こんにちは、森翔吾です。
今日は、いつものような
「人生の攻略法」や「熱い教育論」
といった重たい話は一旦置いておいて。
僕が今住んでいる
極寒のロシア・カザンでの、
「ささやかな、でも最高に贅沢な幸せ」
について、
徒然なるままに
書いてみようと思いました。
……思ったんですが。
書き進めていくうちに
結局いつもの癖で、
「リンゴひとつから日本の教育を憂う」
みたいな、
面倒くさい話に
なってしまいました(笑)
まあ、
それが僕の
「日常」なんだと諦めて、
そのまま公開しようと思います。
マイナス20度の世界で
僕が何を考え
何を食べているのか。
少しだけ覗いてみてください。
マイナス20度の「思考の整理タイム」
よくブログに登場する話ですが…
僕の平日の朝は
ある「儀式」から始まります。
それは、
片道1時間半の散歩です。
「散歩」というと
優雅に聞こえるかもしれませんが、
ここの環境はそんな
生易しいものではありません。
気温はマイナス15度。
風が強い日は
体感マイナス20度を下回ります。
特に、
家を出てから30分から
1時間後くらいに差し掛かる
「旧市街への橋」の上。
ここは遮るものが何もなく、
容赦ないブリザードが
全身を叩きつけてきます。
日本の友人には、
「それ、もはや修行僧じゃん」
「何かの罰ゲーム?」
と笑われますが、
僕にとってこの時間は
なくてはならない
「聖域」なんです。
なぜなら、
この極限の寒さの中を歩いていると
脳が強制的に「フロー状態」
に入るからです。
余計な雑念が入る隙間がない。
思考を止めると寒さに負ける。
だから、
ひたすら自分の内面と向き合い、
レコーダーに向かって
ブツブツと独り言を吹き込み続けます。
「今、何にモヤモヤしているのか?」
「次のブログで何を伝えたいのか?」
「将来のボトルネックは何か?」
自分の中に溜まっていた、
「ドロドロとした不満」や
「未消化のタスク」を、
すべて言葉にして吐き出す。
そして、
あとでそれをAIに要点を
まとめてもらい客観的に分析する。
橋を渡り終える頃には、
肩に乗っていた重荷が降りて
嘘みたいに心が軽くなって
スッキリするんです。
この爽快感は、
暖房の効いた部屋で唸っていても
絶対に得られません。
500円のスープと「肉」の実験
そんな「地獄の散歩」
を終えた先に待っているのが、
僕の毎日の楽しみである
ウズベキスタン料理屋さんです。
冷え切った身体で店に入り
いつものメニューを頼みます。
・羊肉のスープ「シュルパ」(約600円)
・牛肉の串焼き「ケバブ」(約500円)
・熱い紅茶(約60円)
合計の肉の量は300gくらいある
合計1,200円弱のモーニング。
でも、
この満足度は
東京の高級ランチを
遥かに超えています。
特にスープ。
大きな鍋で何時間も煮込まれた
羊肉のエキスが
これでもかと溶け出しています。
一口飲むと、
食道から胃袋へと熱い塊が落ちていき
凍えていた内臓が「生き返る!」と
歓喜するのがわかります。
パンをやめたら「覚醒」した話
実は最近、
このメニューにある変化を加えました。
以前は、
牛肉の串焼きではなく
「サモサ」というお肉入りのパンを
食べていたんです。
美味しかったんですが
ある日ふと気づきました。
「あれ? パンを食べた日って
14時〜15時くらいに眠くなるな…」
そこで、
思い切ってパン(炭水化物)をやめ
肉の串焼きにしてもました。
「朝からお肉はちょっと重いかな?」
って思いながら。
というのも、
串焼きは200〜300gくらいの
肉の塊です。
すると、どうでしょう。
午後の眠気が、全く来ないんです。
仕事やブログを書く集中力が
夕方までずっと途切れない。
「ああ、やっぱり
パフォーマンスを作るのは
食事なんだな」
と痛感しました。
もちろん、
色々と失敗もしましたよ(笑)
以前、別のスープを頼んだ時
BB弾くらいの大きさの黒胡椒が
50粒くらい入っていて。
「身体に良いかも?」
と思って全部食べたら
さすがに胃がびっくりして
その後動けなくなったり……。
そんな「人体実験」を繰り返しながら
自分にとっての「最適解」を見つける。
たかが一回の食事ですが、
僕にとってはこれも一つの
真剣なプロジェクトなんです。
市場の「傷だらけのリンゴ」と日本の社会
食事の後は、
近くの中央市場
セントラルマーケットに寄って
買い物をして帰ります。
ここは歩いてすぐなので
そのまま立ち寄るのが日課です。
ここもまた、
僕の大好きな場所です。
特によく買うのが
「リンゴ」です。
ロシアの市場で
売られているリンゴは、
日本のスーパーに並んでいるような
ツヤツヤで形の整ったものでは
ありません。
段ボール箱の中に
ゴロゴロと山盛りに積まれている。
形はいびつだし
大きさも不揃い。
傷がついているものもあれば
熟しすぎて色が
変わっているものもある。
その辺の家の庭で、
農薬も使わずに
放ったらかしで育ったような
野生味あふれるリンゴたちです。
でも、
これを家でかじると
衝撃的に美味しいんです。
甘みと酸味が強烈で、
「リンゴって本来
こういう味だったよな」
と思い出させてくれる味。
綺麗なリンゴしか並ばない国
この、
「ゴロゴロ積まれたリンゴ」
を見るたびに僕はふと
日本のことを思い出します。
日本のスーパーのリンゴは
芸術的に美しいですよね。
傷ひとつない。
同じ大きさ、同じ色。
一つひとつ丁寧に
クッション材に包まれて
大切に並べられている。
でも、それを見ていて
少し怖くなることがあるんです。
「これって、日本の
サラリーマンみたいだな」
って。
少しでも傷(失敗)があったら弾かれる。
形(個性)が違ったら並べてもらえない。
みんな同じように綺麗に
パッケージされることを求められる。
登校拒否になった子。
レールから外れた子。
社会に馴染めなかった大人。
彼らは「傷モノ」として、
スーパーの棚
(社会のメインストリーム)から
静かに撤去されていく。
そんな「潔癖すぎる社会」を
リンゴの棚に見てしまうのです。
もちろん、
その「厳格さ」のおかげで
日本が世界一住みやすい国であることも
僕はよく知っています。
電車は秒単位で正確に来る。
夜道を歩いても安全。
どこに行っても接客は丁寧。
「腐ったリンゴ(粗悪品や危険)」
に当たる確率は限りなく低い。
その安心感と快適さは、
世界中どこを探しても
日本に勝る場所はありません。
あの綺麗なパッケージは、
僕たちの生活を守ってくれる
「質の高さ」の証明でもあります。
ただ、その恩恵の裏側で…
一方、
ロシアの市場はカオスです。
傷があろうがなかろうが
全部まとめて段ボールにドサッ!
「嫌なら自分で選べば?」
というスタンス。
売っているおばちゃんもそうです。
めちゃくちゃ愛想の良い人もいれば
喧嘩売ってんのか?
と思うくらい無愛想な人もいる。
騙してくる人もいれば
おまけしてくれる人もいる。
でも、
それが「自然」でいい面でもある。
無理して笑っていない。
無理して綺麗に見せていない。
日本の、
「みんな愛想良く、みんな綺麗に」
という強迫観念の中にいると
心の中では、
「クソ野郎!」
と思っていても、
顔では「ありがとうございます」と笑う。
そんな歪みが生まれます。
その歪みが限界を迎えた時
人は壊れてしまうのかもしれません。
僕は、
綺麗にパッケージされた
味気ないリンゴより、
傷だらけでも
酸っぱかったり甘かったりする
この市場のリンゴのほうが、
人間らしくて好きだなと思うんです。
あえて「車」を捨て、「バス」に乗る理由
市場で買い物を終えたら
バスに乗って家に帰ります。
街の中心に引っ越してきてから
車を手放しました。
ただ、
いきなり今のスタイルに
なったわけではありません。
最初は、
「車がない分、タクシーを使えばいいや」
と思っていましたし
実際によく乗っていました。
でも、
ある時ふと
「なんか、もったいないな」
と思い始めたんです。
そこから、
あえてタクシーもやめて
「バス移動」に切り替えました。
「え、不便じゃない?」
とよく言われます。
確かに不便です。
タクシーなら15分で着くところを
バスだと徒歩込みで
1時間かかりますから。
ちなみに、
ロシアで車を持つと、
維持費がかかるし
事故のリスクもあるし
部品がなくて修理に
数ヶ月かかることもある。
車を手放した背景には
そういった「余計な悩み」を
手放したかったのもあります。
でも、
あえてタクシーも使わない
一番の理由は、
「生活レベルを下げる訓練」
です。
これからの時代
いつ何が起こるかわかりません。
ビジネスが傾くかもしれない。
戦争が激化するかもしれない。
そんな時、
「タクシーじゃないと移動できない」
「綺麗なリンゴしか食べられない」
という状態だと
いざという時に
手も足も出なくなります。
でも、
「バスでも全然平気」
「市場の傷んだリンゴでも
美味しく食べられる」
という身体感覚を持っていれば
どんな状況でも生きていけます。
これは「節約」というより、
僕なりの
「生存戦略(ディフェンス)」
なんです。
「生活レベルを下げる訓練」がなぜ必要か?
なぜ、そこまで徹底するのか?
それは、
過去の強烈な原体験があるからです。
以前、妻がまだ
ドバイに住んでいた頃。
稼ぎが良かった時期でも
あえて「出稼ぎ労働者」と
同じ生活を選びました。
10畳ほどの狭い部屋を
カーテンで仕切って、
3人で住むような生活。
初心に戻り生活レベルを
極限まで落としました。
また、
ロシアの田舎に住んだ時も
家族で月5万円ほどで
暮らしていました。
その時、気づいたんです。
「生活コストが低いと
精神的にめちゃくちゃ楽だ」
と。
無理して必死に稼ぐ必要がない。
逆に、その精神状態で
仕事を頑張れば、
生活費が低い分
資産は恐ろしいスピードで増えていく。
その「勝ちパターン」を
僕は身を持って知っています。
一方でその逆のパターンも
見てきました。
ドバイなどでは
羽振りの良かった人たちが
一夜にして破産し、
惨めな状態で帰国していく姿を
すぐ近くで何回も目にしてきました。
今、僕はカザンの街の中心の
いいエリアに住んでいます。
周りを見渡せば高級車に乗って
いい生活をしている人ばかりです。
だからこそ
気を引き締めなきゃいけない。
幸い、僕自身はまだ
破綻した経験はありません。
ですが、
ここで雰囲気に流されて
「自分たちも!」と調子に乗ったら
一瞬で足元をすくわれる。
その「他人の失敗」を
脳裏に焼き付けているからこそ、
僕は今日もあえて
揺れるバスに身を任せるのです。
「整う」という幸せ
・毎朝、極寒の中を歩いて思考を整理する。
・自分に合った食事でパフォーマンスを上げる。
・市場で買った本物の食材を家族と囲む。
派手なイベントは
何一つありません。
でも、
自分の頭の中のモヤモヤが晴れ
身体の調子が整い
自分の「納得解」で一日を
選び取っている。
僕にとっての幸せは、
もうこれだけで十分すぎるほど
十分なんだと気づきました。
かつては、
「もっと刺激を!もっと成功を!」
と、外の世界ばかり見ていました。
でも、
幸せの青い鳥は
ウズベキスタン料理屋のスープの中に
いたのかもしれません(笑)
思考停止して、
ただ「美味しいね」と
終わらせるのではなく。
「なぜ美味しいのか?」
「なぜこれを選ぶのか?」
そうやって、
日常の些細なことに「意味」を見出し
自分で選択していくこと。
それが、
人生を豊かにする一番の近道だと
僕は思います。
もし、
あなたも今この瞬間に
モヤモヤしていたら。
派手なことをしなくても
一杯のスープでいい。
そこから「なぜ?」を
始めてみてください。
それでは、また。
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