森翔吾です。
今日は1月12日
月曜日。
ロシアでは
長い長い正月休みが明け
ようやく新学期が始まりました。
朝、子供たちを保育園に送り届け
その足でいつものように
歩き始めました。
12日ぶりの「日常」です。
久しぶりに歩く歩道は
休み中の景色とは
一変していました。
年末年始の大雪で、
昨日までは足がズボズボと埋まり
歩くのさえ困難だった道が、
驚くほど綺麗に除雪され
何事もなかったかのように
スタスタと歩ける。
当たり前のことのようですが、
この「当たり前」を
作ってくれた誰かが、
確実にここにいたのです。
もし、
この街に除雪車という
システムがなく、
僕一人がスコップを持って
この道を切り開こうとしたら
どうなっていたでしょう?
おそらく、
目的地にたどり着く前に
日が暮れて、
僕は雪の中で
立ち尽くしていたはずです。
「一人で歩いているつもりでも、僕たちは誰かが整えてくれたインフラの上を歩かせてもらっている」
そんな、
少し謙虚で
温かい感謝の念を抱きながら
歩いていたのですが……。
ふと、
昨日までの僕が
家のリビングで繰り広げていた、
「ある孤独な戦い」
のことを思い出し
苦笑いしてしまいました。
実はこの冬休み、
僕はまさに、
「たった一人で
積もり積もった大雪を
スコップ一本で
どうにかしようとしていた」
ような、
滑稽で必死な時間を
過ごしていたからです。
雪山ではなく
湿度計を相手に。
スコップではなく
ヤカンを武器に。
今日は、
そんな僕の
「敗北」の話を
しようと思います。
もし今、
あなたが仕事や人生で、
「これだけ頑張っているのに
なんで成果が出ないんだ」
と自分を責めているなら。
今日の話は、
きっとあなたの肩の荷を
少しだけ軽くできるはずです。
加湿器とヤカンと、40%の絶望
僕ら家族は、
2025年に完成したばかりの
新しいマンションに
住んでいます。
まだ住人はほとんどおらず、
全世帯の1〜2割ほどしか
入居していません。
外の気温はマイナス10度以下。
極寒のロシアの冬です。
僕にはこの冬、
絶対に死守しなければならない
ミッションがありました。
それは、
「部屋の湿度を
50%以上に保つこと」
です。
過去の記事を
読んでくれている方は
ご存知かもしれませんが、
僕は以前、
子供たちが相次いで肺炎になりかけ
家族崩壊の危機に瀕した
とても苦い経験があります。
僕がトルコに家出して
離婚寸前までいったという話。
長女ソフィアが3歳、
次女アマヤが
生まれたばかりの0歳の時。
子どもたちが半年で合計5回も
入れ替わりで入院しました。
ソフィアに関しては特にひどく、
「このまま死んでしまうんじゃないか」
と本気で思った夜がありました。
妻とは連日ぶつかり合い
家族崩壊寸前だった。
あの半年間のことを思い出すと
今でも胸がざわつきます。
当時の僕は、
加湿器なんて
ほとんど使っていませんでした。
ロシアの冬は
恐ろしいほど乾燥します。
壁に取り付けられている
ラジエーターヒーターの影響で、
室内の湿度が20%を切ることは
珍しくなく、
ひどい時は
10%台まで下がることもある。
これは科学的にも
証明されていることですが、
湿度が低いと
ウイルスの活動が活発になります。
日本でも
冬にインフルエンザが流行るのは
乾燥が原因ですよね。
ですが、
湿度が40%、
できれば50%まで上げれば
ウイルスの繁殖を
抑えられる。
それを知ってから
ここ1〜2年は
加湿器を使い始めました。
すると、
以前は毎朝のように感じていた
喉のイガイガや痛みが
嘘のように消えたんです。
湿度20%と50%では
体の楽さが
雲泥の差でした。
もちろん、
子供が保育園から
風邪をもらってくるのは
防げません。
それは集団生活をしている以上、
避けられないことです。
でも、
せめて家の中の環境を整えて
重症化するリスクだけは
減らしたい。
そうすれば、
また入院が続いて
夫婦関係がギスギスして
僕も仕事ができなくなる……
あの地獄のような日々を
繰り返さなくて済む。
だから僕は、
「湿度50%死守」
を自分に課していたんです。
「乾燥→ウイルス活発→病気になる→家庭が崩壊」
という図式が
トラウマレベルで
刻み込まれている僕は、
とにかく湿度管理に
命をかけていました。
5リットル入る大型の加湿器を2台
フル稼働させました。
設定はもちろん「強」。
水がなくなれば
すぐに補充し、
24時間体制で
蒸気を出し続けました。
しかし、
湿度計の数値は
「40%」から
ピクリとも上がりません。
むしろ30%台に下がることも。
クリスマスあたりから
ずっとこの状態が
続いていました。
「なんでだ?」
焦った僕はキッチンで
大きなヤカンに水をなみなみと入れ、
3時間も4時間も
沸騰させ続けました。
換気扇も止め
家の中をサウナのように
しようと試みました。
電気代?
ガス代?
そんなことを気にしている
余裕はありません。
家族を守るために、
この部屋を安全な場所に
しなければならない。
その一心で、
僕は一人
戦い続けました。
でも、
結果は残酷でした。
どれだけ加湿器が唸りを上げても
どれだけヤカンが悲鳴を上げても。
湿度は頑として
「40%」の壁を
超えてくれませんでした。
「僕のやり方が悪いのか?」
「加湿器の性能が足りないのか?」
「このマンションの気密性が低いのか?」
自分の無力さに打ちひしがれ
途方に暮れていました。
そんな湿度と格闘していた僕
だったんですが、
ながい冬休みが明ける
前日の話です。
ふと湿度計を見ると、
目を疑いました。
「60%」
え?
何もしていないのに
いきなり60%?
頭が混乱しました。
外の湿度が
急に上がったのか?
いや、
気温は相変わらず
マイナス10度前後。
何も変わっていない。
なんだ、これは……?
しばらく考えて、
ハッとしました。
休みが明け、
海外へ行ったり
田舎へ帰省していた住人たちが
マンションに戻ってきたんだ。
隣の部屋に
人が戻ってきて
暖房をつける。
すると、
その熱が壁を伝わって
僕の部屋に届く。
2軒隣の部屋にも
人が戻ってくる。
その熱が
また隣へと伝わる。
3軒隣、4軒隣……
10軒隣の住人は
直接は関係ないかもしれない。
でも、
間接的には
確実に繋がっている。
建物全体が
一つの生き物のように
温まっていく。
その連鎖の中で、
僕の部屋の環境も
劇的に改善された。
これまでは、
上下左右の部屋が空っぽで
冷え切っていたから、
僕の部屋のヒーターが
24時間フル稼働で
頑張り続けていた。
その熱が
空気を焼き尽くして
乾燥させていたんです。
でも、
周りが温かくなったおかげで
僕の部屋のヒーターは
そんなに頑張る必要がなくなった。
結果、
空気が焼かれることなく
湿度が爆発的に上がった。
ただそれだけのことでした。
加湿器の水は
全然減っていません。
ヤカンも沸かしていません。
ただ、
人が戻ってきただけ。
その瞬間、
僕は膝から崩れ落ちそうに
なりました。
「俺が必死にヤカンと格闘していた
あの時間と労力は何だったんだ……」
安堵と共に押し寄せたのは、
強烈な脱力感でした。
「正攻法」が自分を傷つける時
今回の加湿器の一件で
僕は痛烈に学びました。
「湿度が低いなら
水蒸気を足せばいい」
これは、
理論的には100%正しい
「正攻法」です。
でも、
マンション全体が
冷え切っているという
「環境」の前では、
個人の正攻法など
焼け石に水でした。
なぜなら、
周りの部屋が空っぽで
冷え切っているため、
僕の部屋のヒーター(暖房)が
室温を保とうとして、
24時間フルパワーで
稼働し続けていたからです。
ヒーターが熱を持てば持つほど
空気は猛烈に乾燥します。
つまり、
僕が必死に加湿するそばから、
フル稼働の暖房が
それを焼き尽くしていた。
アクセルとブレーキを
同時に全開にしていたような
状態だったのです。
環境を無視して無理に
ヤカンを沸かし続けることは、
ガス代を浪費し、
僕自身の精神を
すり減らすだけでした。
もちろん、
この必死の抵抗のおかげで
湿度が20%まで落ちることなく、
結果的に、
家族が風邪をひかずに
済んだのかもしれません。
「だから無駄じゃなかった」
「必死になってよかったじゃないか」
そう言われればそうだったと
信じたい自分もいます。
でも、
僕がここで言いたいのは
結果論ではありません。
「一人で必死に維持する40%」と
「流れに乗って手に入れる60%」の
圧倒的な難易度の差
の話です。
僕たちは往々にして、
うまくいかない時ほど
この「正攻法」に
すがろうとします。
「もっと努力すれば」
「もっと時間をかければ」
「もっと効率を上げれば」
そうやって、
自分のリソース
体力、時間、精神力
を限界まで注ぎ込み、
必死になって
ヤカンを沸騰させ続けます。
でも、
もしその努力が
報われないなら。
それはたぶん
能力が低いからでも、
努力が足りないからでも
ないかもしれません。
単に、
「場所」か「タイミング」
がズレているだけ
かもしれないのです。
加湿器をフル稼働しても、窓が全開なら意味がない
話はかれこれ
20年近く前のことになります。
僕がまだ
20代前半だった頃。
サラリーマン時代、
僕は一度だけ
ブラック企業と呼ばれるような会社に
いたことがあります。
そこでは、
広告系の施工管理のような
仕事をしていたため、
現場の作業が
深夜に及ぶことが
頻繁にありました。
そもそも、
1日8時間で終わるような
世界ではなかったんです。
1日13時間、14時間労働は
当たり前。
週末だって
当然のように休日出勤がある。
特に現場担当の人たちは
深夜の施工が終わる頃には
もう終電がなくなっています。
家に帰る手段がないから
仕方なく会社に戻って
寝るしかなかったんです。
僕はたまにしか
その状況にはなりませんでしたが、
会社の硬い床の上に寝袋を敷いて
雑魚寝している彼らの姿を見て、
「あまりにかわいそうだ……」
と、いつも心を痛めていました。
みんな疲弊しきっていましたが、
「これが仕事だ」
「これがサラリーマンだ」
と自分に言い聞かせ
歯を食いしばって働いていました。
ある時、
僕は全社ミーティングで
社長に提案しました。
「会社で寝袋で寝るのは異常です。
せめて近くのホテルに泊まれるように
経費を出してあげてください」
すると社長は、
顔を真っ赤にして
みんなが見ている前で
激怒しました。
「甘ったれるな!
みんな必死でやってるんだ!
何も知らない奴が言うな!」
僕はその時、悟りました。
ここでどれだけ良い提案をしても
(ヤカンを沸かしても)、
この会社という
「場所(環境)」
が変わらない限り、
湿度は1ミリも上がらないんだ、と。
それはまるで、
真冬に窓が全開の部屋で、
必死に加湿器を抱えているような
ものでした。
その後、
僕は会社を辞め
別の会社に転職しました。
そこは、
定時で帰るのが当たり前で、
深夜に働くことなんて
「なぜ?」と不思議がられるような
場所でした。
給料は上がり
睡眠時間は増え、
人生は嘘のように潤いました。
僕の能力が
急に上がったわけではありません。
僕がやったのは、
ヤカンを沸かすのをやめて、
単に
「窓が閉まっている部屋(場所)」に
移動しただけです。
「真冬」に一人で焦っても、意味がない
そしてもう一つ、
残酷なほど重要なのが
「タイミング」です。
僕が起業して数年目、
人生のどん底を味わった
そんな時期がありました。
必死にリサーチをして
やっと見つけた商品でした。
僕はそれを
アメリカで販売するために、
現地のパートナーに
委託していました。
自分の代わりに
販売してもらう仕組みを
作っていたのです。
しかし、
信頼していた
そのアメリカ人のパートナーに、
預けていた「在庫」をすべて
持ち逃げされたのです。
手元に残ったのは、
1200万円もの借金だけ。
あの時の絶望感は、
今の加湿器騒動なんて
比じゃないくらい深く
重いものでした。
その後は、
まさに「負の連鎖」でした。
メンタルを完全にやられ
仕事に集中しようとしても
頭が回らない。
「もうこの先、
ダメなのかもしれない」
そんな鬱々とした状態が続き、
さらに追い打ちをかけるように
些細なトラブルも続発しました。
届いた商品が破損していたり
通関で止まったり。
普段ならなんてことない問題が
すべて致命傷に感じる。
本当に、
現実はあまりに厳しく、
ただただ自分の無力さを
思い知らされていました。
「こんなに苦しいのに、
なんで……」
今思えば、
あれは人生の
「真冬」でした。
どんなに必死にもがいても、
環境そのものが凍りついている。
そんな時期に、
無理やり結果を出そうと
焦っていただけだったのです。
ですがその後、
不思議なほどあっさりと状況が
好転するタイミングが来ました。
僕が神セラーとよんでいる
最高の取引先との出会いがあり、
借金は驚くスピードで
消えていきました。
ここで、
すごく重要なことに気づきました。
うまくいった時に
僕がやっていたこと。
それは、
どん底だった時と
ほとんど変わっていない
という事実です。
何か特別な魔法を使ったわけでも
急に能力が覚醒したわけでもない。
ただ淡々と、
やるべきことを続けていた。
ただ辞めなかっただけ。
これだけなんです。
これって、
今回の加湿器の一件と
まったく同じ構造なんですよね。
マンションに
住人が戻ってきた瞬間に、
僕が何もしなくても
湿度が「60%」まで上がった、
あの現象と一緒です。
周りの環境が整えば、
必死にヤカンを沸かさなくても
結果は勝手についてくる。
あの苦労していた時期と
うまくいった時期。
僕の努力量に
それほどの差はありませんでした。
違ったのは、
「今は一人なのか
みんなが戻ってきたのか」
=環境が整ったのか。
という
ただそれだけの違いでした。
40%の自分を許して、流れに乗る
今回の件、
冷静に振り返ってみれば
単純に僕が、
「経験不足だっただけ」
なんですよね。
実は僕ら家族、
ロシアのマンションで
冬を越すのは
今回が初めてだったんです。
「周りの部屋が温まれば
自分の部屋も温まる」
という仕組み自体は
頭ではわかっていました。
でも、
「年末年始に人がいなくなるだけで
ここまで劇的に環境が変わる」
ということは
完全に想定外でした。
理屈は知っていたけど、
肌感覚としての
「経験」がなかった。
だから、
必要以上に焦って
一人でヤカンを
沸かし続けてしまった。
でも、
それでいいと思うんです。
大事なのは、
そこから「仕組み」を
学ぶことですから。
来年の年末、
また湿度が下がっても
僕はもう焦りません。
「ああ、みんな帰省してるからな。
今は35%あれば上出来だ」
そうやって、
どっしりと構えていられる。
下流から上流へ
必死に逆らって泳ぐのは
ただただしんどいだけです。
でも、
川から上がる必要はない。
無理に泳ごうとせず、
力を抜いて、
流れに身を任せてみる。
そうすれば、
時期が来て、環境が整えば
勝手に前に進んでいく。
今回、
何もしなくても「60%」になった
湿度計を見て思ったのは、
そういう、
「流れを信じる強さ」
みたいなものでした。
あの必死の日々があったから、
今の「60%」
のありがたみがわかる。
あの報われなかった日々があったから、
「誰かが道を整えてくれるまで
待ってもいいんだ」と
心から思えるようになった。
無駄な努力なんて
なかったのかもしれません。
ただ、
それが報われるのは
もう少し先だっただけで。
60%に潤った部屋で
久しぶりにぐっすりと眠りました。
それでは、また。
追伸:
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そのまま見せるような試みです。
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