なぜ?イランのミサイルで「安全神話が崩壊」したドバイの裏事情

UAEドバイ。

なぜこの街が、

イランのミサイルの
標的になったのか。

その答えを知っている
日本人は、ほとんどいません。

・・・

森翔吾です。

この映像を見てください。

これは僕らが数年前に、

ドバイ滞在時に知り合いが住む
ブルジュ・ハリファを
訪れたときの映像。

そしてアブダビの
最高級リゾート、

セントレジス
サディヤット・アイランド

の映像です。

 

2026年2月28日。

この世界一の超高層ビル・
ブルジュ・ハリファに、

異例の緊急避難勧告
出されました。

想像してみてください。

828メートルの巨大なビルから、
鳴り響くサイレンと爆発音の中、

住民や観光客が一斉に
エレベーターと階段で
地上へ逃げ惑う姿を。

前代未聞の異常事態です。

そして僕らが
優雅な時間を過ごした、

あのアブダビの
サディヤット・アイランド。

アブダビ上空で
迎撃されたミサイルの破片が
市内の住宅地に降り注ぎ、

民間人1名が亡くなりました。

UAE国防省の発表によると、

亡くなったのは
パキスタン国籍の民間人です。

迎撃された第2波の破片は、

僕らが滞在した
セントレジス・アブダビを含む
アブダビ各地に落下しました。

これはUAE国防省の
公式発表です。

あの平和で
ラグジュアリーだった場所が、

一夜にして、

ミサイルの破片が降る場所に
変わったのです。

目次

パーム・ジュメイラで火災。7つ星ホテルにも破片が直撃

被害は
それだけではありません。

ドバイ屈指のリゾートアイランド、

パーム・ジュメイラの
5つ星ホテルで爆発が起き、

火災が発生、4人が負傷

ドバイ・メディア・オフィスの
公式発表では
こう書かれています。

「パーム・ジュメイラの建物で火災が発生し、4名が負傷。当局が直ちに対応した」

さらに、

世界一有名な
7つ星ホテル
「ブルジュ・アル・アラブ」

あの帆の形をした
象徴的な建物の外壁にも、

迎撃されたドローンの
破片が衝突し、

小規模な火災が
発生しました。

「ドローンが迎撃され、その破片がブルジュ・アル・アラブの外壁に小規模な火災を引き起こした。消防が直ちに対応し、鎮火。負傷者なし」——ドバイ・メディア・オフィス

ドバイ最大の商業港
ジュベル・アリ港でも
迎撃破片による火災。

この港には、

米軍の艦船も寄港しています。

なお、

米国の戦争研究所(ISW)は
2月28日のレポートで、

イランのドローンが
湾岸諸国の民間インフラ
意図的に攻撃し、
民間人が負傷したと
明記しています。

それだけではありません。

攻撃の約1ヶ月前、

IRGC(イラン革命防衛隊)系の
テレビ局に出演した評論家が、

ドバイ空港フリーゾーン、
ドバイ国際金融センター、
ジュベル・アリ・フリーゾーンなど
民間経済施設5カ所を名指しで
「正当な攻撃対象」
と宣言していました。

つまり「迎撃の破片が
たまたま落ちただけ」
ではない可能性が高い。

実際、被害は軍事施設だけに
とどまりませんでした。

そしてドバイ国際空港の
コンコースが損傷し、

スタッフ4名が負傷

UAE国防省によると、
この日イランから発射されたのは、

弾道ミサイル——137発
ドローン——209機

そのほとんどは
THAAD(終末高高度防衛)
システムで迎撃されましたが、

一部の破片が
ドバイとアブダビのランドマークを
次々と襲ったのです。

しかもこの攻撃は
1日では終わりませんでした。

翌3月1日にもドバイ上空で
複数の爆発音が確認されており、

攻撃は2日連続で続いています。

イランのミサイル破片によりパーム・ジュメイラの5つ星ホテルで発生した火災
出典:Reuters

 

空港が止まった。毎日9万人が通過するハブが全便停止

そして今、

空港は完全にパニック状態です。

ドバイ国際空港と
アブダビのザイード国際空港は、
世界有数のハブ空港です。

ヨーロッパ、アフリカ、
アジア、ロシア——

あらゆる方面への
乗り継ぎ拠点として、
毎日約9万人の旅行者が
ここを通過しています。

ドバイ・メディア・オフィスは
こう発表しました。

「ドバイ国際空港(DXB)およびアル・マクトゥーム国際空港(DWC)の全便の発着を、追って通知があるまで停止する」

帰りたくても帰れない人、

来たくても来れない人が
空港に溢れかえっています。

実は僕ら自身、

つい1ヶ月前にアブダビ経由で
タイのバンコクとプーケットへ行き、

帰りも同じルートで
帰ってきたばかりでした。

その時は何事もなく、

いつも通りの
平和なハブ空港でした。

ロシアの自宅で妻と、
「危なかったね。」
と話しましたが、

あと1ヶ月ずれていたら、

僕ら自身があの空港で足止めを
食らっていたかもしれません。

「空襲警報が鳴る街」。

その強烈なレッテルが
貼られた瞬間、

ドバイとアブダビが
数十兆円をかけて築き上げてきた
安全神話は、

完全に崩壊しました。

 

僕ら夫婦だから見える、ドバイの裏側

ドバイはイランから
直線距離で約200kmの
「イランの裏庭」です。

ドバイのインフラや
ブルジュ・ハリファなどの
超高級不動産オーナーの多くは
イラン人であり、

ドバイ経済の根底には
常にイランマネーが
流れてきました。

実際に、

冒頭の映像で訪ねた
ブルジュ・ハリファ。

知人が借りていた部屋の
オーナーはイラン人で、

ブルジュ・ハリファを含め
何十件もの不動産を
所有している人物でした。

僕の妻は、

約10年間ドバイに出稼ぎへ行き、

下働きの月収5万円から
年収1,000万円まで
上り詰めました。

途中、

彼女が働いていた
石油関係の企業。

建前上は「国際企業」ですが、

蓋を開ければ
社員の多くはイラン人でした。

重要な業務を任され、
退職時には厳しい秘密保持契約を
結んでいます。

口封じで数百万円という
大金を積まれた。

そんな経験もあります。

それほどまでに
経済的にズブズブであり、

ドバイの発展の裏には
間違いなくイランの支えと
「恩」があったはずです。

 

テヘランで見たイランの素顔

 

妻がドバイで出会った
イラン人たちは、

とにかく
人間的に温かい人たちでした。

彼女たちが言っていた、

「イランって本当にいい国なのに、制裁されて、世界中から嫌われて、悲しいよね」

その言葉が
ずっと引っかかっていました。

だから僕は
カザンからシベリア鉄道で
モスクワへ行き、

イラン最大手のマーハーン航空で
テヘランに飛びました。

実際に降り立ったテヘランは、

メディアが作り上げる
「危険な独裁国家」のイメージとは
かけ離れていました。

地下鉄の切符売り場で
チケットが買えず困っていた僕。

それを見かね
声をかけてきたおじさんは、

僕のチケット代を
おごってくれました。

巨大なケバブを
ご飯と一緒に食べる文化、

山に囲まれた美しい街並み、

ラマダン中でも
穏やかに暮らす人々。

正直、

警戒はしていました。

以前インドネシアで
両替詐欺に遭い、

マジックのような手さばきで
1万円ほど抜かれた
経験があったからです。

テヘランでも
街角に立つ両替屋のおじさんに
ドルを渡して
現地通貨に替えてもらうわけですが、

一度も騙されませんでした。

それどころか、

「本当は10枚のところ、11枚やるよ。特別だ」

と、

提示レートよりいいレートで
おまけしてくれる。

両替後に札束を
手にしていると、

「危ないからポケットにしまいな」

と声をかけてくれる。

その人自身は
何十万円もの札束を
抱えているのに、

旅行者の僕の心配を
してくれるのです。

一方で、

経済制裁の現実は
容赦ありませんでした。

VISA——使えない。
マスターカード——使えない。
国際ATM——使えない。
50万リアル=たったの1ドル。

ハイパーインフレで
札束が財布に収まらず、

建設ラッシュの途中で
放置されたビルが
街中に目立ちます。

制裁という見えない壁が、
この国の可能性を
押しつぶしていました。

あの温かい人たちが、
経済制裁で苦しみながらも
誇りを持って暮らしている。

その彼らの目に、

かつて自分たちのカネで潤いながら
裏ではイスラエルと手を組んだUAEは、

どう映ったのでしょうか。

 

お金に目がくらんだドバイ「二枚舌外交」のツケ

ではなぜ、

イランはその「仲間」に
ミサイルを撃ち込んだのか?

日本のニュースは
「米軍基地があるUAEに
イランが報復攻撃」
としか伝えません。

英語メディアですら
この構図にはほとんど
触れていません。

しかし、
米軍基地だけなら
他の湾岸諸国も同じです。

なぜUAEだけが
ここまで狙われたのか。

最大の理由は、

UAEが2020年に結んだ
イスラエルとの国交正常化
(アブラハム合意)です。

UAEはイランマネーで潤いながら、

同時にイランの最大の敵である
イスラエルを
堂々と国内に招き入れました。

2020年——

それは、コロナウイルスが
世界を覆った年であり、

奇しくも僕がYouTubeを
始めた年でもあります。

つまり、
ほんの数年前の話です。

合意の翌年には
イスラエルとUAEの間に
直行便が就航し、

初年度だけで
約25万人のイスラエル人
UAEを訪問。

観光客だけではありません。

イスラエルの富裕層が
ドバイの不動産市場に
一気に流れ込みました。

テルアビブの不動産は
世界でもトップクラスの割高。

一方ドバイは
その約半額で買え、
しかも税金はゼロ。

イスラエル人投資家にとって
ドバイはまさに
「夢の投資先」でした。

妻の元同僚は
こう話していました。

「イスラエル人の富裕層に部屋を10戸単位で販売した。一度に数億円の取引が成立して、コミッションだけで1千万円入ってきた」

その後もイスラエル系の
レストラン、ビジネス拠点、
テック企業が
次々とドバイに進出し、

イスラエル人のUAE居住者は
年々増え続けました。

僕らもアブダビから
イスラエルの経済首都
テルアビブへ飛びました。

そのときは
こんな事態になるなんて
思ってもいませんでした。

むしろ、

アラブ諸国であるUAEと
イスラエルが手を結ぶ。

世界は平和な方向に
向かうのかもしれない。

そうすら
思っていました。

しかしイランから見れば、

自分たちのカネで潤った街に、
最大の敵のカネまで
流れ込んでいる。

イラン側の反応は
激烈でした。

最高指導者ハメネイ師に
近い保守系メディア
「カイハン」は、

合意直後にこう宣言しています。

「UAEはこれで正当な攻撃対象となった」

イラン外務省もこの合意を
「戦略的愚行」
と呼びました。

革命防衛隊(IRGC)も
声明を出し、

「この正常化は歴史的な愚行であり、UAE指導部に危険な未来をもたらすだろう」

と警告していました。

それにもかかわらず、

「金になるからいいだろう」
「アメリカがついているから
大丈夫だろう」

とタカをくくった。

目先のイスラエルマネーを
優先し、

かつての恩やリスペクトを
完全に忘れ去ったのです。

これは明確な
「判断ミス」です。

 

砂上の不動産バブル

同じUAEでも、

アブダビは自国に
莫大な石油資源があります。

しかしドバイは実質的に
石油がほとんど採れません。

観光客と投資家に
「ここは安全な夢の国です」
とイメージを売ることでしか
生き残れない街が、

自ら地政学的リスクの火種を
招き入れたのです。

皮肉なことに、

攻撃の直前、
2026年1月のドバイ不動産市場は
史上最高記録
更新していました。

住宅取引額——前年比43.9%増の約551.8億AED(約2.2兆円)
取引件数——15,756件
オフプラン(未完成物件)の割合——71.27%
年間価格上昇率——約20%

つまり、

取引の7割以上が
「まだ建っていない建物」に対する
投資マネーです。

ドバイの街中で見かける建設中の高層ビルとスカイライン

そして攻撃後、
市場は即座に反応しました。

ドバイ市場指数(DFM)——−1.8%
Emaar Properties(ブルジュ・ハリファの開発会社)——−4.1%(過去約10年で最大級の日中下落幅)
Emirates NBD銀行——下落
ドバイ・イスラミック銀行——下落

実際、

妻はドバイで
不動産関連の仕事を
していたので、

当時の同僚や知り合いとは
今もつながりがあります。

彼らが口を揃えて
言っているのは、

「コロナの比じゃない」

ということです。

コロナのときは
いずれ終わるという
見通しがありました。

でも今回は違います。

「本当に終わったかもしれない」

そんな危機感を、

現地で働く人たちが
肌で感じています。

高級ホテルに
ミサイルの破片が降り、

毎日空襲警報が鳴り響く街に、

不動産を買いに来る
富裕層はいません。

目先の金に目がくらんで
恩を仇で返した結果、

彼らは一番大切にすべきだった
「安全」という
自らの生命線を
破壊してしまいました。

 

中立国オマーンすら巻き込まれた「絶望的な現実」

一方で、

今回の紛争で
極めて象徴的な出来事が
ありました。

親米の湾岸諸国が
軒並み攻撃の標的となる中、

最初の攻撃でただ一国、

UAEの隣国オマーンだけ
イランの攻撃対象から
除外されていたのです。

Le Monde(ル・モンド)紙は
攻撃初日にこう報じています。

「イランは、米イラン間交渉の仲介国であるオマーンを除く、すべての湾岸産油国に対して攻撃を行った」

僕らもオマーンには
行ったことがあります。

妻とまだ結婚する前、

2人でドバイから
車を走らせて行きました。

ドバイに似た雰囲気は
あるものの、

基本的には田舎です。

超高層ビルも人工島もなく、

世界中の投資家からは
長年「地味な国」として
見向きもされてきませんでした。

しかし彼らは、

目先のカネや発展に目が眩むことは
ありませんでした。

親米でありながらも
米軍の巨大な攻撃拠点を
国内に置くことを拒み、

隣国イランへの
リスペクトを忘れず、

決して恩を仇で返すことなく
フラットな関係を保ち続けました。

その証拠に、

2026年2月、

イランとアメリカの
間接交渉のホスト国に
選ばれたのは、

イランが自ら指名した
オマーンでした。

イランは当初候補だったトルコを拒否し、わざわざオマーンを指名。他の湾岸諸国の代表も交渉から排除するよう求めた。

攻撃される側ではなく、
止める側に立っていたのです。

僕はそこに、
「地味だがブレない国の勝利」を
見ていました。

しかし、
現実は残酷でした。

この記事を書いているたった今、

3月1日の最新の報道で、

ついにそのオマーンの商業港にも
イランのドローンが撃ち込まれました。

交渉の仲介国として
必死に中立を保ち、

平和の綱を握り続けていた
オマーンですら、

この戦火から逃れることは
できなかったのです。

ドバイが自ら招き入れた火種は、

ついに周辺国すべての
「安全」を焼き尽くし始めています。

ドバイからオマーンへ車で訪れた際の風景

オマーンの穏やかな街並み

オマーンの自然と穏やかな景色

 

自分という「軸」を見失ってはいけない

くしくも僕は、

ウクライナ戦争が始まる
約3ヶ月前、

2021年の11月に念の為
ビザを取得するために
ドバイに法人を作りました。

日本や世界に何かあったときの
「安全な逃げ口」を
ドバイに確保するためでした。

まさかそのドバイが、

ミサイルが飛び交う
最前線になるとは
夢にも思いませんでした。

カネに目がくらみ、
恩を忘れ、

自分の立ち位置を見誤って
自滅したドバイ。

欲を出さず、
相手へのリスペクトを忘れず、

自らの信念を貫いて
必死に中立を保とうとしたオマーン。

それでも、
燃え広がった火の粉から
逃れることはできませんでした。

これは国家間の話に
とどまりません。

ビジネスも、
人生も、
結局は同じです。

「自分」という
ブレない軸を
しっかり持っていないと、

いざという時に
判断を見誤ります。

目先の金や利益に
目がくらみ、

世話になった人への
恩やリスペクトを忘れた瞬間、

足元からすべてが
崩れ去っていく。

そしてその代償は、
周囲の無関係な人たちまで
容赦なく巻き込んでいく。

空襲警報が鳴り響く
砂上の楼閣は、

そんな当たり前で残酷な真実を、
僕らに突きつけています。

それでは。

 

 

追伸:

ドバイ法人を手放した
本当の理由。

ミサイル前は実は
ドバイ移住を計画していた話。

ドバイの出稼ぎで働いたからこそ
わかるドバイのさらなる裏側。

「自分だったらどうするか?」
を含めて、

詳しくは、

➡メンバー記事に書きました。

 

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