東大卒でも不幸になる時代。子どもの幸せを決める「たった一つの条件」

こんにちは、森翔吾です。

今日はちょっと
いつもより深い話をしようと思います。

テーマは、

「学歴と幸せの関係」

について。

これ、

日本に住んでいると
切っても切り離せないテーマですよね。

親としても
ひとりの人間としても
すごく考えさせられることだと思います。

というのも、

実は今朝たまたまニュース記事で、

「高学歴だけど発達障害(ADHD)」

っていうのを見たんです。

そのあとYoutubeでも
同じような話題の動画が目について。

その記事と動画を見ていて
なんというか、

胸がギュッとなるような感覚がありました。

その中で紹介されてた多くの人が、

「勉強はめちゃくちゃできるのに、社会に適応できない」

「チームプレーがどうしても苦手」

「空気が読めなくて孤立してしまう」

そんな苦しみを吐露していたんです。

いわゆる、

「学歴はあるけど、仕事ができない」

と言われてしまうタイプの人たち。

これを見て、

僕自身のサラリーマン時代の記憶や
起業してから出会った人たちの顔が
フラッシュバックしました。

今日は、

僕が会社員
そして起業家として生きてきて
肌で感じてきた、

「学歴のリアルな価値」と
「それ以上に大切なこと」

そして、

「自分の子どもたちに
どんな未来を手渡したいか」

という話を
じっくり書いてみたいと思います。

 

目次

高学歴=幸せ?という疑問の出発点

冒頭の話に戻りますが
その記事やYouTube動画を見て
思い出したのは、

僕がまだ東京で
サラリーマンをしていた頃のことです。

当時勤めていた会社に
ある男性が入社してきました。

彼は、

誰でも知っているような大企業から
僕らが勤めていた
中小企業に転職してきました。

どうやら社長の知り合いで
コネ入社みたいな感じだったんですが
経歴書を見るとピカピカなんですよ。

東大や慶応、早稲田ではありませんが
理系の優秀な大学卒でした。

「うわ、すごいエリートが来たな。」

最初はみんなそう思っていました。

でも、

一緒に働き始めてすぐに
現場の空気が変わりました。

「あれ……? なんか違くない?」

って。

彼、とにかく
「自分の役割以外のことをしない」
んです。

大企業だったら、

縦割りの組織で「あなたの仕事はこれ」って
決まっていたのかもしれません。

その範囲内なら
優秀な頭脳で完璧にこなせたのかもしれない。

でも、

僕らがいたのは20人くらいの小さな会社。

「自分の仕事」なんて境界線は曖昧で、

電話が鳴れば取るし
荷物が届けば運ぶし
誰かが困っていたら手伝う。

そういう「チームプレー」や「空気読み」が
生命線の職場でした。

なのに彼は、

「それは私の仕事ではありません」

「自分のやることは決まっていますから」

というスタンスを崩さない。

周りが見えていないというか
見ようとしないというか。

当然、現場からは不満が噴出します。

「あの人、仕事できないよね」

「なんか良い大学出てるらしいけど、全然使えないじゃん」

「◯◯大学を出てるプライドだけ高くて、現場のこと何も分かってないよ」

そんな陰口が
あちこちで聞こえるようになりました。

コミュニケーションも独特で
やっぱりどこか噛み合わない。

相手の顔色を伺うとか
その場の空気を読んで発言するとか
そういうことが致命的に苦手なようでした。

でも、本人はケロッとしてるんです。

「私は論理的に正しいことをしている」
「私は高学歴だから間違っていない」

そんな無意識の鎧(よろい)を
着ているように見えました。

役員待遇で入ってきたはずなのに
小さい会社じゃ役員もクソもない。

結局、

「仕事ができるか、できないか」
「一緒に働きたいか、そうじゃないか」

それだけが全ての現実が
そこにはありました。

 

東大卒でも「バイト生活」という現実

もう一つ強烈に
印象に残っている話があります。

東京にいた頃
知り合いの知り合いに、

「東京大学を出ているけど、就職できずにバイトをしている」

という女性がいました。

東大卒ですよ?

しかも、大学院まで出ている。

日本の学歴の頂点に立った人です。

年齢は当時、20代後半くらいだったかな。

僕も実際に会ったことがあるんですが
めちゃくちゃ良い人なんですよ。

性格も穏やかで、優しくて。

話していても
知識は豊富だし、頭の回転も速い。

「ああ、やっぱり頭いいんだな」

ってすぐに分かる。

でも、

彼女は就職できずに
いわゆるフリーターの状態でした。

本人も悩んでいました。

「仕事ができなくて、バイト先でもみんなから色々言われるんです……」

って。

彼女もまた、

コミュニケーション能力や
マルチタスクをこなす社会適応力が
一般的な基準とは少し違っていたんです。

結局、

彼女はその後
一般企業への就職は難しいと判断して
大学の研究職や教授ルートを目指す方向に
舵を切ったと聞きました。

これらの経験から
僕が痛感したこと。

それは、

「勉強ができること」と「社会で生きる力」は
まったくの別物だということ。

勉強は、

机の上で教科書と向き合って
正解のある問いを解く作業。

一方で仕事は、

正解のない問題に対して
生身の人間と関わりながら
その場の空気を読み、気遣いをして
柔軟に対応していく作業。

この2つの能力は
必ずしも重ならないんです。

「高学歴=人生イージーモード」

なんて思われがちですが
実はそんな単純な話じゃない。

幸せも成功も
学歴というモノサシだけでは
決して測れないんだなと
その時強く感じました。

 

それでも学歴が有利になる理由と、高学歴が抱える“もう一つのリスク”

じゃあ、

「学歴なんて意味がないのか?」

というと、それもまた極論です。

ここからは少し視点を変えて
ビジネスをする側
あるいは人を雇う側の視点から
学歴について話してみます。

結論から言うと、

「良い大学を出ている人の方が
一般的には成功する確率が高い」

これは、間違いなくあると思います。

サラリーマンの世界でも
起業の世界でもです。

なぜか?

理由はシンプルで、

「学歴は、その人が『努力できる人間か』を測る
一番わかりやすい証明書だから」

です。

もちろん、

地頭が良いとか、記憶力が天才的だとか
生まれ持った才能で東大に入っちゃう人も
中にはいるでしょう。

でも、

多くの高学歴な人たちは
「遊びたい気持ち」を抑えて
「眠い」のを我慢して、

何年も何年もコツコツと
机に向かい続けてきた人たちです。

その「継続する力」「努力する力」は
ビジネスの世界でも最強の武器になります。

企業が採用で学歴フィルターを使うのも
ある意味では合理的です。

例えば、

英語を使う仕事で人を雇いたい時。

「英語が話せます!自信あります!」

という資格なしの人と、

「TOEIC 900点持ってます」

という人がいたら。

どっちを採用しますか?

普通は後者ですよね。

なぜなら、

「TOEIC 900点」という事実は
その人が英語学習に対して
どれだけ努力を積み重ねてきたかの
確実な担保になるからです。

実際この英語のエピソードは
大手新聞社に努めている
知人が行っていたことです。

学歴もそれと同じ。

「この人は、嫌なことや面倒なことでも
目標のためにコツコツ努力できる耐性がある」

という信頼の証になるんです。

 

起業の世界でも「努力の筋肉」は裏切らない

これは僕自身が起業して
10年以上ビジネスをやってきて
本当に実感することなんですが、

自分でビジネスをやる上で
一番重要な才能って、

「アイデア」でも「カリスマ性」でもなく、

「地味な作業を、誰も見ていないところで
コツコツと続けられるかどうか」

これに尽きるんです。

特に最初の3年〜4年なんて
本当に孤独な戦いです。

誰も褒めてくれない。

結果が出るかも分からない。

それでも毎日
パソコンに向かって作業する。

この「孤独耐性」と「継続力」。

これを僕は
「努力の筋肉」
と呼んでいますが、

受験勉強を勝ち抜いてきた人たちは
この筋肉がすでにムキムキなんですよ。

だから、

「大学行ってない人」と「高学歴な人」が
同じスタートラインで起業したら、

確率論で言えば
高学歴な人が勝つ可能性が高い。

これは認めざるを得ない事実です。

さらに言うと、

少し儲かった時に「調子に乗らない」のも
勉強してきた人たちが多い気がします。

ビジネスって、

ちょっと上手くいって年収1000万とか超えると
人間の欲が出てくるんですよね。

「良い車買っちゃおうかな」
「タワマン住んじゃおうかな」
「夜の街で豪遊しようかな」

そうやって欲望に流されて
経費を使いすぎて自滅していく人を
僕は何人も見てきました。

でも、

努力のベースがある人は
そこをグッと堪えて
次の学びに投資したり
ビジネスを安定させることに集中できる。

そういう意味では、

やっぱり学歴(=努力の習慣)は有利なんです。

 

高学歴が陥る「2つの落とし穴」

ただし、天才じゃない僕らが絶対に無視できないこと

でもね、

ここで一つ
大きな落とし穴があります。

どんなに努力ができても
どんなに頭が良くても、

「人の気持ちが分からない」

これだと
ビジネスは絶対に失敗します。

なぜなら、

ビジネスの本質は
「人が欲しいものを提供する」
ことだからです。

「自分が作りたいものを作る!」
「俺のすごい技術を見てくれ!」

それで成功するのは、

スティーブ・ジョブズとか
イーロン・マスクとか。

そういう一握りの「天才」だけです。

ChatGPTを作るようなAI開発者や
Facebookを作ったザッカーバーグ。

彼らは、

自分の作りたいものが
そのまま世界を変えるレベルの
「天才の頂点」にいる人たち。

でも、

僕を含め、99.9%の人は凡人です。

凡人がビジネスで勝つには、

「相手は何に困っているんだろう?」

「どんな言葉をかけたら安心するだろう?」

「今、世の中は何を求めているんだろう?」

そういう
「他人の感情」や「世の中の空気」
を読み取る力が必須になります。

冒頭で話した、

「高学歴だけど仕事ができない人」

の例は、まさにここが
欠けていたんですよね。

勉強はできても
人の気持ちが分からない。

それでは、

組織でも、起業の世界でも
なかなかうまくいきません。

だから僕は起業において
学歴よりも大事なのは、

「人の痛みがわかること」
「相手の視点に立てること」

だと思っています。

まずは上手くいっている人の真似をする。

求められていることを提供する。

僕自身も、

「新しいものを生み出そう」なんて
おこがましいことは考えず、

徹底的に「求められていること」に応える。

そう決めてから
ビジネスが軌道に乗りました。

 

高学歴が抱える「見えない鎖」

そしてもう一つ。

高学歴な人ほど陥りやすい
「リスク」があります。

それは、

「レールから外れることへの恐怖」

です。

良い高校に入り
良い大学に入り
大企業に就職する。

これは、

20年前、30年前の日本における
「幸せの黄金ルート」でした。

高学歴な人たちは
子供の頃からそのルートを信じて
必死に努力を重ねてきた人たちです。

「自分は勉強して頑張ってきた」
「このレールに乗るために、遊びも我慢してきた」

そういう自負がある。

だからこそ
いざ社会に出て、

「なんか違うな?」
「この会社にいて本当に幸せなのかな?」

と違和感を感じても、

そのレールから降りることが
ものすごく怖いんです。

レールを否定することは
これまでの自分の努力や人生そのものを
否定することになってしまうから。

「サンクコスト(埋没費用)」

みたいなものですね。

これまで費やした
時間や労力が大きければ大きいほど、

「ここまでの努力を無駄にしたくない…」

という心理が働いて
損切りができなくなる。

高学歴の強みが、

「努力できること」

なら高学歴の弱みは、

「その努力という過去に、心を縛られやすいこと」

かもしれません。

 

学歴より大事なのは「自分が何を幸せと感じるか」

僕の周りには
いわゆる「成功している」と言われる人が
たくさんいます。

ドバイやロシアなど海外に住んでいる
海外移住組、

何十億という資産を持つ投資家
自由に暮らすビジネスオーナー。

彼らの学歴はどうかというと……

本当に「半々」なんです。

日本や海外の有名大卒の超エリートもいれば
高卒や中退で叩き上げの人もいる。

学歴があるから成功したわけでもないし
学歴がないから成功したわけでもない。

ただ一つ、

彼らに共通していること。

それは、

「自分の頭で考えて、自分の人生を選んでいる」

ということだけです。

世間の常識とか
親の期待とか、

「普通はこうだよね」

という同調圧力とか。

そういうものに流されずに、

「自分は何を幸せと感じるのか?」

を突き詰めて、自分で決断している。

そこには学歴なんて関係ありません。

 

「給料が良い」というサラリーマンの罠

逆に、

僕がサラリーマン時代に感じた
「罠」について話すと、

学歴があって優秀な人ほど
会社での評価も高く
給料もそこそこ良いことが多いですよね。

年収1000万円とか。

都内の良いマンションに住んで
良い車に乗って
年に1〜2回は海外旅行に行って。

一見、誰もが羨む「成功」です。

でも、だからこそ、
「辞められない」
んです。

居心地が良い(あるいは悪くない)
ぬるま湯に浸かっていると、

「外の世界に飛び出そう」

というモチベーションは生まれません。

「今のままで十分幸せなんじゃないか?」
「リスクを冒してまで変わる必要ある?」

そうやって自分を納得させてしまう。

逆に、

給料が安かったり、

「今の会社が潰れたら露頭に迷う!」
「このままじゃ将来絶対ヤバい!」

という危機感がある人の方が、

「ええい、もう自分でやるしかない!」

と、火事場の馬鹿力で
新しい世界に飛び込みやすい。

結果的にその一歩が
人生を大きく変えることになる。

中途半端な安定は時に
新しい可能性を殺す
「足かせ」になることもあります。

もちろん、

サラリーマンとして出世して
安定した生活を送ることが
その人にとっての「本当の幸せ」なら
それは素晴らしいことです。

ただ、

「なんとなくみんなが良いと言うから」
「親が喜ぶから」

という理由でその場所にいるなら
一度立ち止まって
考えてみる価値はあると思います。

 

子どもに渡したいのは「学歴」ではなく「最強のカード」

長くなりましたが
最後に、僕の子育て観について。

ここまで話してきたことを踏まえて
僕は自分の子どもたち
長女ソフィア、次女アマヤに
どんな教育をしたいと思っているか。

それは、

「選択肢(カード)をできるだけ多く持たせてあげること」

です。

「勉強しなさい」
「良い大学に行きなさい」

と強要するつもりは全くありません。

もちろん、

本人が「大学に行きたい」「研究者になりたい」
と言うなら、全力で応援します。

そのための学歴は
強力な武器になるから。

でも、

「大学に行かずにビジネスを始めたい」

と言うなら、それも応援します。

「世界中を旅してみたい」
「どこかの国に移住したい」

それも最高だと思います。

全部ミックスしてもいい。

「大学に行きながら、ネットで起業する」
「海外に住みながら、日本の仕事をする」

今の時代
生き方は無限にあります。

大事なのは、

親がレールを敷くことではなく
子どもが自分でレールを選べるように
手札を増やしてあげること。

「勉強もできるし、起業もできる」
「日本でも働けるし、海外でも暮らせる」

そんな状態を作ってあげたい。

そのために僕ができることは
僕自身が楽しそうに生きている背中を見せること。

そして、

世界にはいろんな生き方があるんだよと
実体験を通して教えてあげること
だと思っています。

結局のところ、

高学歴が幸せかどうかなんて
人それぞれです。

ただ一つ言えるのは、

「幸せの定義を自分で決められる人」

が、一番強いし、幸せになれる。

僕はそう信じています。

ちなみに、

この考えは
神戸大学などの調査結果、

「幸福度は学歴や所得よりも
『自己決定』に強く影響される」

とも一致しいて、

「所得や学歴そのものよりも自分の人生を自分で選んだという感覚(自己決定感)の方が、幸福感に大きく寄与する」

ということが分かっています。

僕たちの体験談だけでなく
客観的なデータも、

「自分の人生を選ぶこと」

が最強のカードであることを
証明していると言えますね。

あなたはどう思いますか?

もし、

「自分はレールに縛られているかも」
「本当はもっと違う生き方がしたい」

そう感じているなら
今からでも遅くありません。

自分の手で
自分の幸せを選び直してみませんか?

その一歩が、

あなたの人生を
そしてお子さんの未来を、

もっと自由に
豊かにしてくれるはずです。

それでは、また。

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