妻との「小さな別居」が突きつけた。僕は紙一重で「社会不適合者」だと言う痛い事実

こんにちは、森です。

今回の記事は
過去に書いた、

「ある2つの記事」の
の答え合わせ
になってしまいました。

1つは、

「夜型人間と命綱の話」。

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もう1つは、

「夫婦の小さな別居の話」です。

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この2つで書いた「理論」が、

僕の身に現実として
襲いかかってきました。

もし時間があれば、

先にこの2つの記事を
読んでみてください。

これを読んでいるかどうかで
この後の僕の

「崩壊」と「気づき」

の重みが
数倍、いや数十倍
変わってくるはずですから。

 

目次

除雪車が道を拓く、1月5日の月曜日

今、僕はロシアの雪道を
一歩ずつ踏みしめながら
歩いています。

今日は2026年1月5日、
月曜日。

ロシアの長い
冬休みの中盤ですが、

週明けということもあり
街は少しずつ動き出しています。

昨日までの景色は、

言葉通り「絶望的」な
白一色でした。

1月3日、4日の二日間、
ロシアの街は
深い眠りについていました。

除雪作業員も正月休み。

たまたまの大雪で降り積もった
30センチ、40センチという雪が
そのまま放置され、

道路は消え
車はスタックし、

歩行者は雪山を登るような
苦行を強いられていたんです。

それが今日、

朝起きて外へ出ると、
景色が劇的に変わっていました。

唸りを上げて走り回る
除雪車。

そして、あちこちに見える
「オレンジ色の服」を着た
作業員たち。

彼らは巨大なスコップを手に
驚くべき手際で
道を拓いていきます。

僕は7年前に
ロシアのカザンに来ましたが、

当時はこれほど
除雪体制は整っていませんでした。

大雪が降れば
街が止まるのが当たり前。

でも今は違います。

数時間もあれば、
大きな歩道が綺麗に雪かきされ、

昨日とは比べものにならないほど
歩きやすくなる。

この「整っていく道」を見ながら、

僕は自分の脳内でも
一つの、巨大な除雪作業が
始まっているのを感じていました。

1月1日から約10日間。

僕は家族と離れて過ごす、

「小さな別居」

期間。

まだ半分しか経っていませんが
一人で思考を深め続けた結果、

僕の人生を塞いでいた
「正体不明の生きづらさ」が、

音を立てて
取り除かれていく感覚。

これは、

僕が提唱してきた
2つの理論に対する、

最終的な「完結編」
とも言える記録です。

 

夜型人間の「敗北」と、3日目の崩壊

今回の10日間は
僕にとって一つの賭けでした。

「家族という制限から
完全に解き放たれたとき、
自分はどれほど高く飛べるのか?」

という実験です。

妻の提案で始まった
この自由時間。

僕は意気揚々と、

「夜型人間」

の本能を解放しようとしました。

以前のブログで書いた通り、

僕は夜になると
頭が冴え渡るタイプです。

「深夜こそが
俺のゴールデンタイムだ!」

と信じ、

誰にも邪魔されない深夜3時まで
パソコンに向かいました。

最初の1日、2日は
最高でした。

「パパ、遊んで」
と袖を引く子供もいない。

「ご飯だよ」
と呼ぶ妻もいない。

朝早く起きる必要もない。

YouTubeで
お笑いを見るつもりが、

気づけば将来の構想を
何千文字も書き殴っている。

疲れを知らないフロー状態。

スーパーマリオで
スターを取ったような無敵感。

「これこそが、
俺が求めていた本当の自由だ」

僕はそう確信していました。

今思えば、

あの確信には、
かなり危うい勘違いが
含まれていました。

僕はずっと、

「夜型人間であること」
を、

一種の才能のように
扱っていた

のだと思います。

昼間は集中できない。

朝は頭が働かない。

だから仕方がない。

「自分はそういう人間なんだ」

という言葉を、
免罪符のように
何度も使ってきました。

昼にうまくいかないと、

「ほらな」と心の中で呟く。

夜に少し調子が出ると、

「やっぱり俺は夜型だ」

と、
自分を正当化する。

その繰り返しです。

振り返ってみると、

この構図は、
人生のあらゆる場面で
何度も登場していました。

夜中に集中して作業し、
一時的に気分が高揚する。

何か大きなことを
成し遂げたような
錯覚に陥る。

でも、

翌日、あるいは数日後。

生活リズムは崩れ、
体調は落ち、

結局、
全体としてのパフォーマンスは
確実に下がっていく。

それでも、

僕は何度も
同じことを繰り返しました。

なぜなら、

その失敗を
「夜型人間だから仕方ない」
の一言で、

片づけてしまっていたからです。

今なら分かります。

あれは、

夜型人間という特性を
理解していなかったのではなく、

理解したつもりで
思考を止めていただけ

だったのだと。

夜型人間は夜型人間。

それ以上でも、
それ以下でもない。

この言葉を、

僕はずっと
「思考停止の結論」
として使ってきました。

「だから昼は無理」

「だから夜しかない」

そうやって、

自分の行動や環境を
一切、疑わず、

失敗の原因を
すべて体質のせいにしていた。

何十回も、

同じ自滅パターンを
経験しているにも関わらず、

です。

今回の「小さな別居」で、

家族という補正装置が外れ、

夜型の本能を
思う存分、解放したとき。

僕は初めて、

この構造が
ごまかしようもなく
露出する瞬間に
立ち会いました。

「夜型であること」が、

才能どころか、

使い方を間違えれば
簡単に自分を壊す
危険物になる。

その事実を、

頭ではなく、
身体と生活そのものを通して
思い知らされた。

だからこそ、

今回は逃げられなかった。

「夜型人間は夜型人間だよ」

という、
あの便利な一言で、

思考を打ち切ることが
できなかったんです。

ここで考えなければ、

この先も一生、

同じ失敗を
繰り返すことになる。

そんな、

静かな恐怖だけが、

吹雪の中で、
はっきりと残っていました。

社会的時差ぼけの正体

しかし、

3日目に異変が起きました。

朝、一度は目が覚める。

でもベッドでダラダラと
YouTubeを見続けてしまい
気づけば二度寝。

ハッと起き上がったとき、

部屋はすでに
薄暗くなっていました。

時計は夕方の16時。

冬のロシアでは
15時を過ぎれば
太陽は沈みます。

窓の外は猛烈な吹雪。

僕は、一日という時間を
ベッドの上で溶かし、

昨夜の闇から
今夜の闇へと、

一歩も外に出ることなく
スライドしてしまったんです。

そのとき感じたのは、

鉛のように重たい身体と
強烈な罪悪感。

そして、

何かに
「取り残された」
という恐怖です。

無理やり身体を
引きずるようにして
外へ出ましたが、

身体は悲鳴を上げていました。

頭には霧がかかり
肩はバキバキに凝り固まり、

首には鈍い痛みが走る。

あんなに冴えていた脳が、
3日間で完全に
「機能不全」に陥ったのです。

ここで、

前回のブログで書いた
「社会的時差ぼけ」
という言葉が、

実感を伴って
胸に突き刺さりました。

夜型である僕たちの体内時計は、

社会の時計と
常にズレています。

家族がいるときは、

そのズレを無理やり
「朝のルーティン」が
補正してくれていました。

でも、

その補正を失った瞬間、

僕は際限なく
夜の海へ漂流し、

自分の力では
戻ってこれなくなってしまった。

夜型人間にとっての自由。

それは翼ではなく、

方向感覚を失わせる
深い霧のようなものでした。

 

再生のハック。昼間に「深夜」を作り出す

たった数日で体調を崩し、
雪道で立ち往生しながら、
僕は必死に考えました。

「なぜ、あれほど
深夜にこだわっていたのか?」

「なぜ、朝の活動ではダメなのか?」

そこで、

僕の脳のメカニズムに関する
ある衝撃的な事実に気づきました。

僕が深夜に
フロー状態(超集中)に入れる
最大の理由は、

単に「時間が夜だから」
ではありません。

脳のメモリを消費させる
「他者のノイズ」
がゼロになるから

だったんです。

街中の「無意識のメモリ消費」

今回、

雪に埋もれた
ロシアの街を歩いていて
それを確信しました。

街中を歩くとき、

僕たちの脳は無意識に
膨大な処理を行っています。

向こうから来る歩行者と
ぶつからないよう、
瞬時にルートを計算する。

雪に覆われた細い道は特に
普段以上に意識を使います。

また、

通常の場合であっても
信号機の赤・青を判別する。

車の走行音に注意を払う。

これらは一つ一つは
些細な動作です。

しかし、

この「無意識レベルの判断」こそが、

脳のパフォーマンスを奪っている
最大の犯人でした。

街中で深い思考をしようとしても、

信号一つ、
他人とのすれ違い一つで、

思考の糸は
プツプツと切れてしまう。

深夜が集中できたのは、

この「他者の気配」が
街から完全に消えるからに
過ぎなかったんです。

「誰もいない河川敷」という装置

なら、

深夜じゃなくてもいい。

僕が見つけた生存戦略は、

「朝、誰もいない川沿いを
90分歩くこと」

でした。

川沿いの、
視界が広くて、
信号もなくて、

人とすれ違うことも
ほとんどない広い道。

そこを歩いているとき、

僕の脳は
街中を歩くときとは
比較にならないほど解放されます。

マイナス20度でも、

ホワイトアウトして
前が見えないような
極寒のロシアであっても、

その、

「誰もいない空間」

さえあれば、

僕は昼間でも
深夜3時と同じフロー状態を
引き出すことができる。

わざわざ健康を害して、

太陽を無視して
深夜に起きる必要はない。

むしろ、

太陽の光を浴びて
ビタミンDやセロトニンを
生成しながら、

まるで、

「深夜のような静寂の中」

に身を置いているような環境。

これこそが、

現代社会に生きる
夜型人間(見張り番)が取るべき、

唯一にして最強の
「納得解」でした。

 

家族という「重力」が消えて、見えた僕の正体

静寂の中で歩いていると
思考は自然とこの、

「10日間の孤独な実験」

の意味へと
向かっていきました。

「なぜ、僕は家族と離れる
時間が必要だったのか?」

それは、

家族という「バリア」
がない状態の自分を一度
正視したかったからです。

鏡としての「小さな別居」

この数日間で突きつけられたのは、

すごくシンプルな
僕という人間の「核」でした。

かつて、

自分一人きりで
過ごしていた頃のことを
ふと思い返してみました。

一人になった瞬間、

僕の世界からはあらゆる
規律やルールが消えました。

食事は適当になり、
睡眠は際限なく崩壊し、

身なりを整える意欲すら
どこかへ消えかかった。

そこで僕は気づいたんです。

僕は、

「自分一人の幸せ」のために
頑張ることがこれっぽっちも
できない人間なんだ

という事実に。

「一人の時間」という猛毒

多くの人は「自由」を求めます。

誰にも邪魔されない時間を
欲しがります。

でも僕のような、

もともと自分を律するのが
少し苦手な人間にとって、

制限のない自由は
自分を見失わせる
「甘い罠」のようなものでした。

家族という、

「他者の視線」や「守るべき責任」
という重力がないと、

僕はどこまでも、

暗く、深い、自分だけの内界へ
沈み込んでいってしまう。

もし家族がいなければ
僕はきっと、

このロシアの雪に埋もれた部屋で

誰とも話さず、
太陽も見ず、

ただ思考の海に溺れて
消えていってもいいとすら
思ってしまう。

……まあ、

流石にそこまで極端な話には
ならないでしょうが、

働く意味や稼ぐ目的を忘れ
ただ時間だけが過ぎていくような、

何の生産性もない
無駄な生活を送っていたに
違いありません。

そんな、

「社会の境界線」に立つ
危うい自分を、

この孤独な10日間が
まざまざと映し出していました。

不自由という名の「形」

正直に言うと
これまでは、

家族がいることによる「不自由」を
ストレスに感じたこともありました。

でも、

その不自由こそが
僕という形のない人間に、

「まともな大人」

としての形を
与えてくれていたんです。

この、

「小さな別居」

は、僕に
自由を与えたのではありません。

僕がいかに家族という枠組みに
「生かされていたか」を
突きつけるための、

避けては通れない
儀式だったのだと確信しました。

 

「小さな別居」と「自己探求」から生まれた相乗効果

今回の別居期間は、

「ただ一人の時間を持つ」

だけではありませんでした。

僕たち夫婦は、

ここ2〜3年
お互いに1週間から10日ほどの
「一人の時間」を作り合っています。

11月には妻が長女を連れて
アブハジアへ旅に出ました。

そして3月には、

彼女はジョージアへ
完全な一人旅に出る予定です。

周りのママ友からは、
「ありえない!」
と驚かれます。

6歳と3歳の子供を置いて、

ママが一人で海外へ行くなんて
常識外れだ、と。

「旦那さん、嫌がらないの?」

と聞かれるそうですが、

僕はむしろ
快く送り出します。

なぜなら、

日常から物理的に距離を置くことで
日々のストレスという名の「借金」が
チャラになることを知っているから。

リフレッシュして帰ってきた妻は、

僕や子供たちに対して
驚くほど優しくなれます。

そして僕もまた、

こうして一人になることで
自分自身を深く
見つめ直すことができる。

この好循環こそが、

僕たちの夫婦円満の秘訣であり
人生を豊かにする
最強のエンジンなんです。

夜型人間としての「現代への適応」

今回の僕の自己探求のテーマは
結果的に、

「夜型人間の生存戦略」

になりました。

意気揚々と夜更かしをして
見事に撃沈した3日間。

いつもなら、

そのまま体調不良を引きずって
なあなあで終わっていたでしょう。

でも今回は、

そこからさらに一歩踏み込んで
「なぜダメなのか」
を深掘りしました。

その結果、

「夜型だからといって
夜に生きる必要はない」

という結論に達しました。

かつて、

狩猟時代や稲作時代の
「見張り番」として
重宝された夜型の能力。

しかし、

現代社会において
深夜の見張りは
もう必要ありません。

必要とされていない場所で
無理に戦おうとするから、

社会との摩擦で生きづらくなる。

だから僕は、

自分の能力(集中力)を使う場所を
スライドさせた結果、

「朝の誰もいない川沿い」

そこに、

擬似的な「深夜」を作り出し
太陽を浴びながらフロー状態に入る。

これこそが、

夜型人間が現代社会で生き残るための
もっとも合理的な「修正パッチ」でした。

人生を「修正」していく面白さ

「小さな別居」

で一人の時間を作り
そこで「自己探求」をして
自分のバグを見つけ出し修正する。

この繰り返しが、

僕の人生を確実に
良くしてくれています。

正直、

言葉に不自由なロシアで
一人で子供の面倒を見るのは
めちゃくちゃ大変です。

最初は不安でいっぱいでした。

でも、

やってみたら案外なんとかなるし
何より、

その先にある「発見」が
苦労を遥かに上回る。

自分自身が生きやすくなり、
夫婦関係も良くなり、

結果として
家族みんなが笑って過ごせる。

そんな未来が手に入るなら
たまの「小さな別居」も
悪くないものですよ。

雪解けの道を歩きながら
そんなことを確信した
1月5日の朝でした。

それでは、また。

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