こんにちは、森翔吾です。
「人生は輝いている時ほど
自分の足元が見えなくなるものだ。」
とつくづく思います。
僕がサラリーマンを辞め起業し
ロシアに移住した後
投資などで収入を得る中で、
嫌というほど見てきた光景があります。
それは、
- 20代のボーナスステージで勘違いし
- 30代で修正できず
- 40代で”お先真っ暗”になる人たち
の末路です。
今回は、
僕の妻がドバイで働いていた
10年間の実体験と、
そこで見た
「天国と地獄」の分かれ道を
包み隠さずお話しします。
ドバイという名の「麻薬」と「勘違い」
僕の妻はロシア人ですが
彼女は20代から30代にかけての
約10年間、
UAEのドバイへ
出稼ぎに行っていました。
当時のロシア(特に地方都市)は
経済的に決して豊かではなく
月収2〜3万円程度が当たり前の世界。
そんな中、彼女は、
「こんな場所にいたら人生が終わる」
という強烈な危機感を持って母親を説得し
片道切符でドバイへ飛びました。
白人女性という「ボーナスステージ」
ドバイという街は
ある意味で残酷なほど正直な
階級社会です。
インドやパキスタン
アフリカ諸国からの労働者は
どれだけ優秀でも、
入り口で「門前払い」を
食らうことが多い。
しかし、
ロシアやウクライナなどの
「白人女性」には、
特別な「ボーナスステージ」が
用意されています。
言葉を選ばずに言えば、
「若くて見た目が良い白人女性」
であるだけで、
企業の受付、秘書
高級不動産の営業といった
「表舞台」の仕事が回ってくるのです。
もちろん、
夜の仕事ではなく
まっとうな昼の仕事です。
それでも、
アラブや現地の富裕層にとって
彼女たちは一種の
「ステータスシンボル」として
重宝される。
僕の妻も、最初は
ホテルの清掃員スタッフ(月収5万円)
からスタートしましたが、
持ち前の勤勉さで
キャリアを積み上げ、
最終的には
石油会社の秘書や不動産営業として
年収1000万円プレイヤーにまで
上り詰めました。
誰もが陥る「浪費の罠」
さて、ここからが問題です。
貧しい国から来た若者が
いきなり年収1000万円と
きらびやかなドバイの生活を
手に入れたらどうなるか?
99%の人間は
生活水準を上げます。
妻も例外ではありませんでした。
家賃1000ドル(15万円)以上の
綺麗なマンションに一人で住み
移動はSUV。
週末になれば
ドバイモールでハイブランドを買ったり
お洒落なカフェでランチをし
スタバのコーヒーを片手に街を歩く。
年2回は海外旅行へ行く。
これが「成功した私」の証だと
信じて疑わない。
周りのロシア人や
ウクライナ人の同僚たちも
ほぼ全員がそうしていました。
「私たちは選ばれた人間だ」
「この生活がずっと続く」
と、誰もが錯覚していたのです。
しかし、
この「ドーパミンが出続ける生活」こそが
人生を狂わせる最大の罠でした。
30歳手前で気づいた「絶望的な未来」
妻は人生に迷いを感じていた
時期があります。
それがちょうど26歳、27歳の頃。
彼女はそこで
ペルー・アマゾンへ一人旅に出て、
本気で一度「外」と「情報」と「周囲」から
自分を切り離したのです。
その旅の中で体験したのが
アヤワスカ。
強烈な幻覚作用のある植物由来の儀式で
現地シャーマンの誘導のもと
自分の内面と向き合う体験です。
そこで彼女は
文字通り立ち止まりました。
視界が宇宙規模で広がる中
同時に、自分の足元だけが急に
冷たい現実として浮かび上がったのです。
「あれ? 私、貯金なくない?」
それが、最初の気づきでした。
街も、生活も、評価も
見た目の価値も
すべてが輝いて見えるドバイの世界で
「成功している自分」に浸っていたけれど、
実は、手元には何も残っていなかった。
今は「若さ」と「白人ブランド」で
もてはやされているけれど、
30歳を過ぎたら?
35歳になったら?
もっと若くて綺麗な20代の子が
世界中から押し寄せるドバイで
自分の市場価値は、
「今この瞬間がピークで
この先は下り坂なのでは?」
そんな恐怖にも似た疑念が
一気にリアルになった。
さらに追い打ちで浮かんだのが、
「このままドバイにいられなくなって
ロシアに帰ることになったら
私には何が残るの?」
資産ゼロ。
武器ゼロ。
スキルと言えるものは
「ドバイでチヤホヤされた経験」だけ。
もし帰国したら
ドバイで一人で住んでいた
マンションも解約して、
彼女が心から避けたかった
ロシアの田舎の実家に戻り、
人生がまた
月収数万円の世界へ逆戻り。
30代半ばで
ボロボロの実家で
惨めに暮らす自分。
そのあまりに生々しい未来予想図を
直視してしまった瞬間、
ドバイで積み上げた“キラキラ”が
全部砂上の楼閣に見えた
そうなのです。
その時の住所もプライドも
服も評価も何もかも…
全部「外付け」だったと気づいた。
だからこそ、
そこから彼女は人生のレールを
自分の手で握り直し始めました。
驚愕の「自主的ダウングレード」
そこで彼女が取った行動は
狂気じみていました。
年収1000万円を維持したまま
彼女は生活レベルを
「底辺」まで落とす決断をしたのです。
住居:
快適な一人暮らしマンションを解約。新居:
10畳一間の部屋を、カーテンで仕切り、3人の女性でルームシェア。生活:
プライベートスペースはベッドの上だけ。キッチンもシャワーも共同。
ドバイで活躍している
同僚たちから見れば完全に
「落ちぶれた貧乏人」の生活です。
年収1000万円ある人間が
出稼ぎ労働者用のタコ部屋のような環境に
自ら身を置くなんて普通は想像しない。
しかし、
ここで面白いのは
「我慢した」という話ではないこと。
彼女にとっては、
「守りたい未来の優先順位が
見栄よりも資産だった」
ただそれだけなのです。
とはいえ、
当時付き合い始めたばかりの僕には
どうしても隠したかったようで。
僕が、
「どこに住んでるの?」
と聞いても、いつも笑ってごまかす。
デートの時は僕のステイ先に来るだけ。
住所は、徹底的に秘密でした。
あとになって彼女は言いました。
「あんな部屋を見られたら
嫌われると思ったから」
その感情もまた
切実な現実でしょう。
しかし彼女は
その暮らしを数年間続けて
浮いたお金を丸ごと貯金に回しました。
その結果、
ロシアにマンションを
手に入れることができました。
これは見栄というプライドを手放して
資産という現実を選んだ
そんな話です。
このエピソードが
僕が彼女と結婚を決断するに至った
大きな要因になったことは間違いないです。
良い時に溺れないで
最悪の未来を想像して。
自分の欲望をコントロールできる強さがある。
それがこの人の本質だと確信したからです。
お先真っ暗コースを選んだ「同僚たち」の末路
一方で、
妻の同僚だった
他のロシア人やウクライナ人の
女性たちはどうなったのでしょうか。
彼女たちは
30歳を超えても
「ボーナスステージ」から
降りようとしませんでした。
「私はまだイケる」
「もっと良い男が捕まるはず」
「今の生活レベルは落とせない」
そうやって、稼いだ金をすべて
服や美容、旅行などの欲望に
使い続けました。
「美貌」という資産の減価償却
残酷な話ですが、
女性の「若さと美貌」を
武器にしたビジネスモデルには
明確な賞味期限があります。
30代半ばに差し掛かると
ドバイの労働市場もシビアになります。
さらに、
ドバイの経済状況も変わりました。
不景気になり
企業はコストカットを始めます。
「ただ座っているだけの綺麗な白人女性」
よりも、
高学歴な人材。
例えば、
東大クラスの優秀さを持つ
アフリカ系やインド系などであれば
人種を問わず受け入れられますし、
低賃金でありながら
非常に勤勉で労働力の高いフィリピン人。
といった層の採用が増加したのです。
その結果、何が起きたか。
妻の同僚たちの多くは
職を失いました。
そして、
貯金もなく、資産もなく
ビジネススキルもなく
頼みの綱だった
「若さ」も失った彼女たちは、
ドバイにいられなくなり
母国へ強制送還に近い形で
帰っていきました。
僕の妻は、
彼女たちの末路を目の当たりにして、
「貯金するか、自分の国に
マンションを持つか
絶対にしておくべきよ」
と何度も助言していたと
悲しそうな声で語っていました。
35歳、資産ゼロ、実家暮らし
想像してみてください。
数年前までは
ドバイの高級モールで
ブランド品を買い漁り
Instagramでキラキラした生活を
自慢していた女性が、
35歳を過ぎて
何も持たずにロシアの田舎の実家に帰り
月給数万円の生活を送る。
これが、
「30歳の壁」で危機感を持てず
流された人間たちの末路です。
彼女たちは
結婚相手に関しても
「理想」を下げられませんでした。
ドバイには大富豪がたくさんいます。
彼女たちは
目が肥えてしまっている。
「年収はこれくらいないと」
「見た目はこうじゃないと」
より好みをし
自分を高く見積もり続けた結果、
誰からも選ばれることなく
独り身のまま帰国しました。
もし彼女たちが
20代で僕の妻のように
「見栄」を捨てて資産を作っていれば。
あるいは、
自分の市場価値を客観的に見て
堅実なパートナーを見つけていれば。
人生は全く違ったものに
なっていたはずです。
ロシアのジムで見た「哀れな見栄っ張り」たち
僕は今、
ロシアのカザンという地方都市の
比較的裕福な人が住むエリアに
住んでいます。
そこのスポーツジムに通っていると、
先程紹介した、
「お先真っ暗コース」の予備軍
あるいは成れの果てのような女性たちを
よく見かけます。
そのジムは、
内装こそEDMが流れる
ナイトクラブのような派手な作りで
最新のマシンが揃っていますが、
実は月会費が5,000円程度と
極めて安価です。
この安価な価格設定こそが、
見栄を張りたい層にとって
うってつけの理由です。
(※このエリアには
月額1万5千円の本格的な
プール付きジムもあります。)
そこに、
明らかに「整形顔」で
唇にヒアルロン酸をパンパンに入れ
全身をブランド風のウェアで固めた
女性がやってきます。
態度は非常に高飛車です。
「私は特別よ」
「いい女でしょ」
というオーラを出し
周りを見下しながら歩いている。
しかし、僕は見てしまいました。
彼女がジムの駐車場から帰る時
乗り込んだ車を。
ボロボロの、20年落ちどころではない
いつ止まってもおかしくないような
古びた車でした。
「車」が暴く経済的真実
ロシアという国において
車は「経済力」と「命の値段」を測る
最も残酷な物差しです。
日本と違い、
ロシアのオートローン金利は
30%を超えることもザラです。
実際に、
少し前のことですが
僕らは家の改装資金が不足した際
年利37%で200万円を借りました。
数カ月間に返済しましたが
恐ろしいほどの利息が膨れ上がりました。
しかし、これがロシアの現実です。
つまり、
まともな高級車(ベンツやBMW)に
乗っている人間は、
キャッシュでそれを買えるだけの
本物の富裕層しかいません。
無理してローンで買うことは
不可能なのです。
—
逆に言えば、
ボロボロの車に乗っているということは、
「安全にお金をかける余裕すらない」
という貧困の証明です。
ロシアでは、片側一車線の対面通行で
時速100キロ以上出すのは当たり前です。
この過酷な交通事故事情を考えると、
安全性の低い車に乗ることは
事故の際、
「命のリスクを自分で取っている」
ことを意味します。
富裕層が高級車を選ぶのは、
ステータスだけでなく
命を守るための自己防衛でもあるのです。
ちなみに、ロシアでは日本車などの
中古車の価値が落ちにくく、
10万キロ走行しても新車価格の
10%〜20%程度のマイナスで
留まることも多いです。
中国車は別ですが。
それにしても、
顔には何万円もかけて
ヒアルロン酸を入れているのに
命を乗せる車はボロボロ。
プライドと態度は
エベレスト級に高いのに
経済基盤はペラペラ。
この、
「見栄と現実の強烈なギャップ」
こそが自己客観視を怠った人間が陥る
最も滑稽で、最も悲しい姿です。
26歳で感じた「恐怖」が人生を変える
僕自身の話に戻します。
僕が日本のサラリーマンを辞めて
起業したのは29歳の時ですが、
その決断の種は
26歳の時に感じた
「強烈な恐怖」でした。
当時、会社は安定していたし
居心地も良かった。
しかし、
仕事帰りに横浜の街を歩きながら
自分の10年後を
リアルにシミュレーションしてみたのです。
「もし10年後、会社が倒産したら?」
「今の自分に、履歴書に書けるスキルはあるか?」
「40歳のおっさんになって、
何の武器もなく放り出されたら?」
脳裏に浮かんだのは、
郊外の小さなアパートから
死んだ目をして満員電車に揺られ、
家族を養うために
したくもない仕事にしがみつく
自分の姿でした。
「詰んでいる」
そう直感しました。
その恐怖があったからこそ
僕は「今」の安定を捨てて、
英語を学びリスクを取って
独立する道を選べました。
妻がドバイで
10畳の部屋をシェアしたのも、
僕がサラリーマンを辞めたのも
根っこは同じです。
「未来の絶望を、リアルに想像できたかどうか」
ただそれだけです。
40歳を過ぎて「一発逆転」はあり得ない
厳しいことを言いますが、
データを客観的に見る限り
人生には「手遅れ」になる
分岐点が存在します。
例えば、
35歳を過ぎた独身女性が
結婚できる確率は、
統計的に見ても
数パーセント、限りなくゼロに
近づいていくというデータがあります。
40歳を過ぎて、
貯金もなく、スキルもなく
人脈もない人間が、
そこから起業して成功する確率は
もっと低いかもしれません。
「人生はいつでもやり直せる」
というのは、半分嘘です。
正確には、
「積み重ねてきたものがある人間だけが
方向転換できる」
のです。
20代、30代を
「その日暮らし」で浪費し、
面倒なこと
(貯金、勉強、人への配慮、
社会保険や税金の知識)
から逃げ続けてきた人間が、
40歳になった途端に
心を入れ替えて成功するなんてことは
ファンタジーの世界でしか起こりません。
思考回路は
長年の習慣で固定されます。
「他人のせいにする」
「環境のせいにする」
「自分は特別だと思い込む」
そうやって生きてきた人間は、
追い詰められれば
追い詰められるほど、
その悪い癖を強化し
周りに愚痴を撒き散らすようになります。
ロシアのジムで見た
ボロ車に乗る高飛車な女性のように。
ドバイから何も持たずに帰国した
妻の元同僚たちのように。
最後に:あなたが「こちら側」にいる理由
ここまで、
かなり厳しい、あるいは
不快に感じるような話を
してきました。
しかし、
ここまで長い文章を
読み進めてくれたあなたは
おそらく、
「あちら側」の人間ではないはずです。
あなたは、
自分の人生に真剣に向き合い
危機感を持ち
どうにかして現状を良くしようと
足掻いている人だと思います。
あるいは、
すでにリスクを取って行動し
あの「お先真っ暗コース」を
回避した人かもしれません。
僕が伝えたいのは一つだけです。
「その危機感は、正しい」
周りが、
「なんとかなるよ」
「贅沢しようよ」
と甘い言葉を囁いてきても
それに流されないでください。
一時的に「貧乏人」扱いされようが
「付き合いが悪い」と言われようが、
自分の未来を守るために
孤独な決断ができる人だけが
最終的に笑うことができます。
30代は
人生の選別が行われる
残酷な10年です。
見栄を張って破滅するか
プライドを捨てて実を取るか。
あなたは、どちらのコースを選びますか?
それでは、また。
