逃げたことで…「逆に」僕の人生は好転した

こんにちは、森翔吾です。

今日は、

僕の人生の根幹に関わる
かなり深い話をしようと思います。

テーマは、

「逃避と決断の境界線」

です。

「逃げる」

という言葉を聞いて
あなたはどんなイメージを持ちますか?

「弱い」
「卑怯だ」
「負け犬」

おそらく、

ネガティブな言葉ばかりが
浮かんでくると思います。

世の中には、

「逃げるな!」
「石の上にも三年だ!」

というメッセージが溢れています。

でも、

あえて言わせてください。

僕はこれまでの人生で
数え切れないほど、

「逃げ」

を繰り返してきました。

中学時代、

高校受験の面接から逃げました。

20歳の時、

カナダでの英語学習から逃げました。

29歳の時、

安定したサラリーマン生活から逃げました。

でも、

今、僕はロシアに住み
家族を持ち
自由に仕事をしています。

もし僕が、あの時,

「逃げちゃダメだ」

と歯を食いしばって
その場に留まっていたら?

間違いなく
今の僕はいません。

今日は、

かつて「逃げの天才」だった僕が
どうやって人生を切り開いてきたのか。

そして、

ただの「逃避」を
人生を変える「決断」に変えるには
何が必要なのか。

僕の恥ずかしい過去も含めて
全てお話ししようと思います。

もし今、あなたが

「ここから逃げ出したい」

と思っているなら。

その気持ちは決して
間違いじゃないかもしれません。

 

目次

僕は「逃げ」の天才だった

名前が言えなかった日

僕の最初の大きな「逃げ」は
中学生の時です。

高校受験の練習で
模擬面接があったんです。

先生が面接官役で
僕が生徒役。

「名前を教えてください」

たったそれだけの質問でした。

でも、

言葉が出てこないんです。

喉まで出かかっているのに
声にならない。

僕は「吃音症(きつおんしょう)」でした。

特定の行の言葉や
緊張する場面になると
言葉が詰まって出てこなくなる。

頭の中は真っ白。
冷や汗が止まらない。
沈黙が永遠に続くような恐怖。

「あ、もう無理だ」

そう思いました。

その出来事がショックすぎて
僕は高校受験そのものから
逃げることを選びました。

選んだのは、

「面接がない高校」。

行きたい学校ではなく、

「喋らなくていい学校」

を選んだ。

これが、

僕の人生で最初の
明確な「逃避」でした。

そこからはもう、

坂道を転がり落ちるようでした。

勉強へのやる気なんて
完全に消え失せて
成績はガタ落ち。

大学に行く気にもなれず
なんとなく専門学校に行き
フリーターのような生活を送る。

「自分はダメな人間だ」

そんなレッテルを
自分で自分に貼っていました。

カナダでの2度目の敗走

そんな僕が
20歳の時に一発逆転を狙って
起こした行動がありました。

「カナダへのワーキングホリデー」

です。

貯めたバイト代と
おばあちゃんに出してもらったお金を握りしめて
意気揚々と海を渡りました。

「環境を変えれば、自分も変われるはず」

そう信じていました。

でも、

現実は甘くありませんでした。

現地についても、

やっぱり「吃音」の恐怖が
追いかけてくるんです。

英語をしゃべるって、

ただでさえ緊張しますよね。

そこに吃音が重なると
もうパニックです。

「Hello」

だけは何とか言えるけど
その続きが発せられない。

何を言えばいいかは分かってるのに…

現地の語学学校にも通いましたが
授業で発言するのが怖くて
どんどん殻に閉じこもっていきました。

結局、

僕は現地でできた日本人の友達とばかり
つるむようになりました。

日本語なら安心だから。

「何のために高いお金払って
カナダまで来たんだろう?」

毎日そう自問自答しながら
英語環境から逃げ続け、

1年後、何の結果も出せずに帰国しました。

これが、

人生2度目の大きな挫折。

そして「逃避」でした。

帰国した時の
あの強烈な自己嫌悪は
今でも忘れられません。

 

逃避のメカニズムと「生存本能」

なぜ、僕はこんなにも
逃げてばかりいたんでしょうか?

意志が弱いから?
根性がないから?

当時はそう思って
自分を責め続けていました。

でも、

今なら少し違う視点で
見ることができます。

それは、

「自分を守るため」

だったんです。

吃音で恥をかいて

「自分はダメだ」

と傷つくこと。

英語が話せなくて
無力感に打ちのめされること。

その強烈な痛みから
自分の心(プライド)を守るために、

脳が必死に
「逃げろ!」
と命令していたんです。

科学的に「逃げ」は正しい?

これ、実は科学的にも
証明されていることらしいです。

アメリカの生理学者
ウォルター・キャノンという人が提唱した、

「闘争・逃走反応(Fight or Flight Response)」

という言葉があります。

動物は敵(ストレス)に出会った時、

「戦う」か「逃げる」かの
どちらかのスイッチが入るように
プログラムされているそうです。

つまり、

「逃げる」という反応は
生命を守るための
正常な「防衛本能」なんです。

だから、

もし今あなたが
「会社に行きたくない」
「今の環境から逃げ出したい」
と思っているとしても、

それはあなたが弱いからじゃありません。

あなたの脳が、

「ここにいたら心が死んでしまう」
と、必死にあなたを守ろうとしている
サインなのかもしれません。

 

逃げ続けた先にある「U字カーブ」の底

ただ、

「逃げる」ことには
大きな副作用もあります。

それは、

「何も積み上がらない」
ということです。

カナダから帰国した後、

僕はカナダで付き合いはじめた
日本人の彼女を追って
東京へ上京することに決めました。

そして、

ハローワークで見つけた
小さな広告制作会社に就職しました。

学歴もスキルもない僕は
とにかく必死で働きました。

でも、

そこはいわゆる「ブラック企業」でした。

別の部署の人は深夜まで作業し
会社で寝袋で寝るなんてこともザラ。

そんな過酷な環境で働いていたある日、

同期の同僚から
こんなことを言われました。

「ねえ森くん、一緒に会社辞めない?」

正直、耳を疑いました。

彼は都内に実家があり
親が会社を経営していて、

たとえ今の仕事を辞めても
生活には困らないし、

将来は親の会社を継ぐという
「逃げ道」がある人間でした。

一方、

僕はカツカツの上京組。

「君とは状況が違うんだよ…」

そう思い、その時は
曖昧に返事を濁しました。

しかし、

決定的な出来事が起きます。

全体会議の場でのことでした。

僕は会社に泊まり込む社員たちを見て
「さすがに可哀想だ」と思い、

勇気を出して業務改善の提案をしました。

すると、

みんなの前で社長に
ボロクソに怒鳴られました。

その瞬間、糸が切れました。

「ああ、ここは僕のいる場所じゃない」

そう確信した僕は
以前の同僚の言葉に乗っかることにしました。

「連れション」のようなノリで
会社を辞めたんです。

これもまた
主体性のない「逃げ」でした。

 

ぬるま湯という地獄

その次に拾ってもらったのは
秋葉原にある会社でした。

そこは天国でした。

社長も社員もオタク気質で
まるで大学のサークルの延長のような雰囲気。

給料もそこそこ良くて
残業もない。

ブラック企業で疲弊していた僕にとって
そこは最高の「安住の地」でした。

でも、

1年、2年と経つうちに
今度は別の恐怖が襲ってきました。

「このままでいいのか?」

人間というのは贅沢なもので
不満がなくなると、

今度は「成長していない自分」に
不安を感じ始めるんです。

英語の勉強を始めても続かない。
資格の勉強も身が入らない。
副業でも成果が出ない。

なぜなら、

「頑張らなくても生きていけるから」

です。

この「ぬるま湯」の状態は
ある意味でブラック企業よりも
タチが悪かったかもしれません。

茹でガエルのように
ゆっくりと、でも確実に
僕の「野生」を奪っていきました。

 

どん底が土台になる

あの『ハリー・ポッター』の作者
JKローリングも
人生のどん底を経験しています。

彼女は離婚し、職を失い
シングルマザーとして生活保護を受けながら
カフェで小説を書いていました。

彼女は後にこう語っています。

「どん底が、人生を再建するための強固な土台になった」

失うものが何もない状態。

それが逆に、

彼女から余計なプライドや見栄を削ぎ落とし
「書くこと」だけに集中させたんです。

今、思えば当時の僕は
同じくどん底だったんだと思います。

30歳手前。

何のスキルもない。
英語もしゃべれない。

逃げ続けてたどり着いた
その「何もない場所」で
僕は初めて腹を括りました。

「もう、やるしかない」

U字カーブの底まで落ちて
初めて上を見る覚悟が決まったんです。

 

人生を変える「戦略的撤退(ポジティブな逃げ)」とは

ここで重要なのは
「逃げ」には2種類あるということです。

一つは、

ただ嫌なことから目を背ける

「ネガティブな逃避」

これまでの僕がやっていたのは
全部これです。

高校受験からも、英語からも
ただ逃げていただけ。

もう一つは、

より良い未来を掴むために
あえて今の場所を離れる

「ポジティブな逃げ(戦略的撤退)」

僕が29歳で会社を辞め
フィリピン留学を決めたのは、
まさにこれでした。

これは、

「日本での生活」から逃げたのではありません。

「このままでは詰む」という
「未来の絶望」から逃げるために
前へ進んだんです。

「損切り」する勇気

人間には、

「サンクコストバイアス」

という心理があります。

「せっかくここまで頑張ったんだから」
「今の会社にはお世話になったから」

そうやって、

過去に費やした時間や労力を惜しんで
損な選択(=現状維持)を
続けてしまう心理です。

でも、

「決断」とは
字のごとく「断つことを決める」ことです。

僕は、

安定した給料も
居心地の良い人間関係も
全て断ち切りました。

「もう後がない」

その状況を自ら作り出したことで
僕の中のスイッチが入りました。

 

コンプレックスが爆発力に変わる

フィリピンでの英語学習は
カナダの時とはまるで違いました。

なぜなら、

僕にはもう「吃音」というブレーキが
なくなっていたからです。

(※実は25歳、会社員時代に
ひたすら発声、電話対応の練習を通じて
吃音を克服していました)

さらに、

「30歳手前で無職」という危機感が
恥ずかしさなんて吹き飛ばしてくれました。

「間違ってもいいから喋る」

「ここで英語をモノにできなかったら
本当に人生終わる」

かつて僕を苦しめた
「英語へのコンプレックス」は、

逆に、

「絶対に話せるようになってやる」

という、強烈な執着とエネルギーに
変わっていました。

リベンジです。

過去の自分への復讐です。

その結果、

僕はフィリピン留学で
決してペラペラとは言えませんが、

自分が納得の行く
ビジネスで使えるレベルの英語力を
手に入れることができました。

 

すべての逃げは「伏線」になる

今、振り返ってみて
思うことがあります。

もし、

僕が中学時代に逃げずに
進学校に行き
まともな大学に入っていたら?

たぶん、

普通のサラリーマンとして
仮に出世できていたとしたら、

今頃日本で課長か部長になっていたでしょう。

ということは、

ドバイにも行っていないし
ロシア人の妻とも出会っていない。

もし、

20歳のカナダ留学で
順調に英語がペラペラになっていたら?

たぶん、

そこそこの満足感で終わって、

「英語を使って自分でビジネスをしよう」

というハングリー精神は
生まれなかったかもしれません。

もちろん、

逃げずに踏ん張って
その道で成功していたら、

それはそれで「幸せな人生」が
あったのかもしれません。

でも、断言できます。

今のこの「自分らしい人生」は
手に入らなかった。

すべての「逃げ」と「挫折」が
パズルのピースのようにハマって
今の僕を作っています。

吃音で苦しんだから
人の痛みがわかるようになった。

カナダで挫折したから
フィリピンで必死になれた。

ブラック企業を経験したから
自分で稼ぐことの尊さを知った。

過去の、

「なんで自分だけこんな目に」

と思うような出来事も、

すべては、

今の、

「非常識な幸せ(ロシアでの自由な生活)」
にたどり着くための
必要な「伏線」だったんです。

 

最後に:心の中で「辞表」を書こう

最後に。

今、何かに追い詰められて、

「逃げたい」

と思っているあなたへ。

逃げてもいいです。

生物学的にも
それは正常な反応です。

自分を守るための
正しい判断かもしれません。

ただ、

「明日会社を辞めろ」
「関係を切れ」

とは言いません。

生活もあるし、大事な人もいる。

そんな簡単にはいかないことも分かります。

でも、

「心の中で辞表を書く」
「心の中で離脱宣言をする」

ことは、今すぐにでもできます。

「いつでも辞めてやる」
「ここは私の仮の居場所だ」

そう心に決めるだけで
その環境や会社への依存度は下がり
不思議と心が軽くなります。

それが、

「ただ辛くて耐える(後ろ向きな逃げ)」

から、

「次の準備のためにここにいる(前向きな戦略)」

へと変わる瞬間です。

その準備のためにまずは、

「自分一人の時間」

を作ってみてください。

スマホを置いて
ただ歩きながら自分に問いかける。

「本当はどうしたい?」
「何が好きだったっけ?」

そんな小さな「脳の余白」を作ることが、
あなたの人生の伏線を回収する
第一歩になるはずです。

僕もまだまだ
伏線回収の途中です。

あなたも、

今の苦しい状況を
いつか笑って話せる「伏線」にするために。

まずは心の中で
「戦略的撤退」の準備を
始めてみませんか?

それでは、また。

読み終えて、今どんなことを感じていますか?

(複数選択可能、直感でチェックしてください)

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