旅は人生を変えない?「21年の旅」が教えてくれたリアル

こんにちは、森翔吾です。

今日はちょっと
世の中の「常識」に対して、

僕なりの本音を
ぶちまけてみようと思います。

テーマは、

「旅と人生の成功法則」

について。

最近、

本当によく聞きませんか?

「旅をすると人生が変わる」

「若いうちは借金してでも海外へ行け」

「移動距離と年収は比例する」

こういう言葉。

SNSを開けば
インフルエンサーたちが
こぞって言ってますよね。

確かに耳障りはいいんです。

空港のあの独特な匂い。

見たことのない絶景。

日本ではありえないような
刺激的な出会い。

それらを「自己投資」という
きれいな言葉でラッピングすれば、

誰もが憧れる
「成功へのショートカット」
に見えるかもしれません。

でも、

10年以上旅を続けて
旅で出会ったロシア人女性と結婚して
実際にロシアに移住して
異国の地で子育てまでしている。

そんな僕だからこそ、

あえて水を差すようなことを
言わせてください。

結論から言います。

旅は、人生を良くするための
「万能薬」ではありません。

ましてや、

成功するための
「必須条件」でもないんです。

だって、

旅をしなくても
幸せな人は山ほどいる。

まず、

ここを認めることから
始めないといけません。

世の中には旅なんてしなくても
最高に充実した人生を
送っている人が山ほどいます。

たとえば、

一つの研究室に何十年もこもって
顕微鏡の中のミクロな世界に
宇宙を見出している研究者。

あるいは、

冷暖房の効いた部屋で
ディスプレイに向かって
美しいコードを書き続けることに
至上の喜びを感じるプログラマー。

さらに、

生まれ育った地元の工房で、
伝統工芸の技を磨いて、

その指先から
魔法のような作品を生み出す
職人さんたち。

彼らにとって、

「海外旅行」とか
「移動」なんてものは、

ただのノイズでしかないかも
しれないんです。

自分の内側にある世界を
深く、深く掘り下げていくこと。

そこに真の幸福がある人にとって、

「外の世界を見ろ」

なんてアドバイスは、
大きなお世話以外の何物でもない。

じゃあ
なんでこれほどまでに

「旅する人 = 成功者」

みたいなイメージが
作られているのか?

答えは残酷なほどシンプルです。

「旅する人は、目立つから」

ただ、それだけ。

旅先の絶景。

色鮮やかな料理。

ビジネスクラスのチケット。

これらって写真に撮ると
めちゃくちゃ映えるんですよ。

InstagramやYouTubeとの
相性が抜群にいい。

一方で、

研究室で悩み抜いている姿や
工場で黙々と作業する背中は
地味すぎて、

「いいね」がつきにくい。

要するに、

「可視化されやすい人たち」
の声が大きくなって、

世の中のイメージを
ジャックしているに過ぎないんです。

これを
「生存者バイアス」ならぬ、

「可視性バイアス」

とでも呼ぶべきでしょう。

だからもしあなたが今、

日本で地道に働いていて
旅に興味が持てないとしても、

焦る必要なんて
1ミリもありません。

自分の気質に合った場所で
自分の幸せを掘り下げる。

それがあなたにとっての
「正解」である可能性は
非常に高いんです。

 

目次

旅という「劇薬」の副作用

さらに言えば、

旅には明確な
「リスク」があります。

キラキラしたインフルエンサーたちは
決して語りませんが、

旅は人の心を壊す
「劇薬」にもなり得るんです。

僕はこれまで
たくさんの国を訪れて、

その「光」と「影」を
両方見てきました。

その中には
目を背けたくなるような現実も
ありました。

あるアジアの発展途上国の
スラム街を歩いていた時のことです。

そこには
日本では考えられないような
衛生状態の中で、

必死に生きる人たちがいました。

鼻をつく強烈な腐敗臭。

絶え間ないバイクの騒音。

肌にまとわりつくような、
淀んだ空気。

さらに、

空き地一面を埋めつくす
ゴミ山にたかるのは、

豚、犬、ネズミ、ヤギ、イノシシ。

そこにさらに人までもが
何か金になるものを探している…

これはインドの田舎町の光景ですが
本当にカオスでした。

その中で最も僕の心を抉ったのは、

路上に座り込む
子供たちの姿でした。

まだ幼い
あどけない表情の少年。

でも、

彼の手足は不自然な形で
失われていました。

事故ではありません。

物語の中の話でもありません。

大人の金儲けの道具として、

同情を誘って
お金を恵んでもらうために
意図的に体を傷つけられた子供たちが
現実にそこにいたんです。

その光景を見たとき
僕の中で何かが
音を立てて崩れ落ちました。

「旅は素晴らしい?」

「世界は美しい?」

そんな綺麗事が
喉の奥で押しつぶされました。

自分の無力さ。

人間の底知れない欲深さと残酷さ。

生まれた場所が
数千キロ違うだけで、

これほどまでに
運命が書き換わってしまうという理不尽さ。

あまりにも強烈な現実を
目の当たりにして、

精神のバランスを崩してしまう
旅人もいます。

「世界を知る」

ということは、

自分がいかに守られた温室で
生きてきたかを知ることであり
同時に、

どうしようもない
世界の巨大な悪意に
晒されることでもあるんです。

そのショックで
鬱になってしまったり、

人間不信に陥って
帰国したりする人も
少なくないかもしれません。

旅とは、

決してポジティブな側面だけでは
ないってことです。

 

旅に「過度な期待」をすると、逆に不幸になる

そして、

この旅という行為に
「過度な期待」
しすぎないでください。

もしあなたが、

旅に「即効性のある成果」
求めすぎると、

大抵の場合
痛い目を見ます。

なぜなら、

旅はギャンブルじゃないからです。

スロットマシンのレバーを引いて
「777」が揃うのを待つような感覚で
海外に行っても、

大抵の場合
何も起きません。

何も起きないし
誰も助けてくれないし
ただただ、

汚い街角で途方に暮れるだけ。

そうなった時
期待が大きければ大きいほど、

「なんだ、何も変わらないじゃん」

「やっぱり自分はダメなんだ」

と勝手に落ち込んで
勝手に傷つくことになります。

これは、

すごく勿体ないことです。

旅の本質は
劇的なイベントじゃなくて、

「地味な体験の積み重ね」

にあると僕は思っています。

何も起きなかったこと。

誰とも話さなかったこと。

ただ異国の風に吹かれて
ベンチでぼーっとしていたこと。

その「何もない時間」が
ボディブローのように
じわじわと効いてきて、

数年後に、

「あ、あの時の経験が
今の自分を作ってるな」

と気づく。

それくらいの
長いスパンで捉えるものです。

だから、

焦って「成果」を
求めないでください。

期待せずに
ただ淡々と。

その場に身を置いてみる。

それくらいのスタンスが
一番、旅を楽しめるし、

結果的に人生を変えることに
つながるんだと思います。

 

それでもなぜ、僕は旅を選んだのか

ここまで
旅の「不要論」や「危険性」を
語ってきました。

「じゃあ、森さんはなんで旅をしてるの?」

「なんでわざわざ海外に住んでるの?」

そう思いますよね。

ここからが
僕自身の
僕だけの「真実」です。

万人に旅が必要だとは思いません。

でも、

僕という人間にとって
旅は人生を変えるための
「唯一のルート」でした。

僕の旅の原点、父が教えてくれた「豊かさ」

正直に言うと、

僕の旅の原点は
幼少期にあります。

僕がまだ幼稚園児だった頃
5歳くらいの時なので
今から約36年前の話。

僕の父親は
普通のサラリーマンでしたが
子どもの頃、

父親の会社の保養施設があった
長野県の蓼科というところに、
家族でよく旅行に行ってました。

たぶん、

年3回は行ってましたね。

宿泊料は祖母を含む
家族6人で行っても
夕食と朝食がついて
2万円くらいだったと思います。

他のホテルには泊まったことは
なかったですけど、

僕にとって旅は、
「豪華じゃなくても、こんなに楽しい」
というポジティブな記憶として残っています。

またこれは最近
父親と話して分かったことですが、

節約のために
高速を使わずに
下道で5〜6時間かけて
長野まで行ってたそうです。

「でもその分、
たくさんの回数行けたから
よかっただろう?」

って。

この父親の
「節約するけど、回数を増やす」
 という思想が、
今の僕の旅のスタイル
(低コスト・高頻度)の原点なんです。

そして今、その影響が
僕の子供たちにも続いています。

ちょうど今、

妻が長女ソフィアを連れて
南ロシアのほうに10日間ほど
旅に出ています。

決して豪華な旅行ではなく
飛行機は一番安かった時期。

ホテルも1泊3,000円
くらいの宿に泊まって、

トータルで
日本円で60,000円〜70,000円くらいに
収まる旅です。

これは、
僕の父親が節約したのと同じ。

僕らがそうしても
夫婦円満でいられるのは、

お互いに旅という共通点があり
「この旅には意味がある」
という確信を持っているからです。

旅は、

幼少期の僕が楽しかった記憶を
そのまま子供たちに与えてあげたい
というシンプルな思いから始まっています。

だからこそ、

万人に旅が必要だとは思いません。

でもね、

僕という人間にとって
旅は人生を変えるための
「唯一のルート」でした。

僕は、

研究者のように
一つの場所で深めるタイプでは
ありませんでした。

日本の「常識」や「空気」の中で
うまく息ができずにいたタイプでした。

そんな僕にとって、

移動し、環境を変え
強制的に脳を揺さぶる
「旅」という行為は、

自分の殻を破るための
最強のハンマーだったんです。

そして、

僕たち夫婦の始まりも
旅の中にありました。

僕らが妻と出会ったのは
ベトナムのハノイでした。

仮に、

もし僕が日本に留まっていたら
今の妻と出会うことは
ありませんでした。

言葉も文化も違う彼女と結婚し
子供を授かる。

そこで僕が直面したのは、

「いかにして、この家族を経済的に
安定した土台で守るか」

という最も現実的な課題でした。

かつて東京でシミュレーションし
絶望したあの生活
(年収と生活費がトントンになる現実)
を避ける必要があったんです。

その結果、

僕らが選んだのが
妻のルーツであり
生活費が安く
家族のサポートも受けられる、

「ロシアへの移住」

だったんです。

そして、

ロシアという国が
日本のメディアが報じる
「寒い、怖い」というイメージとは
全く違う、

温かく、人間臭い生活を
僕に見せてくれた。

もちろん、

歴史的な背景は過酷です。

ソ連崩壊後の大混乱。

通貨危機。

預金封鎖。

昨日まで価値があった紙幣が
翌日には紙屑になる。

昨日までは金持ちだった人が
パンすら買えなくなる。

そんな「戦後の日本」のような
カオスを経験してきた彼らの生き方は

本当にたくましいと感じました。

今、僕の目の前にある
「家族」という
かけがえのない宝物は、

僕がパスポートを持って
海を越え、

リスクを取って移動したからこそ
手に入ったものです。

これは結果論かもしれません。

でも、

僕にとっては
紛れもない必然でした。

旅先での出会いが
僕の遺伝子を残す場所へと
導いてくれた。

そして、

海外で子育てをするという
想像もしなかった未来を
プレゼントしてくれた。

だから僕は
旅に対して感謝しかありません。

僕にとっては
旅こそが人生を好転させるための
「ショートカット」であり、

人間としての器を広げるための
「修行の場」だったんです。

 

 

「日本ガチャ」という奇跡に気づくとき

そしてもう一つ。

海外に出て
過酷な現実を知れば知るほど、

僕の中で強烈に育っていった
感情があります。

それは、

「日本という国への圧倒的な感謝」

です。

ネットを見れば、

「日本はオワコン」

「経済停滞」

「将来性がない」

といったネガティブな言葉が
溢れています。

確かに、

経済指標を見れば
そうかもしれません。

政治に文句を言いたくなる気持ちも
わかります。

でも、

世界を知ってから日本を見ると、

そこはまるで
「天国」です。

蛇口をひねれば
飲める水が出る。

夜道を女性が一人で歩いても
危なくない。

救急車を呼べば
お金の心配をする前に
命を助けてくれる。

電車は秒単位で正確に来る。

役所で賄賂を
要求されることがない。

これらがどれほど「異常」で
「奇跡的」なことか。

先ほど話した
手足を奪われた子供たちがいる国と
比べてみてください。

突然のミサイル警報に
怯えながら暮らす国の人々と
比べてみてください。

明日のパンが買えるかわからない
インフレに苦しむ国と
比べてみてください。

僕たちは生まれた瞬間に、

「日本」

という超大当たりくじを
引いているのです。

いわゆる「親ガチャ」という
言葉がありますが、

僕たちは全員
とてつもない確率の、

「国ガチャ」

に当選している勝者って感じ。

この事実に頭ではなく
肌感覚として気づけること。

これが旅の最大の効能かもしれません。

日本のパスポートを
持っているだけで、

世界中のほとんどの国に
ビザなしで行ける。

失敗しても
帰る場所がある。

飢え死にするリスクが
極めて低い。

この「安心感」があるからこそ
僕たちは挑戦ができる。

僕が海外でビジネスをしたり
ブログなどで発信をしたり
こうして自由に生きられるのも、

究極的には
「安定した日本」という
安心感があるからです。

海外に出ることで
日本の凄さを知り、

日本人に生まれたことへの
感謝が湧き上がってくる。

「ああ、自分はなんて恵まれているんだろう」

「この恵まれた環境を無駄にしちゃいけない」

「もっと頑張ろう」

そんな純粋なエネルギーが
湧いてくるんです。

 

旅の本質は「スタンプラリー」ではない

しかし、

勘違いしてはいけないことが
あります。

ただ飛行機に乗り
観光地を回り、

パスポートにスタンプを
増やすだけの行為。

それは旅ではなく
ただの「移動」であり、

「スタンプラリー」です。

「海外に行ったことがある」
という事実だけじゃ
何の自慢にもなりません。

重要なのは、

「そこで何を感じ、どう思考し、
自分をどう変えたか」

だけです。

僕がロシアで感じた
寒い中でも必死に生きる人達。

ベトナムで感じた
熱気と貧困のコントラスト。

香港で感じた
資本主義のスピードと冷徹さ。

ドバイで見た富の偏在。

それらを見たとき
僕はただ「すごいな」で
終わらせませんでした。

「なぜ、この国はこうなのか?」

「なぜ、彼らはこんなに幸せそうなのか?」

「自分なら、この環境でどう生きるか?」

「日本の常識は、ここでは通用しない。じゃあ、人間として共通する正解は何だ?」

そうやって自問自答を繰り返し
自分の頭の中にある
「世界地図」を何度も何度も
書き換えてきました。

固定観念をぶっ壊し
偏見を捨て
ゼロベースで物事を考える。

その、

「思考のプロセス」こそが
僕の人間性を高め
人生の質を上げてくれたのだと
確信しています。

なんとなくYouTubeを見る。

なんとなくTwitter(X)を眺める。

なんとなくAIを使って楽をする。

なんとなく海外に行ってみる。

この「なんとなく」を
捨てない限り、

どこに行っても
人生は変わりません。

逆に言えば、

日常の中でも
「真剣さ」を持って
世界を見つめれば、

旅に出なくても
気づきは得られるはずです。

でも、

僕は弱い人間でした。

日常の中では
その「真剣さ」を維持できなかった。

だから、

強制的に環境を変える
「旅」という手段を使いました。

物理的に場所を変え
付き合う人を変え
入ってくる情報を変えることで、

ようやく僕は「自分の人生」を
生きることができるようになったんです。

 

おわりに

最後に改めて言いますが、

「旅」

は、すべての人に必要なものでは
ありません。

もしあなたが、

今いる場所で
今の仕事に没頭し、

家族との時間を楽しみ
そこに幸せを感じているのなら、

無理に外の世界に出る必要なんて
けっして無いと思います。

それは「逃げ」ではなく
立派な「選択」です。

自分の土俵を見つけ
そこで輝いている人を
僕は心から尊敬します。

でも、

もしあなたが
今の環境に違和感を
感じているなら。

「ここは自分の居場所じゃない」
と感じているなら。

あるいは、

もっと広い世界で
自分の可能性を試してみたいという
疼きがあるなら。

その時は、

勇気を出して
「移動」してみてください。

行き先はどこでもいい。

近場の温泉でも
隣の県でも
あるいは海の向こうでも。

そこには、

あなたの常識を粉々に砕く
現実が待っています。

残酷な景色に
傷つくかもしれません。

日本の良さを痛感して
ホームシックになるかもしれません。

でも、

その経験のすべてが
あなたの血肉となり
人間としての深みを作ってくれます。

僕にとって
旅は人生そのものでした。

旅があったから
家族ができた。

旅があったから
今の仕事がある。

旅があったから
日本の良さに気がついた。

旅があったから
生きている実感が湧いた。

これは僕という
一人の人間のサンプルに
過ぎません。

でも、

もしこの話が
あなたの人生の選択肢を
一つでも増やすきっかけになれば
すごく嬉しいなと思います。

人生は一度きり。

旅に出るもよし。

こもって極めるもよし。

大切なのは
世間の声に流されず、

「あなた自身が心から納得できる生き方」

を選び取ることです。

そのためのヒントが今日の話の中に
少しでもあれば良いなと思います。

それでは、また。

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