支配者側の都合で、いいようにすり替わった…日本人の「我慢」という美徳

こんにちは、森翔吾です。

今から20年ほど前、僕は
関西にある調理学校に通いながら、

同時にとあるホテルの
高級中華料理店で
バイトをしていました。

その時の決断が、

僕の人生を180度変えてしまいました。

今日は、

なぜ僕が「修行の道」を捨てたのか
そしてなぜそれが正解だったのか。

その奥に隠された日本の空気感と、

現代を支配する「搾取システム」
について、

本音で語ってみようと思います。

もし今、あなたが、

「真面目に頑張っているのに
全く報われない」

と感じているなら。

あるいは、

「苦労することが美徳」

という言葉に縛られているなら。

この記事があなたの見え方を
大きく変えるかもしれません。

 

目次

【時給300円の地獄】僕が「修行の道」を捨てた日

 

バイト時給750円 vs 社員時給300円の衝撃

まず、具体的な数字から入ります。

当時、僕がバイトで稼いでいた
時給は750円です。

それ自体、決して高くありません。
むしろ低いほうです。

ところが、

その店で働いていた社員たちの
時給を計算してみると…

月額給料:150,000円
(手取りで約120,000~130,000円)

労働時間:朝6時半に出勤、夜9時~10時に帰宅

休み:月に6日

つまり、ざっくり計算すると…

月400時間の労働 ÷ 120,000円 = 時給300円。

バイトの僕の半分以下です。

しかも、

月の休みはわずか6日。

朝は営業前に仕込みをするために
まだ真っ暗な6半時には
厨房に入っていなければなりません。

夜は閉店の片付けが終わるまで
帰ることは許されません。

プライベートの時間なんて
ほぼゼロです。

 

先輩たちの腕の火傷の跡

そこで最も衝撃的だったのが
社員たちの身体でした。

中華料理の厨房ですから、

当然として100度以上の油が入った
大きな鍋を扱います。

毎日のように
その鍋を何十個重ねて流しまで運ぶ。

ギトギトの油を落とすために
超強力な業務用洗剤を使う。

その結果、

先輩たちの腕は
火傷の跡だらけでした。

新しい火傷の跡もあれば
古い火傷が残した痕跡もある。

本来なら「危険手当」が
あるべき労働環境です。

なのに、給料は時給300円。

「修行だから仕方ない」

という一言で
すべてが正当化されていました。

 

洗剤が目に入った日

そんなある日のこと。

強力な洗剤が飛び跳ねて
僕の目に入りました。

激痛です。

目が開けられなくなって
慌てて病院に駆け込みました。

医者の診断は、

「失明の危険もあったレベル」

数日間の休みをもらい、

包帯を巻いた状態で
家で過ごすことになりました。

その包帯を巻いた数日間が
僕の人生を変えてしまいました。

包帯で片目が塞がれ
ただ天井を見上げるしかない
時間の中で、

冷静に自分の状況を
見つめ直すことができたのです。

「このまま社員になったら
どうなるのか?」

その疑問が
僕の頭を占領し始めました。

 

第2章:社員になることの恐怖

 

副料理長の誘い

傷が癒えて
数日ぶりに店に顔を出したとき。

副料理長に呼ばれました。

彼は本当に良い人でした。

いつも優しく接してくれて
僕のことを気に入ってくれている
ということは明らかでした。

「君、筋がいいから社員にならないか?」

その言葉は
普通なら大歓迎すべき申し出でした。

調理師志望の若者にとって、

有名ホテルの中華料理店の
社員になることは
確かにステータスです。

でも、僕は…

ゾッとしました。

 

10年の暗黒期

その時点で
すでに店の構造が見えていたのです。

社員になったら最低でも
3年は包丁を握らせてもらえません。

野菜の下処理、お肉の下処理。
そういった単純作業だけです。

包丁が握れるのは3年後。

鍋を振れるのは?
10年後です。

つまり、

社員になった時点で
僕の20代という最高の時間を
単純作業と下働きに捧げることになる。

帰宅は毎日深夜。

家に帰ってシャワーを浴びて
気づいたらもう深夜1時。

朝6時に起きて出勤。

趣味?
友人との時間?
学び?

そんなものは存在しません。

目に入った洗剤。
火傷した先輩たちの腕。
終わりの見えない単純作業…

全てが一つのメッセージを
発していました。

「ここは地獄だ」と。

 

「根性がない」という烙印を恐れて

その時、僕の中に迷いがありました。

「もし今、やめたら?」
「社員にならないと言ったら?」

そう思うと
ある不安が湧き出てきました。

「自分は根性がない
人間なのかもしれない。」

「社会人失格かもしれない。」

「甘えているのかもしれない。」

当時の僕は
その烙印を恐れました。

だから、

その申し出に対して
「考えさせてください」
と答えたのです。

数日間、悩みました。

そしてついに、僕は決断しました。

断る。

さらに、

料理人の道も、諦める。

 

第3章:日本の空気が仕組んだ罠

「石の上にも三年」の正体

当時は、正直ここまで
深く考えていませんでした。

ただ、

「辛い」「逃げたい」
という直感だけでした。

でも、

それから20年が経ち
自分でビジネスをするようになった、

「今」だからこそ
分かることがあります。

「なぜ日本では
『修行』『苦労』『真面目に耐える』
これらがこんなに
神聖視されているのだろう?」

「なぜ時給300円で
先輩たちは文句も言わずに
働いていたのだろう?」

気になって、最近あらためて
日本の歴史や文化を
紐解いてみました。

すると…

あの時、僕たちが感じていた
「息苦しさ」の正体が
見えてきたのです。

「みんなと同じ」じゃないと不安になる呪い

日本は、かつて農業国でした。

米作りという、

最も地味で
最も忍耐を要する産業を中心に
発展した国です。

稲作では、

村全体で一斉に同じ作業をやるため
一人だけ違うことをすると
村八分にされました。

ここに、

日本人に文化的に刷り込まれやすい
「同調圧力」と「我慢」の
ルーツがあります。

「みんなが辛い思いをしているんだから
お前も我慢しろ。」

この空気感
今の職場でも感じませんか?

上司が帰らないから帰れない。
有給を取るのに罪悪感がある。
断れない飲み会文化。

これらは全て、

形を変えて残っている
「村社会の掟」なのかもしれません。

「清貧」という美学の功罪

さらに、

江戸時代の武士道や職人文化では
「プロセス」が重視されました。

「苦労してこそ、魂が磨かれる」

「正しいプロセスを経ていれば
報酬がなくても素晴らしい」

お金儲けよりも
道を極めることが美しい。

この

「清貧(貧しいことは清い)」

という思想自体は
世界に誇れる日本の美徳でもあります。

でも、

現代においては
これが経営者にとって、

「都合のいい言い訳」

に使われていることが
問題なのです。

決定打は「戦時中」のシステム

そして、決定打となったのが
第二次世界大戦です。

ここで、
「自分を殺して、国に尽くせ」
というシステムが完成しました。

「欲しがりません、勝つまでは」

このスローガンのもと、

個人の幸せを追求することは
「悪」だとされました。

国という大きな目的のために
自分の命すら犠牲にする。

この時、日本人の脳内に
「滅私奉公(自分を殺して公に尽くす)」
というOS(基本ソフト)が
強制的にインストールされたのです。

高度経済成長期による「書き換え」

戦争が終わり、本来なら
この軍隊的なシステムは
解除されるはずでした。

しかし、消えませんでした。

なぜか?

それがビジネスで使えたからです。

戦後、

経営者たちは
この「お国のために」
というエネルギーを、

「会社のために」

へと巧みに書き換えました。

「会社=家族(運命共同体)」
「社員=企業戦士」

戦時中の「自己犠牲の精神」を
そのまま企業の利益追求に
流用したのです。

 

第4章:バブル崩壊後の「搾取システムの完成」

かつては「アメ(報酬)」があった

ただ、高度経済成長期は
まだ良かったのです。

なぜなら、

奴隷のように働けば
給料がバンバン上がったから。

「自己犠牲=豊かさ」

この方程式が成立していました。

ところが、

バブルは崩壊しました。

給料は上がらなくなった。
終身雇用も崩壊した。

つまり、

あの方程式の
「アメ(報酬)」の部分が
消えてしまったのです。

本来なら、

報酬がなくなった時点で
「じゃあ、自分を犠牲にするのはやめます」
となるはずです。

でも、

現実はそうなりませんでした。

 

「やりがい」という名の搾取

経営者たちは気付きました。

「あれ? 報酬(アメ)がなくても
労働者たちは
『修行だから』『やりがいだから』
という理由で働き続けるぞ?」

ここで、

都合の良い
「搾取システム」
完成してしまったのです。

上司は夢を語ります。

「君の成長のためだ」
「ここを乗り越えれば一人前だ」

その言葉で、
「給料が安い」「休みがない」
という現実を
誤魔化されていませんか?

「修行」という言葉で
思考停止させられていませんか?

それは、

あなたのための言葉ではなく
会社が安く人を使うための
言葉かもしれません。

 

第5章:古い修行システムだけが正解じゃない

 

「寿司アカデミー」という新しいルート

ここで、興味深い事例があります。

「飯炊き3年、握り8年」

これは、

伝統的な寿司職人の
修行期間を示した言葉です。

一人前になるのに
10年以上かかるのが常識でした。

ところが
最近注目されている、

「寿司アカデミー」

のような専門学校では
数ヶ月〜1年で技術を教え込みます。

そして、卒業生の中には
海外に渡ってすぐに活躍し
年収1,000万円を超えるような人も
出てきています。

もちろん、

長い下積みを経た職人さんの技術や精神性は
素晴らしいものです。

それを否定するつもりはありません。

ただ、

「苦労して時間をかけなければ
技術は身につかない」

というのは、絶対の真理ではない
ということが証明されたのです。

 

修行の正体:教育か、労働力の確保か

「飯炊き3年」は本当に
教育的な意味だけだったのでしょうか?

もしかしたら、

「誰かがやらなければいけない面倒な作業を
文句を言わずに激安でやってくれる
そんな人間が欲しかった」

という側面もあったのではないでしょうか。

もしそうなら、

「修行」という言葉は
「搾取」を美化する隠れ蓑
になってしまいます。

本来、

技術を教えるなら
最初から包丁を握らせればいい。

体系的に教えれば
基礎はもっと早く完成する。

その後、現場で働きながら
(正当な給料をもらいながら)
実践の中で腕を磨く。

今の時代、

そんな「効率的なルート」を選んでも
誰も文句は言えないはずです。

 

第6章:僕が見た現実と、その後

 

もし社員になっていたら…

今から20年後の世界を
想像してみてください。

あの時、

僕が副料理長の誘いに従って
社員になっていたら…

10年間、鍋を握らせてもらえない
修行期間を過ごしていたはずです。

その10年間の間に、

僕は何度も「このままでいいのか?」と
疑問を抱いたでしょう。

でも、

「修行だから」という言葉に抑圧され
思考停止していたかもしれません。

夜の9時に帰宅して
朝の6時に出勤する生活。

プライベートの時間がほぼない。
海外に行く選択肢もなかった。
ロシア人の妻と出会うこともなかった。

今の可愛い子供たちは
この世に存在していなかったのです。

 

「逃げる」という判断が、最高の選択肢だった

あの時、包帯を巻いて、

冷静に考え、

そして「逃げた」という判断。

それが、

僕の人生を180度変えてしまいました。

当時は、それを
「根性がない」「社会人失格」
と思っていたかもしれません。

でも、

20年経った今
確実に言えることは…

あの判断が、

最高の損切り(ロスカット)だった
ということです。

損失を最小化して
新しいチャンスに賭ける。

経営の世界では、これを
「戦略的な撤退」と呼びます。

僕は、その判断を
無意識にしていたのです。

 

最後に:歴史を知れば、景色が変わる

あの時、

目に洗剤が入り
包帯を巻いて過ごした数日間。

僕は、人生で最初の
「本当の意思決定」
をしました。

「このシステムから逃げよう」

その決断があったから
今の自分がある。

ビジネスを学ぶことができた。
海外に出ることができた。
妻と出会った。
ロシアに行った。
子供たちと一緒に暮らしている。
自分の人生をデザインすることができた。

日本の「修行=美徳」という感覚は
確かに古き良き伝統です。

それ自体は悪くない。

職人気質で、細部にこだわり
品質を追求する。

これは、日本が
世界に誇るべき文化です。

でも、それが、

「報酬がなくても我慢しろ」

という意味に
すり替わってしまっては
もはやそれは「美徳」ではなく、

「搾取」です。

お金の話をするのが
汚いのではなく、

正当な対価をもらわずに
働かせることの方が
よほど汚いのです。

もし今、あなたが…

頑張っているのに
生活が楽にならない。

給料が安いのに
長時間働かされている。

「修行だから」

と言われて文句が言えない
雰囲気がある。

そう感じているなら…

それは、あなたが
「ダメ人間」
だからではありません。

単に、

日本の歴史的なシステム
(同調圧力と搾取)の中で
都合よく使われているだけ
かもしれません。

その仕組みを知ること。
歴史を理解すること。

それだけで
景色は大きく変わります。

そうすることで
きっと、

「逃げる」が、

「負け」から「戦略」に
見えてくるはずです。

自分の人生を守れるのは
自分だけです。

違和感を感じたら
その直感を信じてください。

それが、次のステップへの
最初の一歩かもしれませんから。

それでは。

読み終えて、今どんなことを感じていますか?

(複数選択可能、直感でチェックしてください)

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