こんにちは、森翔吾です。
昨晩、子供を寝かしつけている時
ふと、ある「思考実験」が
頭をよぎりました。
すやすやと眠る娘の寝顔を見ながら
自分自身に問いかけたんです。
「もし、今の41歳の脳みそ
(知識・経験)を持ったまま、
14歳(中学2〜3年生)に戻ったら
僕はどう動くだろうか?」
今の記憶を持ったまま
あの頃の自分に戻る。
SF映画のような設定ですが
真剣に考えれば考えるほど
僕の答えは明確になっていきました。
結論から言います。
僕は絶対に、
日本の進学校や有名大学を目指しません。
偏差値の高い高校に行き
一流大学に入り
大企業に就職する……。
かつて
「勝ち組」と呼ばれたそのルートには
僕らが求める
「本当の自由」も「幸せ」もないことを
今の僕は痛いほど知っているからです。
もし14歳に戻れるなら
僕はもっと実利的な、
「一点突破」の戦略をとります。
今日は、僕ら夫婦の少し変わった過去の話。
妻の「就職全滅」という挫折と
僕自身の「吃音」という苦い記憶。
それらを交えながら、
今の時代を生き抜くための
僕なりの「答え」についてお話しします。
妻の真実。「就職全滅」が人生最高の幸運だった
まず、僕の妻の話から始めましょう。
彼女はロシア人ですが
その社会人生活は
「大きな挫折」から始まりました。
今から約16年前。
ロシアの大学の英語教育学部を卒業した妻は
人生のどん底にいました。
なぜか?
彼女だけ、就職先が決まらなかったからです。
周りの友人は次々と就職を決めていく中
なぜか彼女だけが取り残されました。
真面目に勉強し
教員免許も取得したのに
採用されない。
彼女は自分を責め
絶望していました。
でも、
運命とは皮肉なものです。
失意の中、
たまたま乗ったバスの中で
彼女は一枚の広告を見つけます。
「ドバイのホテル求人募集」
英語が話せれば、誰でも応募できる。
「どうせロシアにいても仕事がないなら……」
半ばやけくそで応募したその仕事が
彼女の運命を劇的に変えることになります。
ここで、少し数字の話をさせてください。
これを読んでいるあなたは、
もし妻がロシアで無事に先生になっていたら
今どうなっていたと思いますか?
もしロシアで先生になっていたら(16年後の現在)
- 当時の初任給:月2〜3万円(地方都市)
- 現在の給料:良くて月8万ルーブル(約16万円)
- 未来:強力なコネがない限り、昇進の天井は見えている
ドバイに行った結果(10年後の現在)
- 英語スキル一本で勝負
- 10年弱で年収1,000万円クラスへ
もちろん、
ドバイに行けば
楽して稼げるわけではありません。
彼女は必死に働き、汗をかき
努力を重ねました。
そこは間違いありません。
でも、重要なのは
「努力が報われる場所だったかどうか」
です。
ロシアの地方都市で
月収数万円の教師として
コネ社会の理不尽さに耐えながら働く16年間。
世界中から富裕層が集まるドバイで
実力次第で青天井に稼げる10年間。
妻は今、笑ってこう言います。
「正直、大学に4年も行かずに
18歳で高校を卒業してすぐ
ドバイに飛べばよかったと後悔してる。
高校生の頃にはもう
英語の本を読めるくらいの英語力はあったし……。
机の上で教科書を広げて
いくら音読やリーディングの練習をしても、
『現場』で英語を使って働く経験値には
到底及ばないって痛感したから。
もっと早く現地に行っていれば
もっと早く結果が出て
もっと上に行けたかもしれないのにね」
と。
当時の彼女にとって
「就職全滅」は死ぬほど辛い出来事でした。
でも、
今の視点で見れば、それは
先が見えているレールから強制的に降ろされた
「神様のギフト」だったのです。
僕の真実。吃音の地獄から逃げるための「海外脱出」
次に、僕自身の話をします。
僕にとっての14歳は
「戻りたい」というより
「逃げ出したい」記憶の塊です。
僕は吃音(きつおん)を持っていました。
特定の言葉が詰まって出てこない
人前で話すのが怖い。
決定的なトラウマは
中学3年生の時に訪れました。
高校受験の模擬面接です。
担任の先生が面接官役をしてくれたのですが
僕は緊張のあまり、喉がキュッと締まり
声が出なくなってしまいました。
自分の名前すら
言えなかったのです。
沈黙が続く教室。
先生の気まずそうな顔。
その瞬間、僕は本能で悟りました。
「あ、日本の社会システムでは
僕は生きていけない」
減点方式の評価。
空気を読む文化。
流暢な会話を求められる面接。
このシステムの中で戦っても
僕は一生「劣等生」の烙印を押され続けるだろう。
そう確信しました。
その後、
僕は高校受験の面接から逃げるように
面接のない適当な高校に入りました。
中学までは通知表が「4」と「5」ばかりだったのに、
高校に入ってからは勉強する意欲を完全に失い
「2」や「3」が当たり前になりました。
完全に自信を喪失していたのです。
19歳か20歳の頃、
現状を変えたくてカナダへ
ワーキングホリデーに行きました。
高校卒業後
1年ほど専門学校に通い、
その後、1年近くフリーターをして
必死に資金を貯めました。
足りない分は
おばあちゃんにも助けてもらって……。
そうして、日本を飛び出したのです。
でも、
そこでも吃音の壁が立ちはだかりました。
英語が出てこない。
うまく話せない。
結局、
僕は現地で引きこもるようになりました。
誰とも深く関われず、
「せっかく海外まで来たのに
何をしているんだろう」
と自分を責め続けていました。
「場所を変えても、僕はダメなのか……」
そう思い知らされた苦い記憶。
でも、
だからこそ今の僕は
14歳の自分にこうアドバイスします。
「親に土下座してでも、今すぐ海外
(カナダかオーストラリア)の高校へ行け」
目的は「お勉強」ではありません。
「英語」という翼を手に入れて
日本の評価軸から脱出するためです。
日本の高校で偏差値を競い
良い大学に入り、良い企業に入る。
そのルートの先に、
吃音を持つ僕が心から
笑って過ごせる場所(幸せ)がないことは
41歳の僕が一番よく知っています。
だからこそ、14歳の僕は
日本のシステムに見切りをつけ、
英語圏という「別の評価軸」
で生きるためのスキルを、
死に物狂いで手に入れなければならないのです。
「場所」を変えれば、弱者は強者になる
妻と僕。
一見、全く違う人生を
歩んできたように見えますが、
実は共通点があります。
- 妻:ロシアでは「コネなしの貧乏教師」予備軍
→ ドバイでは「稼げるプロフェッショナル」- 僕:日本では「面接で喋れない生徒」
→「ありきたりなサラリーマン」
→ 29歳で脱サラし、海外で「場所を選ばない働き方」へ
二人とも、
「場所」を変えたことで
人生が好転しました。
ここで、
ロシアの現状について
少し補足させてください。
ロシアでは、公務員の給料が
極端に安い傾向があります。
それはお医者さんであっても
例外ではありません。
例えば、
僕の妻のいとこは小児科医です。
必死に勉強し、医師免許を取り
プライドを持って仕事をしています。
本当に優秀な人です。
でも、
彼女の給料は
日本や他の国と比べて圧倒的に安い。
実際に彼女は、
海外旅行に一度も行ったことがない。
パスポートすら持っていない。
人の命を預かる尊い仕事をしているのに
経済的な自由はほとんどありません。
これはソ連時代から続く習慣です。
「医師や教師は聖職であり
やりがいがあるのだから
給料は安くていいだろう」
そんな空気が社会全体に蔓延し
国に「やりがい搾取」
されているような状態です。
10年、20年前はもっと酷かった。
当時、
ロシア国内で自分でビジネスをしている人は
月収100万円、年収1000万円以上を稼ぎ
高級車に乗り、海外旅行を謳歌している。
こういう人がゴロゴロいました。
一方で、
同じ時期のお医者さんの年収は
100万円程度…
現在でも、
地方都市の勤務医の年収は
500万〜600万円程度です。
一般企業の優秀な社員や僕のように
個人でビジネスをしている人よりも
圧倒的に低い。
「人の命を救う仕事だから
お金なんて二の字でいい」
実際にその給料で生活し
世界を見る機会すら
奪われている彼らを見ると、
僕は「場所選びの重要性」を
痛感せずにはいられません。
彼女の努力が足りないわけではありません。
能力が低いわけでもありません。
ただ、
「努力が正当に評価されない場所(構造)」
にいるだけなのです。
どんなに高性能なF1カーでも
砂利道(悪い場所)を走れば
軽トラに負けるのと同じです。
この事実は、僕らに
ある真実を突きつけます。
「自分を変える努力」よりも
「場所を変える勇気」の方が
人生を変えるインパクトは大きい。
ということです。
自分自身を変えるのは難しい。
性格を変えるのも大変です。
僕自身、吃音を克服するために
血の滲むような努力をしました。
25歳の時です。
毎日3時間の発声練習を
半年間ひたすら続けました。
その甲斐あって
吃音自体は克服できました。
でも、
その努力の末に気づいたんです。
「ここまで自分を殺して努力して
ようやくスタートラインに
立てるような場所(日本の会社)で
この先も戦い続けたいか?」
答えはNOでした。
だから僕は、吃音を治した後も、
「もう一度サラリーマンとして
出世レースに戻る」
という選択は取らず
あえてそのレールには乗らず、
「場所(環境)」を変えることを選びました。
自分が「弱者」扱いされる場所や
無駄な努力を強いられる場所で
戦ってはいけません。
自分が「強者」になれる場所
あるいは努力が正当に評価される場所へ移動する。
これが、僕らが導き出した
人生を豊かにするための鉄則です。
僕は29歳の時に
それまでのサラリーマン生活に見切りをつけ
日本を飛び出しました。
今は、海外にいながら
PC一台で仕事をしています。
インターネットを使って
自分のスキルや情報を発信し、対価を得る。
そんな「場所を選ばない働き方」に
切り替えたのです。
PC一台あれば世界中どこでも働ける。
誰かに面接されることもなく
嫌な上司に頭を下げる必要もない。
かつて吃音に悩み、それを克服した僕にとって
これほど快適な「場所」はありません。
そして、この実体験こそが
僕ら夫婦の「子育ての結論」にも
そのまま直結しています。
「自分たちが救われたこの
『生存戦略』を
子供たちにも手渡してあげたい」
そう思うのは
親として自然なことでした。
なぜこの教育法なのか?(科学的根拠を添えて)
「それはお前らの個人的な
ラッキー体験だろ?」
そう思われるかもしれません。
でも、僕らの考えは科学的にも
理にかなっているのです。
根拠1:脳科学(環境の変化)
14歳前後というのは
脳の「前頭前野」が
再構築される重要な時期です。
この時期に、
海外という「異質な環境」に身を置き
多様な価値観や言語に触れることで
脳のスペック自体が大きく変わります。
日本という単一の環境に閉じこもっていては
起きない化学反応が、脳内で起こるのです。
根拠2:心理学(親の熱量・ミラーニューロン)
心理学には「ミラーニューロン」
という言葉があります。
子供は親の「言葉」ではなく
「行動」や「本音」をコピーします。
ちょっと話はそれますが
僕はロシアのカザンで、
毎日マイナス10度の中を歩いてでも
大好きなウズベキスタン料理を食べに行きます。
なぜなら、心から好きだから。
美味しいし、手作りで
体に良いと知っているから。
その熱量は、理屈抜きで伝わります。
教育も同じです。
親が、
「みんながやってるから」
「将来のためになるらしいから」
という理由でやらせる教育は
子供にすぐ見抜かれます。
逆に、親自身が、
「英語は絶対に必要だ」
「海外経験は人生を変える」
と心から信じていれば
その「熱量」は子供に伝染します。
僕の場合、この教育方針には
「過去の自分へのリベンジ」
という意味も含まれています。
高校受験で失敗し
カナダで挫折した僕。
人前で話せず
英語が出てこなかった僕。
そんな過去の自分が抱えていた
コンプレックスやトラウマを
子供たちには味わわせたくない。
むしろ、子供たちを通して
「乗り越えたい」
と思っているのかもしれません。
過去の自分を救済するような気持ち。
その切実な思いがあるからこそ
僕の言葉には熱がこもるのです。
「羅針盤」は、あなたの過去に埋まっている
もし、
あなたが今子育てに迷っているなら。
あるいは、独身で自分の人生に
行き詰まりを感じているなら。
ぜひ、
今回僕が提案したこの
思考実験をやってみてください。
「今の記憶を持ったまま
中学3年生に戻ったら何をするか?」
そこで思いついた答えこそが、
あなたが本当に価値を
感じているものであり、
あなたの人生の「羅針盤」
になるはずです。
なぜなら、
そこで出てくる答えには
あなたの
「過去の挫折(リベンジ)」や
「幸せな記憶(ルーツ)」
が詰まっているからです。
僕の場合で言えば
戻ったら間違いなく、
「英語」
と
「パブリックスピーキング
(人前で話す技術)」
を極めます。
実は、僕がこうしてブログを書いたり
YouTubeで発信したりしている裏には、
かつて吃音で苦しみ
カナダで英語が話せず挫折した、
「過去の自分へのリベンジ」
という側面があります。
「もっと流暢に話したい」
「堂々と自分を表現したい」
この想いは吃音を克服した今でも
消えていません。
今は子供が小さいので
どうしても、
「仕事をしてお金を稼ぐこと」
にベクトルが向いています。
でも、
子育てが落ち着いて
まとまった時間ができたら、
僕は必ずまた英語やスピーキングを
極めるつもりです。
それが僕の人生の「指針」だからです。
一方で、
ポジティブな原体験もあります。
それは「旅」です。
子供の頃、両親は何度も
長野県の勤務先の保養所へ
連れて行ってくれました。
決して豪華な旅行ではありませんでしたが、
あの時のワクワクした記憶が
今の「旅好きの僕」を作っています。
ここでもう一度
繰り返させてください。
「過去の挫折(リベンジ)」と
「幸せな記憶(ルーツ)」。
タイムスリップした時に
やり直したいこと。
そこには
この2つが隠されています。
中途半端な目標を立てるより、
この「根っこ」にある想いに従ったほうが
人は圧倒的なエネルギーを出せるのです。
だからこそ。
この思考実験で導き出した答えは
そのまま「子供への教育指針」
にもなります。
僕ら夫婦の場合
共通のテーマは、
「英語(言語)」と「旅」
です。
僕らは子供たちに
英語や多言語の習得を最優先にします。
数学も教えますが
他の科目の成績が悪くても気にしません。
なぜなら、
僕らのゴールは
「大学受験」や「就職」ではなく、
「自分の力で考え、稼ぎ
サバイバルする能力」
を身につけさせることだからです。
そして、家族で旅をします。
僕と妻がベトナムの一人旅で
出会ったように
旅は人生の可能性を広げてくれます。
ちなみに、
ロシアやヨーロッパでは
子供を置いて夫婦だけで
1週間のバカンスに行くのが普通です。
タイやドバイ、エジプトのビーチへ行き
大人だけの時間を楽しむ。
もちろん、
それはそれで悪くはないと思いますし
その文化を尊重します。
でも、
僕はどうしても
懐疑的な考えを持ってしまうのです。
自分たちだけ楽しむことは、
裏を返せば
「子供たちにその別の世界を
見せてあげられない」
という、
機会損失を生み出している
と言えるんじゃないか?と。
だから、
「子供を連れ回して可哀想」
なんて外野の声は無視して、
僕らは僕らなりの「旅の英才教育」と
「家族の絆」を大切にするのです。
最後に:あなたと、未来の子供たちへ
もちろん、
子供にこの生き方を強制はしません。
もし子供が、
「絵を描きたい」「ダンスがしたい」
と言えば、全力で応援します。
でも、
親としての役割はこうあるべきだと
そう考えています。
「みんなと同じ大学に行き、就職しなさい」
という思考停止なアドバイスはしない。
代わりに、
こう言える親でありたい。
「こういう裏ルート(攻略法)があるよ。
パパとママはこれで人生を救われた。
君はどうする?」
と。
人生は一度きりです。
学校の成績なんて
長い目で見れば些細なことです。
大事なのは、
どの国、どの環境なら
あなたや、あなたの子供が
「自分らしく」笑って
豊かに暮らせるかを知ること
です。
最後に、
これからの時代について一つだけ。
「AIが進化すれば
英語なんていらなくなる」
という意見があります。
確かに、
旅行や簡単な会話なら
自動翻訳で十分でしょう。
でも、
商談や深い人間関係を築く時
間にロボットを挟んで
心が通い合うでしょうか?
微妙なニュアンスや感情の機微は
やはり自分の言葉で伝えなければ
届きません。
僕ら夫婦が英語のおかげで出会い
深い絆を結べたように。
AI時代だからこそ
生身の言葉の価値は
逆に高まると僕は信じています。
あなたも、
この思考実験を通じて
自分だけの「人生の攻略法」を
見つけてみませんか?
その「答え」さえ見つかれば
退屈な日常を切り拓くことができます。
そしてそれは、
あなたと子供たちが
この世界をサバイバルするための
最高の指針になるはずです。
読み終えて、今どんなことを感じていますか?
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