こんにちは、森翔吾です。
長女ソフィアの日本語教育が目的で
2025年1月から二人で
日本へ一時帰国しました。
その後、
ロシアへ戻ってきてから早いもので
約4ヶ月が経過しました。
今、ソフィアとは当たり前のように
日本語で会話する日々が
続いているのですが、
本当に、
過去の苦労を思い返すと
あのときの焦りや葛藤が
嘘みたいだ。
僕らが直面していたのは
約3年近く前の話。
僕ら夫婦が海外(ロシア)で
子育てをする中でぶち当たった、
「言葉の壁」と「強烈な焦り」
そして、
それを高度1万メートルの空の上で
粉々に破壊してくれた、
「ある女性との運命的な出会い」
について。
今日は話をしようと思います。
今、子育てをしていて、
「うちの子、周りより遅れてるかも…」
「言葉が出るのが遅い気がする…」
「英語教育、これで合ってるのかな?」
そんなふうに、
夜な夜なスマホで検索しては
不安になっているお父さん、お母さんへ。
この記事は、
そんなあなたの背中を
優しく、でも力強く
叩くために書きます。
教育書に書いてある
きれいな理論ではありません。
僕が冷や汗をかきながら体験した
リアルな実話であり僕の
「親としての覚悟」
が決まった瞬間の記録です。
長女ソフィアの沈黙と、父親の焦り
現在、僕たち家族は
ロシアのカザンという街に住んでいます。
冬になればマイナス20度にもなる
極寒の地です。
僕らには二人の娘がいます。
6歳の長女ソフィアと
3歳の次女アマヤ。
ロシア人の妻と、日本人の僕。
子供たちは当然
「ハーフ」として育つわけですが
ここで僕ら夫婦には
明確な教育方針がありました。
それは、
「トリリンガル(3ヶ国語)にする」
ということ。
これ、
言うのは簡単なんですが
やるのはめちゃくちゃ大変です。
ただ一つ、
僕らが子供たちに教えたいのは
単に単語を増やしたり
語学力を誇ることではありません。
言葉は、世界の「常識」を疑い
親の敷いたレールから外れるための
「思考の扉」なんです。
僕らがやりたいこと
それは、
現地の学校で使う「ロシア語」
世界へのパスポートになる「英語」
そして、父のルーツである「日本語」
これら3つの言語を習得し
「将来の選択肢を最大化する武器」
として渡すことなんです。
でも、一般的には、
「子供なんだから、環境さえあれば
勝手に覚えるでしょう?」
そう思う人が多いかもしれません。
僕も最初はそう思って
高をくくっていました。
ロシア語に関しては
僕らロシアに住んでいるから
2人とも勝手に覚えますよね。
保育園に行って友達がいるからね。
英語に関しても、まあ覚えるでしょう。
将来、ドバイでもいいし
フィリピンでもいいし
ヨーロッパに行ってもいい。
英語を覚える機会、環境は
いくらでもあります。
YouTubeを見ているだけでも、
「How are you? I’m fine thank you.」
みたいな学校英語じゃなくて
普通にスモールトークができるくらいの
生きた英語を身につけている子も
けっこういますから。
問題は、日本語です。
これが一番難しい。
家の中で僕が日本語で話しかけない限り
彼女たちの世界から
「日本語」は消滅してしまうんです。
だから僕は必死でした。
特に長女のソフィアが小さかった頃。
僕は毎日毎日
日本語の絵本を読み聞かせました。
来る日も来る日も、です。
期間にして、約1年間。
でも、
ソフィアの反応は…
「無言」
でした。
静かに聞いてはいるんです。
興味がなさそうなわけでもない。
でも、全くリピートしない。
ただじっと
無表情で聞いているだけ。
「あれ? 理解してるのかな?」
「もしかして、語学に向いてないのかな?」
そんな不安がよぎります。
さらに僕を追い詰めたのが
知人の子供たちの存在でした。
ドバイやヨーロッパに住む
妻の友人たちの子供たちは
ソフィアと同年代にもかかわらず、
現地の言葉と英語、そしてロシア語を
当たり前のように使いこなしていました。
しかも
その親たちが、
「熱心に言葉を教えたか?」
と言われれば
決してそうではないという現実。
それに比べて、
僕が必死で日本語の絵本を読んでいるのに
ソフィアは無言…
だから、
目の前にいる娘ではなく
遠くにいる「成功例」との比較が
僕の中に密かなでも確実な
「焦り」を積もらせていました。
・・・
この頃の僕はまだ、
人が持って生まれたその人の
特性や性格を考慮していなかったんです。
というのもソフィアは、
自分の中の確信度が
60〜70%になるまで口を開かない
「石橋を叩いて渡る慎重派」でした。
一方、次女アマヤは、
僕が絵本を読むとすぐに
オウム返しにリピートする。
さらに、
お姉ちゃんの真似をして
日本語の単語を話し始める
「思考する前に行動するタイプ」
なんです。
アマヤの存在は後になって、
ソフィアの「沈黙」の理由を
僕に教えてくれました。
「なんでソフィアは喋らないんだろう?」
「僕の教え方が悪かったのか?」
「このまま日本語が嫌いになったらどうしよう」
ロシアの長く暗い冬のように
当時の僕の心の中には密かな
でも確実な「焦り」が積もっていました。
高度1万メートルでの「運命の出会い」
そんなモヤモヤを抱えていたある日。
ソフィアが日本語修行のために
日本へ帰国する
半年くらい前のことでした。
僕らが日本からロシアへ戻る
飛行機の中でのことです。
経由地の上海へ向かう便でした。
たまたま隣の席になったのが
50代後半から60代くらいの
品の良い日本人女性でした。
「こんにちは、森さんですか?
Youtubeの映像をいつも
楽しく拝見していますよ。」
「ビックリですね。
まさかこんなところで
視聴者さんに会うなんて!?」
彼女は偶然にも
僕のYoutubeチャンネルの
視聴者さんだったのですが、
イギリスのロンドンに住む娘さんに
会いに行くところだと言いました。
娘さんは留学を経て
現地で働いているそうです。
話を聞いていくうちに
彼女の壮絶な(でもあっけらかんとした)
子育てエピソードに
僕は釘付けになりました。
彼女の旦那さんは、
トヨタ関係の仕事をしていて
かつてアメリカのLA(ロサンゼルス)に
駐在していた経験があるそうです。
当時、彼女の娘さんは
小学校の高学年。
普通、
駐在員の子供といえば
現地の「日本人学校」に入れるのが
セオリーです。
言葉も通じるし
日本の勉強も遅れない。
なにより子供のストレスが少ない。
でも、
彼女たち夫婦は違いました。
「このチャンス。
もし娘が英語を覚えてくれたら
世界が広がるはずだ」
そんな凄まじい先見の明を持って
なんと、娘さんをいきなり
「現地のローカル校」
にぶち込んだのです。
英語なんて全く喋れないのに
ですよ?
案の定、
娘さんは学校で孤立しました。
「なんか理解はしているそうだな」
とは思ったらしいのですが
そこから丸1年間、
学校で一言も、英語を発しなかったそうです。
家では普通に日本語を話すけれど
学校に行くと貝のように口を閉ざす。
親の立場からすごく心配になったのは
間違いないと思います。
変な目で見られたかもしれない。
いじめられたかもしれない。
こんなプレッシャーもあったはずです。
「無謀だったんじゃないか?」
「かわいそうなことをしたんじゃないか?」
実際に相当悩み
葛藤したそうです。
でも、
「もうしょうがないわ、この道を決めたし」
と腹を括り、
「静かに見守ってみよう」
ということにしたらしいんです。
ちょっとスパルタだけど
親としての覚悟って感じでしょうか。
そして1年が経ったある日。
事件は起きました。
娘さんの口から
英語が溢れ出したのです。
ポツポツと、ではありません。
その女性はこう表現しました。
「まるで、ダムが決壊したように」
今まで頑なに全く喋らなかったのに
一気に英語が溢れ出し
止まらなくなった。
今まで溜め込んでいた言葉、感情
文法、発音のデータが
一気に統合されて爆発したんです。
その娘さんは今どうしているか?
十数年経った今
イギリスの大学を卒業し
現地のホテルでバリバリ働いています。
そして次は
「経験を積んで、ドバイのホテルで働きたい」
と言っているそうです。
「ドバイかぁ…」
僕らもよく行く場所だから
なんだか不思議な縁を感じました。
この話を聞き終わった時
僕は自分の悩みを打ち明けました。
「実はうちの娘も
日本語を全然喋らなくて…」
すると、
その女性は僕の目を見て
優しく、でも確信に満ちた声で
こう言いました。
「あなたは焦らなくても大丈夫よ。
子供を信用して、ただ待ってあげればいい。
今、必要なのはただこれだけよ。」
この言葉を聞いた瞬間。
僕の頭の中で
ガチガチに固まっていた
「固定観念」が
音を立てて崩れ落ちました。
「早く結果を出させなきゃ」
「早く喋れるようにしなきゃ」
そんな親のエゴによる焦りが
スーッと消えていったんです。
そして、
機内の窓から見える雲海を眺めながら
鮮明にイメージが浮かびました。
15年後、20歳になったソフィアの姿です。
彼女はきっと、
日本語も、ロシア語も、英語も操って
世界のどこかで笑っている。
どこの国に住んでいるかはわからないけど
たくましく生きている。
「あ、ソフィアは大丈夫なんだ」
根拠はないけれど
強烈な確信が生まれました。
ソフィアは言葉ができないんじゃない。
「石橋を叩いて渡るタイプ」
なだけなんだ。
自分の中で確信度が
60%〜70%になるまで
じっくりと言葉を溜め込んでいる最中なんだ。
ロンドンのホテルで
頑張って働く日本人女性に
将来のソフィアの姿が重なり
そう心から納得できた瞬間でした。
森家の「生存戦略(サバイバルキット)」 2025 ver.
待つと決めたからといって
ただ放置するわけではありません。
親にできることは
教え込むことではなく、
子供がその気になった時に、
「0秒で爆発できる環境」
を整えておくことだけです。
あの機内での出会い以来
僕ら夫婦が実践している
「生存戦略」とも呼べる
3つのアプローチを紹介します。
① 言語戦略:サバイバルツールとしての言葉
僕らの教育の9割は「言葉」です。
英語・ロシア語・日本語。
これを勉強としてではなく
「生きるための道具」
として渡したい。
日本語に関しては、
毎年2〜3ヶ月、日本へ
「長期帰国(という名の短期留学)」
をさせる計画をしています。
僕が家で教えるのには限界がある。
だったら、
「日本語を使わないと遊べない環境」
に放り込むのが一番です。
漢字?
そんなの完璧じゃなくていいです。
3ヶ国語話せて漢字も完璧なんて
僕はそこまで望みません。
将来、彼女たちが、
「日本に住みたい」と思った時に
「それ覚えよう」って頑張れる。
最低限の土台があればいい。
あとは本人が必要なら勝手に覚えます。
ちなみに、
あの「無口なソフィア」はどうなったか?
結局、日本の幼稚園に入れたら
機内の女性が言った通りになりました。
溜め込んでいたものが爆発して
僕の祖父母が腰を抜かすレベルで
日本語を喋り始めました。
今では日本語が第一言語と
自分では自負しているくらい。笑
ダムは、本当に決壊するんです。
親が勝手に焦って
ダムを壊そうとしちゃいけないんですね。
② 環境デザイン:没頭への「0秒ルール」
子供が「やりたい」と思った瞬間
その熱を逃さないようにする。
そのための工夫もしています。
例えば、お絵かき。
ソフィアは絵を描くのが好きなんですが
描きたいと思った時に、
「紙どこ? ペンどこ?」
と机の上がごちゃごちゃしていたら
その瞬間にやる気は失せます。
で別のことを始めてしまい
絵を描くというチャンスを失う。
大人だってそうですよね。
仕事デスクの横にスマホがあったら
気が散ってしまうのと同じです。
だから僕は、
子供たちが保育園に行っている間に
必ず机の上をリセットします。
余計なものはすべて片付け、
真っ白な画用紙を一枚
机の真ん中にポンと置いておく。
ペラペラのコピー用紙じゃなくて
厚紙、画用紙ですね。
これを100枚とか200枚とかまとめ買いして
使い放題にしています。
失敗したらビリっと破ってもいい。
作家みたいにね。笑
コピー用紙よりも
画用紙の方が書きごたえがある。
こう感じるだろうから。
横にはペンと色鉛筆のスタンド。
それだけ。
座った瞬間、0秒で描き始められる。
保育園から帰ってきて
僕が靴、コートを脱いでいる間に
手も洗わずお絵かきしてた。
こんなこともありましたが、
この「摩擦ゼロ」の状態を作ることが
親の仕事だと思っています。
大人の読書や勉強も同じです。
本を読ませたいなら
本棚に綺麗にしまっちゃダメなんです。
読みかけのページを
「開きっぱなし」にして、
机の上にポンと置いておく。
座った瞬間に文字が
目に飛び込んでくるようにするんです。
「本を棚から出して、ページを開く」
という、たった数秒の手間すら
人間にとっては
「やらない理由」
になってしまうから。
デジタルデバイスについても
触れておきます。
今、ソフィアはiPadのオンラインゲーム
「Roblox」にハマっています。
わかりやすく言うと
マリオの3D版みたいなゲーム。
1日1時間とか2時間程度なら
まあいいかなと思っています。
ただ、
タブレットやスマホを渡す歳に
注意しているのは
「受け身」にならないこと。
YouTubeショートとかTikTokを
ひたすらボーッと見続けるのは
思考停止状態になるので極力NG。
でも、
ゲームの攻略法を
英語のYouTubeチャンネルで調べたり
「どうやってクリアするか?」
を考えるならOK。
能動的か、受動的か。
その線引きはしています。
③ マインドセット:親の背中で「選択肢」を見せる
そして最後。
これが一番大事かもしれません。
僕は今、ロシアで
「謎のパパ」
をやっています。
基本は、
朝、子供を保育園へ送り
夕方も迎えに行く。
「パパはずっと家にいるけどなぜか
私たちはご飯が食べられるし
海外旅行にも行ける」
子供たちには
そんな不思議な存在として
映っているはずです。
なぜ、
そんな姿を見せたいのか?
それは僕自身が
かつて、
「会社員しか生きる道はない」
と思い込み悪く言えば、
そう洗脳されている。
そうとも言えます。
その理由は、僕の育った環境にあります。
僕の父は、真面目に働く
典型的なサラリーマンでした。
平日は、僕が起きる頃にはもういなくて
帰ってくるのは夜9時過ぎ。
それでも休日は
自分の趣味を我慢していたのか
もう無かったのかは分かりませんが、
僕ら兄弟を公園に連れて行ってくれたり
家族サービスをしてくれました。
そうやって40年間
家族のために定年まで勤め上げた父親。
周りの親戚を見渡しても
みんなどこかの会社勤めの
サラリーマンばかり。
だから僕にとって
「どこかの会社で働くこと」
はあまりにも当たり前すぎました。
そもそも、
よく遊んでくれた父に対して
ネガティブな感情はなかったし
むしろ、
「自分もこうなるのが正解なんだ」
と自然に信じ込んでいました。
僕が初めて就職した時
父にこう言われました。
「一生その会社で働くつもりで頑張れよ」
父もそれが正しい道だと
心から信じていたからこそ
息子である僕に
勧めてくれたんだと思います。
決して、父が悪いわけじゃありません。
ただ、
時代と僕の性質が
少し違っただけなんです。
最初の就職をした約1年半〜2年後、
僕は秋葉原の会社に転職して
まるで部活の延長で「中二病」みたいに
楽しみながら働く人たちを見て、
「サラリーマンが当たり前」
そんな固定観念が50%くらい
ボロボロと崩れました。
そして、
起業やロシア移住を経て
それは完全に崩壊しました。
ロシア、特にここカザンは
歴史的に見ても激戦区です。
モンゴル帝国、オスマン帝国
ロシア帝国など
いろんな民族が入り混じってきました。
スラブ系の人もいればたまに
チンギスハンみたいな顔の人もいる。
顔はスラブ系だけど
日本人みたいな体型のタタール人も。
みんなルーツが違うので
自己主張が強い。
でも、
生まれも宗教も話す言葉も
それぞれ違うからこそ、
「自分はこう生きたい」
という軸を強く持っていて
いい意味で自己主張が強い人が多い街です。
サラリーマンじゃなくても
誰も気にしない。
もちろん、
僕はサラリーマンを
否定するつもりはありません。
自分がやりたくてやるなら
それは素晴らしいことです。
でも、
「それしか選択肢がない」
と思い込むのは
あまりに不幸です。
だから僕は、
あえて「謎のパパ」を演じることで
無言のメッセージを送っています。
「日本的なサラリーマンだけが正解じゃないよ」
「どこか海外で働いてもいいし、家にこもって仕事するのもアリ」
「世界は広いし、働き方は自由だ」
もし将来、
ソフィアやアマヤが
YouTubeでゲーム実況をしたいなら
それも一つの仕事としていい。
実際にロシアのティーンエイジャーが、
「Roblox(ロブロックス)」という
オンラインゲームの実況をしているのを
彼女たちはずっと見ていますから。
彼女たちはきっと、
「普通」という枠に囚われずに
育ってくれると信じています。
結論:濁流の中を、プカプカと浮かぶように
ここまで、
偉そうに「生存戦略」なんて
ツラツラと書いてきましたが、
正直に告白します…
それは、
「1年後には僕は全く正反対のことを
言っているかもしれない」
ってことです。
僕自身、
1年前に考えていたことと
今考えていることは違いますし、
過去の記事を読み返して
「なんだこれ?」
と思うこともあります。
でも、
それは芯がないからではなく、
「時代の変化があまりにも早すぎるから」
これが理由。
AIの登場、戦争、世界情勢。
昨日までの常識が
今日はもう通用しない。
そんな激しい変化の中で
ガチガチに固まった、
「こうあるべきだ!!」
という固定観念は
かえって足かせになります。
僕がイメージしているのは
「濁流(だくりゅう)」です。
今の時代は、
ものすごい速さで流れる
泥だらけの濁流のようなもの。
そこで必死に手足をバタつかせたり
流れに逆らおうとすれば、
体力を消耗して沈んでしまいます。
だからこそ、
「肩の力を抜いて、リラックスして
プカプカと上を向いて浮かんでいればいい」
そう思っています。
そうやっていれば
きっと沈みづらい。
流されても、洪水に巻き込まれても
結局はどこかの岸にたどり着く。
その「柔軟性」こそが
これからの時代を生き抜く
一番の武器なんじゃないかと。
言語ができるとか
プログラミングができるとか
絵がうまいとか。
そんなスキルも大事ですが
それ以上に親として子供にあげたいもの
それは、
「楽しい、ポジティブな幼少期の思い出」
そして、
「何をしたっていいんだよ」
という無条件の肯定と信頼です。
人に迷惑をかけたり
犯罪をしない限り、
何を選んでも
どう変わってもいい。
親がそうやって
デンと構えて信じていれば、
子供は勝手に自分の好きなものを
見つけていくはずです。
「なんで、長続きしないの?」
と心配し嘆くのか、
「いろいろと試せていいね!」
と応援し一緒に笑うのか。
そこにあるのは、
親の「信用」の度合いだけです。
時代は変わる。
僕らの考えも変わる。
だからこそ
肩の力を抜いて。
子供と一緒に
この激流のような時代を
プカプカと笑いながら
流れていこうと思います。
それでは、また。

