腐りかけのパッタイと元カノ。16年後、その意味がわかった

2026年2月のある夜。

深夜1時を回った頃、

タイ・プーケット
パトンビーチ北部の
ナイトマーケット。

僕は市場の片隅で
海老のパッタイを頬張っていたら、

16年前の記憶が
急に蘇ってきて、

しばらく手が止まりました。

「なんで俺、タイに来るたびに
パッタイばっかり
食べてるんだろう」

ふと、そう思ったんです。

好きだから。

そう思っていた。

でも、違った。

パッタイ一皿から、

16年分の記憶が一気に
掘り起こされた夜の話を
させてください。

目次

25歳、元カノと行ったアユタヤ

25歳くらいの頃。

当時付き合っていた
日本人の彼女と、

タイ旅行に来たことがありました。

バンコクに泊まって、
アユタヤには日帰りで。

その頃のタイはまだ物価が安くて、

5000円も出せば
そこそこ良いホテルに泊まれた。

数百円でお腹いっぱいになれた。

今は屋台のパッタイでも
100バーツ、約500円。

冷房の効いたお店で
食べようと思ったら
800円以上はする。

今とは全然違う時代です。

アユタヤは、
バンコクから北へ電車で約2時間。

14世紀から400年以上栄えた
アユタヤ王朝の古都で、

世界遺産に登録された
仏教遺跡群が有名な場所です。

木の根に埋もれた仏頭や、
巨大な涅槃仏。

歴史好きにはたまらない場所だけど、

遺跡以外には
本当に何もない。

そして、とにかく暑い。

遮るものがない遺跡を歩き回ると、
容赦なく体力を奪われます。

アユタヤに行く時、

冷房付きの
外国人用の電車に乗りました。

だから余計に、

外に出た時の暑さが
強烈だったのを覚えています。

写真も残っていないし、
何月に行ったかも
もう思い出せない。

でも、

あの暑さだけは
今でもはっきり覚えている。

腐りかけのパッタイ

アユタヤの遺跡を回って、
お腹が減った。

でも当時のアユタヤは
本当に田舎で、

ちゃんとしたレストランなんて
ほとんどなかった。

あったのは、
ボロボロの屋台だけ。

「まぁ、なにか食べようか」

彼女とそう言って、
その屋台でパッタイを頼みました。

そして——

一口食べた瞬間、

「……これ、やばくない?」

明らかに、

発酵してるような、
酸っぱいような、

「腐りかけてる」としか
言いようのない味がしたんです。

でも、

せっかく注文したし、
目の前でおばちゃんが
作ってくれたし。

「大丈夫かな……」

と思いながら、
結局全部食べました。

お腹を壊さないか、
本当に心配だった。

それは今でも
はっきり覚えています。

でも結果的に、
何ともなかった。

僕はインドに行った時、
帰国直前に下痢になって
10日間くらい治らなかった
経験があるけれど、

あの時のパッタイは
見た目ほど危険じゃなかったのかも
しれません。

窓全開のローカル列車

帰りの電車のことは、
今でも鮮明に覚えています。

アユタヤの駅で、
選択肢は2つありました。

冷房付きの外国人向け列車を
3時間近く待つか。

それとも、
数十分後に来る
冷房なしのローカル列車に
乗るか。

「さすがに待つのはだるいね」

「もう乗っちゃおうか」

そう言って、
ローカル列車に乗り込みました。

当時のタイは
まだ発展途上国という雰囲気が
色濃く残っていて、

外国人観光客は
冷房付きの列車に乗るのが当たり前。

ローカル列車には
現地の人しか乗っていませんでした。

案の定、車内は満員。

座る場所もなくて、
乗降口のドアは開けっ放し。

僕らはそのドアのところに立って、
顔を出しながら
風を浴びていました。

「気持ちいいね」

なんて言っていたら、

車掌さんがやってきて、

「君たち、危ないよ。
ちゃんと座りなさい」

と注意された。

現地の人たちが
カバンを置いて席を確保していたのを、

「すみません、
ちょっと詰めてもらえますか」

と車掌さんが声をかけてくれて、

僕と彼女は
バラバラに座ることになりました。

片側3席のシートが
通路を挟んで両側にある、
昔ながらの列車。

僕は3席の真ん中に座って、
両隣をタイ人に挟まれながら、

肩を狭くして
2時間を過ごしました。

すべての窓が全開で、
生ぬるい風が
すごい勢いで吹き込んでくる。

冷房の快適さとは
かけ離れているけれど、

あの風の心地よさは、
今でも忘れられません。

窓の外に広がる
のどかな田園風景。

夕暮れに染まる田んぼ。

あの光景は、

16年経った今でも
脳裏に焼き付いています。

なんだか、

すごく幸せな時間だったなぁ、
と。

なぜか、何度もパッタイを食べていた

それから16年。

僕はタイに来るたびに、
なぜかパッタイばかり
食べていました。

昨年バンコクやパタヤに行った時も、
ひたすらパッタイを食べていた。

理由は、よく分からなかった。

今回のバンコク・プーケット旅行でも、
気づけばパッタイ。

たぶん1日平均で
1.5回は食べている。

「好きだから」

そう思っていた。

でも、

深夜1時のプーケットで、
海老のパッタイを食べた瞬間、

全部つながりました。

僕は——

あの腐りかけの味を、
ずっと探していたんだ。

あの危うさを。

あの時の記憶を。

あの彼女との時間を。

なぜ、高級ホテルより屋台が記憶に残るのか

不思議なものです。

16年前の旅行で、
どんなホテルに泊まったか
なんとなくしか覚えていない。

バンコクで何を見たかも
ほとんど思い出せない。

でも、

アユタヤの屋台で食べた
あの腐りかけのパッタイだけは、

16年経った今でも
鮮明に覚えている。

窓全開のローカル列車。
吹き込んでくる生ぬるい風。
食中毒にならないかという不安。

全部、覚えている。

人間の記憶って、

「快適だったこと」より
「危うかったこと」の方が
深く刻まれるのかもしれません。

確か数泊だけ泊まった
バンコクの高級ホテルで、

ルームサービスを頼んで
パッタイを食べた覚えがある。

でも、おいしかったのかどうか、
全然思い出せない。

それよりも、

お腹を壊すかもしれない
屋台のパッタイの方が、

脳に焼き付く。

あの「やばいかも」という感覚が、

16年後の深夜に
蘇ってくるほどに。

あの彼女がいなかったら、今の人生はない

アユタヤで一緒に
パッタイを食べた彼女。

その後、結局、別れました。

別れは悲しかった。

ネガティブな出来事だった。

それは否定しません。

でも——

彼女とは、
ワーキングホリデーで行った
カナダで出会いました。

同い年で、
東京出身の子だった。

実家が東京の文京区にあって、

その彼女がいたから、
僕は東京に出た。

彼女の実家の近くに
住み始めたのがきっかけで、

東京に出たから、
いろんな世界を見た。

もちろん最初は
サラリーマンからのスタート。

サラリーマンを辞めた後、
一度お金の問題で
愛知県の実家に帰ったけれど、

ビジネスがうまくいき始めてからは
また東京に戻ってきた。

その時も文京区だった。

トータル10年くらい
東京に住んでいたけれど、

結局、文京区しか知らない。

全部、あの彼女から
始まっていたんですよね。

起業した。

海外に出た。

そこで今の妻と出会った。

娘が2人生まれた。

ロシアに移住した。

YouTubeを始めた。

そして16年後、

家族4人でタイに戻ってきて、

深夜のプーケットで
パッタイを食べながら、

あの頃を思い出している。

深夜2時、
ホテルの部屋に戻ると、

妻と娘たちが
すやすや眠っている。

あの彼女との別れがなかったら、

この景色は存在しなかった。

「人生に無駄なことはない」が、腑に落ちた夜

「人生に無駄なことなんて何もない」

よく聞く言葉ですよね。

僕も何度も聞いたし、
頭では理解していました。

でも、

「分かる」と「腑に落ちる」は
全く違う。

頭で理解しているだけの言葉は、
どこか他人事なんです。

「まぁ、そうなんだろうな」

程度の納得。

でも、

深夜1時のプーケットで、

パッタイ一皿から
16年前の記憶が蘇って、

点と点がつながって、

今の家族との旅行に
たどり着いた瞬間——

心から、そう思えました。

あの別れも、
あの腐りかけのパッタイも、
あの窓全開のローカル電車も、

全部、意味があった。

全部、今につながっていた。

言葉が、

ようやく自分のものになった
瞬間でした。

あなたの「なんとなく好き」には、何が隠れていますか?

僕はずっと、

「パッタイが好きだから」

で止まっていました。

でも、その奥には
16年分の記憶が眠っていた。

あなたにも、

ありませんか?

いつも同じ料理を頼んでしまう。
気づくと同じ服を選んでいる。
なぜかその場所に行きたくなる。

「好きだから」

で片付けているけれど、

本当にそれだけ?

もしかしたら、その奥に——

忘れていた記憶がある。
大事だった人との思い出がある。
人生の分岐点が隠れている。

分からなくてもいい。

でも、

「何かあるかもしれない」

と思って、
ちょっとだけ掘ってみてください。

パッタイ一皿から、

人生が見えることも
あるかもしれません。

この「点と点がつながる感覚」を
何度も経験してきたからこそ、

僕は今、
家族4人でタイに2週間
何も気にせず過ごせている。

その話は、
メンバー限定記事で書いています。

note(ノート)
立ち止まるたびに、収入は減った。でも今、家族4人でタイ2週間|森翔吾 ↑この無料ブログ記事では、 酸っぱい腐りかけているような パッタイ一皿から、 16年前の記憶が蘇った話を 書きました。 ここからは、 もう少し深い話をします。 なぜ僕があ...
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