人付き合いに疲れた人向け、森式「冷酷なまでの自己防衛術」

30代半ばまでの僕は
「人と会っては消耗する」
この連続でした。

でも現在、41歳になり
その理由がはっきり理解できました。

「本当、もっと早く
この事実に気づいていれば…」

そう、心から過去の自分に
教えてあげたかった。



もし今、

「人付き合いにぐったり疲れている」

とか、

「誰かと会った後に
どっと疲れが出て動けなくなる」

そう感じている人がいたら
今日の話はもしかしたら、

人生をほんの少し
でも、

着実に変える
「キッカケ」
になるかもしれません。

これは僕自身が
30代、40代と歳を重ね、

日本を出て世界を旅して
最終的にロシアへ。

居場所を変えながら
生きてきた中で、

痛い思いをしたり
裏切られたり
あるいは、

自分自身に絶望したりしながら…

やっとたどり着いた、

「自分を守るための結論」

です。

正直に言うと
もっと早く、

20代の頃にこの事実に
気づいていればよかった。

と、心から思うんです。

というのも、

当時、20代の頃は
誰かと話す機会があっても、

人の愚痴や悩みを
一方的に聞かされるだけで
相手は僕の話を聞く気がない。

そんなふうに、

言ってみれば
いいように利用されてしまうことが
多かったんですね。

あんまり断れない体質で
自分の本音が言えなかったりして、

結果的にエネルギーを
吸い取られるだけ。

という構図に陥っていました。

そして、

ビジネスを始めてからも
この「人を信じすぎてしまう」
という性格が災いしました。

信頼していたアメリカ人の
ビジネスパートナーに、

大切な在庫を持ち逃げされ
大きな損失を出し
多額の借金だけが残ってしまった。

もし、

もっと早く気づいていれば、

あんなふうに呆然とすることも
震える夜を過ごすことも…

何より、

「気疲れ」という
目に見えない重荷で
人生の貴重な時間を、

ドブに捨てることも
無かったはずですから。

今でこそ、

すべて自分が悪かったんだと
冷静に振り返ることができますが、

当時の僕は、その真実に
なかなか気づけていなかったんです。

だから今日は、

僕の恥ずかしい失敗談も含めて、

(恐らく読んでくれてる
あなたもそうかもしれませんが…)

優しすぎて損をしてしまう人が
どうやって、

「自分の心と時間」を守り
本当に大切な人たちとだけ
笑って過ごせるようになるのか。

その具体的な方法と
僕なりの哲学を
包み隠さずすべて
書いてみようと思います。

 

目次

なぜ「いい人」ほど、会話で消耗するのか?

まず、

これだけは言わせてください。

人と会った後に
疲れてしまうのは、

内向的だからでも
コミュニケーション能力が低いからでも
ましてや人間として欠陥があるからでも、

ありません。

僕が思うに
原因はもっと物理的で
シンプルなものです。

それは、

自分自身の
「精神的な体力(エネルギー)」
が一方的に吸われているからです。

例えば、

こんな経験はありませんか?

久しぶりに会った友人や
職場の同僚とカフェで話している時。

ふと気づけば
相手が9割喋っていて
自分はずっと、

「うん、うん、そうだね」

と相槌を打っている。

相手の話の内容は、

会社への愚痴だったり
マウント混じりの自慢話だったり
あるいは答えの出ない悩み相談だったり。

そして別れ際、相手は、

「あー、スッキリした!
やっぱり〇〇さんと話すと元気になるよ!
聞いてくれてありがとう!」

と、満面の笑みで
満足げに帰っていく。

その一方で、

残された自分には
鉛のように重たい疲労感だけが残る。

家に帰って
靴を脱ぐ気力さえ湧かない。

これ、

僕もサラリーマン時代
何回も経験しました。

「自分は聞き上手なんだ」

と自分を慰めていましたが
ある時ふと気づいたんです。

「これって、間違いなく
会話のキャッチボールでは無いな」

と。

言葉は悪いですが
これは聞き役が相手の、

「ストレス発散のゴミ箱」

あるいは、

「無料のカウンセラー」

にされてしまっている状態なんです。

相手は自分の中に溜まった
ストレスやモヤモヤという「ゴミ」を
聞き手という「受け皿」に投げ込んで
身軽になり、

逆にこちらは
相手のゴミを背負わされて帰宅する。

体力の収支決算で見れば
相手はプラス
こちらは大幅なマイナス。

これで疲れないわけがありません。

一番厄介なのは、

彼らのほとんどに
「悪気がない」

ということです。

「話しやすいから」
「優しいから」
「聞いてくれるから」

と、無邪気な顔で近づいてくる。

彼らは意識的に
誰かを傷つけようとしているわけでは
ありません。

ただ、無自覚な、

「エネルギー・ヴァンパイア(吸血鬼)」

として、

こちらの生命力を
吸いに来ているだけなんです。

でも、

もし一緒にいて、

「疲れるな」
「帰りたいな」

と感じるなら、

その直感は身体が出している
「緊急警報」です。

それは、

本来、自分自身の幸せに使うはずの
大切な「気力」や「時間」が
漏れてしまっている
危険なサインなんです。

 

「唐揚げの最後の一個」と、住む世界の違い

少し、

僕の会社員時代の話をさせてください。

あれはまだ僕が東京で
サラリーマンをしていた頃のこと。

忘年会とか会社の飲み会で
大皿料理が出るってありますよね。

話が盛り上がって皿の上に、

「最後の一個の唐揚げ」

がポツンと残る。

日本人なら
誰でも経験があると思います。

「遠慮の塊」なんて
呼ばれたりもしますね。

「これ、誰か食べる?」
「いやいや、先輩どうぞ」
「いや、俺はもう腹一杯だから」

なんて、お互いに譲り合う。

空気を読み合い、相手を立てる。

あれはあれで
日本的な配慮の美しい世界です。

僕もそういう空気を読んで
波風を立てずに生きてきました。

でも、

僕が脱サラして
初めて起業家たちが集まる
懇親会に行った時、

凄まじいカルチャーショックを受けました。

そこでは、

最後の一個を迷わず箸で刺して
食べる人が「普通」だったんです。

「あ、これ残ってるね。パクっ」

周りの目? 遠慮?

そんなものはありません。

「俺が食べたいから食べる」
「欲しいものは取りに行く」

それが彼らのルールでした。

いわゆる、

「空気が読めない(KY)」
人やガツガツした人たち。

正直、

彼らはビジネスの立ち上げ期
(0→1)には強いです。

その遠慮のない
「奪う力」「突き進む力」で
年商1億、数億と壁を突き破っていく。

その光景を見て
僕は悟りました。

「あ、ここは僕のいる場所じゃないな」

と。

僕たちのような、

「譲るタイプ」
「空気を読むタイプ」

が無理をしてその
弱肉強食の世界で戦ったり、

彼らと同じ土俵に
上がろうとしたりすると
どうしても、

心がすり減ってしまうんです。

ライオンの群れに放り込まれた
草食動物のようなもので、

ただただ消耗し
食べ尽くされて終わる。

「奪う人」と「譲る人」。

これはもう
OS(基本ソフト)が違うんです。

WindowsとMacくらい違う。
だから、

無理にインストールしようとすれば
必ずバグが起きます。

 

「いい人」でいるように教育されてきた僕たち

そもそも、

なんで僕たちはこんなに、

「いい人」

でいようとしてしまうんでしょうか?

嫌なことは嫌と言えばいい。
疲れたら帰ればいい。

頭では分かっているのに
なぜか身体が動かない。

これは僕の仮説ですが、

おそらく僕たちが受けてきた
「教育」に根っこがあります。

幼稚園の頃、

「友達100人できるかな♪」

って歌いましたよね。

「みんなと仲良くしましょう」
「喧嘩はやめましょう」
「自分がされて嫌なことは
人にしてはいけません」

先生たちは口を酸っぱく
そう教えました。

波風立てずに
教室の空気を乱さない、

「いい子」

が褒められました。

大人になって
海外に出て、ビジネスをして
改めて思うんです。

日本の教育って、

「文句を言わない
使い勝手のいいサラリーマン」

を大量生産するための
生産工場。

だったのかもしれない、と。

会社に入れば
理不尽な上司の命令にも
「はい」と従う。

サービス残業を強いられても
「みんなやってるから」
と我慢する。

そして何より、

税金が給料から
天引き(源泉徴収)されても
文句ひとつ言わずに受け入れる。

経営者になって分かったことですが
経営者は経費や税制の知識を駆使して
ある程度自分でコントロール
することができます。

でも、

サラリーマンは違います。

システムの中で
問答無用で引かれる。

税務に詳しい税理士さんですら
サラリーマンの場合は
抵抗の余地がないんです。

そんな「従順な人」を作るための
巨大なシステムの中で
僕たちは何十年も育ってきました。

「協調性」という言葉は
裏を返せば「個性の抹殺」であり
「自己犠牲の強要」
でもあったわけです。

だから、

優しくて真面目な人ほど、

「相手に合わせなきゃ」
「断っちゃいけない」
「嫌われたら生きていけない」

という思い込みの呪縛に
がんじがらめにされ、

精神も金銭も
すり減らしてしまうんです。

 

人生最大の失敗と「GIVE & TAKE」の法則

その、

「断れない性格」
「人を疑わない性格」

が災いして僕は
人生最大の失敗をしました。

今でも思い出すと胃がキリキリする
あの事件です。

何回もブログで出てきて
ちょっと鬱陶しく感じるかもしれませんが
今回の事例にピッタリなので
使います…

アメリカ人のビジネスパートナーに
在庫500万円を持ち逃げされたんです。

当時、

僕には既に1,200万円の
ビジネス融資(借金)がありました。

そんな中で、

「この在庫さえ売れれば
借金を返して、普通の生活に戻れる」

と、一縷の望みを託していた
虎の子の500万円分の商品でした。

それを、

信頼していた相手に
ある日突然、連絡を絶たれ
持ち逃げされたんです。

絶望でした。

膝から崩れ落ちるって
こういうことなんだなと知りました。

「なんで自分ばかりこんな目に遭うんだ」

「一生懸命やってきたのに
神様なんていないのか」

と、世界中を呪いました。

でも、

今なら冷静に分析できます。

運が悪かったわけじゃない。

神様がいなかったわけじゃない。

僕が、

「相手を見抜く目」を持たず
違和感を無視して
「いい人」であり続けようとしたから

です。

ここで一つ、

僕の人生を変えた
重要な理論を紹介させてください。

心理学者アダム・グラントの名著
『GIVE & TAKE』
をご存知でしょうか?

人間は、対人関係において
3つのタイプに分かれるという話です。

ギバー(Giver / 与える人):
他人に惜しみなく与える人。見返りを求めず、相手のために動く人。

テイカー(Taker / 奪う人):
自分の利益を優先し、他人から奪う人。相手を利用することに罪悪感を持たない人。

マッチャー(Matcher / バランスを取る人):
損得のバランスを考える人。「これだけやったんだから、返してね」という人。

僕の記事をここまで共感して
読んでくれている人は
間違いなく、

「ギバー(与える人)」

だと思います。

人の痛みがわかり、空気を読み
自分のことより相手のことを
優先してしまう優しい人です。

そして、

この本には残酷なデータがあります。

全タイプの中で、

「最も成功から遠く
最も貧しく
最も不幸なのは誰か?」

それは、

ギバーなんですが
ギバーはギバーでも、

「自己犠牲型のギバー」

です。

テイカー(吸血鬼)に搾取され続け
骨の髄までしゃぶられ
ボロボロになって倒れてしまう人たち。

まさに、

在庫を持ち逃げされた
当時の僕そのものです。

でも希望もあります。

「じゃあ、最も成功し
最も幸せで
豊かなのは誰か?」



実はそれもまた、

「ギバー」

なんです。

えっ?って思いますよね。

でもこちらは、

「他者志向型のギバー」

と呼ばれます。

彼らは、

ただ闇雲に与えるわけではありません。

「誰に与えるか」を
厳格に選んでいるんです。

ここがめちゃくちゃ重要!

テイカーを徹底的に排除し
ギバー同士、あるいはマッチャーとだけ
付き合う環境を意図的に作っている。

ギバー同士で与え合えば
そこには「1+1=2」ではなく
「10」にも「100」にもなる
プラスの循環が生まれます。

僕たちが目指すべきは
ここだったんです。

「いい人」をやめる必要はありません。

ただ、

「与える相手」を選ばなければ
いけなかったんです。

 

森式・自分を守るための「静かな撤退」戦略

この事実に気づいてから
僕の行動はガラリと変わりました。

「みんなと仲良く」

なんて幻想は捨てました。

自分の身を守るため
家族を守るために
冷酷なまでの線引きを始めたんです。

当時、500万円を失った後、

僕は「奪う人」たちとの縁を
物理的にも精神的にも
バッサリと切りました。

飲み会の誘いも
怪しい儲け話も
愚痴を聞くだけの電話も
すべて遮断しました。

すると、

不思議なことが起きました。

真空になったスペースに
新しい風が吹き込んできたんです。

「神セラー」

と僕が呼んでいる
ダスティンとタイラーという
最高のアメリカ人に出会いました。

彼らは典型的な「ギバー」でした。

というのも
決して僕は彼らに、

「数ヶ月前に騙されて損害を出した」

という話をしていないにも
かかわらず、

彼らは僕の困難な状況をすべて
わかっているかのように
対応してくれました。

そして、

「君には特別にこの商品を
激安で卸してあげる!」

と提案してくれたのです。

そのお陰で僕は
他のライバルが手が出ない金額で
商品を販売することができました。

そこに駆け引きや搾取は
一切ありませんでした。

この「無条件の優しさ」に
何も返さないのは罪悪感がある。

そう感じた僕は、

彼らには感謝の気持ちとして
数万円のアマゾンギフトカードを
お礼として贈りました。

この経験がきっかけで、

お世話になった人へ
感謝の気持ちとしてギフトカードを贈る
という習慣が身につき、

この習慣を今でも当たり前のように
続けています。

ダスティン&タイラー。

彼らの名前は一生忘れません。

彼らのおかげで、僕はその後2年間
ビジネスが驚くほど順調に回るようになり、

借金を完済し
世界を旅する自由を手に入れました。

もし僕が、

「寂しいから」
「人脈が大事だから」

と、前の悪い縁にしがみついていたら?

間違いなく
彼らとの出会いはなかったでしょう。

スペースが空いていなければ
新しいものは入ってこないからです。

だからこそ、

伝えたいんです。

優しい人が、自分を壊さずに
この世界で幸せになるための
具体的な方法を。

1. 違和感を感じたら、分析せずに「そっと離れる」

会話をしていて、

「なんか疲れるな」
「モヤモヤするな」
「話が噛み合わないな」

と感じたら
その直感はだいたい正しいです。

脳が「逃げろ」と
信号を出しているんです。

相手が良い人そうに見えても
関係ありません。

相性が悪いだけかもしれませんし
無自覚なテイカーかもしれません。

ここで真面目な人ほど、

「なんでだろう?」
「自分の受け取り方が悪いのかな?」

と分析しようとしますが
それは時間の無駄です。

無理に分析しなくていいんです。

「あ、この人とは合わないな。閉店ガラガラ」

心の中でシャッターを下ろして
そっと距離を置きましょう。

物理的に会う回数を減らす
それが第一歩です。

2. 相手を「空気」として扱う(スルーする力)

昔、中国を旅していた時に
衝撃を受けた光景があります。

街中で必死にビラ配りや
怪しげな勧誘をしている人がいても、

現地の人はまるで
「そこに誰もいない」かのように
完全にスルーして歩いていました。

視線も合わせない、声もかけない
歩くスピードも変えない。

完全に「空気」としての扱いでした。

恐らく、

日本人だったら
「いらないです」みたいに
軽く会釈して去っていく人もいるはず。

でも、

中国人は違いました。

この「スルー力」って
自分を守るためにすごく大事です。

この「空気として扱う技術」は
静かな日常を送るうえで
かなり役立ちます。

具体的には、

電話に出ない。
LINEも返さない。
通知も切る。

罪悪感はいりません。

これは平穏な暮らしと
家族の笑顔を守るための
「正当防衛」ですから。

3. 環境を変えることも逃げじゃない(戦略的撤退)

これは比較的最近
ロシアでの話です。

以前住んでいたのは
郊外の少し田舎町でした。

のどかで良いところだと
思っていたのですが、

住んでみると違いました。

僕ら家族が少し幸せそうにしていたり
外国人の旦那がいるというだけで
近所の人から嫉妬や嫌がらせを
受けたことがありました。

根も葉もない噂を流されたり
冷ややかな視線を浴びせられたり。

「何もしていないのに、なんで?」

と理不尽に思いましたし
妻も傷ついていました。

でも、そこで、

「分かってもらおう」

と戦っても消耗するだけなんです。

相手の感情や民度は
僕らには変えられません。

だから僕らは、戦うのをやめました。

街の中心部の
より生活水準が高いエリアに
さっさと引っ越しました。

そこでは、

マンション併設の幼稚園の月謝は
一人18万円。

ベンツとかBMWとかポルシェとか。

たくさんの高級車が普通に止まっています。

ここでは僕らは全くもって
裕福とは言えません。

そのため、

もちろん嫌がらせは
まったく受けません。

周りも自分たちの生活を
楽しんでいる人たちばかりで
他人の家に干渉するような
暇な人はいなかったからです。

環境が合わないなら
住む場所を変えてでも逃げる。

会社が合わないなら、辞める。

それは「逃げ」じゃなくて、

自分と家族を守るための
「戦略的撤退」であり、

より良い場所へ行くための
「前進」です。

 

唯一のメリットと「許容範囲」

もちろん、

これまで「聞き役」を
続けてきたことが
全て無駄だったわけではありません。

僕の場合、

人の話をひたすら聞き続けた経験
相手の顔色を伺ってきた経験が
今の「コンサルティング」の仕事に
めちゃくちゃ活きています。

人の悩みの本質を見抜き
言葉にならない感情に寄り添う力。

これは、内向的な僕が
長い時間をかけて手に入れた
強力な武器になりました。

でも、

これには「許容範囲」があります。

自分が疲弊しきって
精神的に潰れてしまったら
元も子もありません。

仕事も
家族との幸せな時間も
未来への希望も。

すべて失ってしまいます。

自分が壊れてまで
我慢する必要なんて
この世にありません。

自分の心が「限界だ」
というサインを出したら、

すぐにその場を離れ
一人で静かに過ごす時間を作りましょう。

自分自身を守ることを
何よりも優先するべきです。
 

 

最後に:孤独を恐れなくていい

「そんなことをして
友達がいなくなったらどうしよう」

そう思うかもしれません。

でも、大丈夫です。
僕が保証します。

友達なんて、

本当に心を許せる人が
1人いれば十分だと僕は思います。

もし今いなければ
いない期間があってもいい。

無理に合わせて作った100人の友達より
沈黙が心地いい1人の親友の方が
人生を豊かにしてくれます。

無理な人付き合いで消耗するくらいなら
一人の時間を楽しんでください。

誰にも邪魔されず
自分の好きなことだけをする。

本を読んでもいい
映画を見てもいい
ただぼーっと散歩をしてもいい。

そうやって、

自分の「心の気力」を
満タンまで回復させてください。

エネルギーが満ちてくれば
自然と雰囲気も変わります。

表情も明るくなります。

そして、

そのポジティブで満ち足りた空気に
引き寄せられて、

今度はエネルギーを
奪うテイカーではなく、

本当に波長の合う「ギバー」や
人生を共に楽しめる一生の「親友」

が、必ず現れます。

これは、40年生きてきた
僕の実感であり、確信です。

もう、

無理して「いい人」でいる必要はありません。

今日から、

自分自身の幸せのために
少しだけ自分を守ることを
優先してみてください。

自分の人生は、

他の誰のものでもない
自分だけのものですから。

 

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