森翔吾です。
今、プーケットの
パトンビーチにいます。
マリオットに泊まって目の前には海。
ビーチリゾートです。
でも、
正直に言います。
一人だったら
僕は絶対にここに来ていません。
結婚前の話をします。
ロシア人の妻がドバイで
働いていた時期がありました。
僕は年に3回くらい
毎回1ヶ月ほど通っていました。
ドバイといえばきれいな海。
リゾートの代名詞みたいな場所です。
でも、
僕はプールでもビーチでも
ほとんど泳ぎませんでした。
朝起きて、部屋で仕事。
夕方になったら
仕事が終わった妻と合流して、
モールへ行ったり
ドライブしたり散歩したり。
泳いだのは
1ヶ月で1回あったかどうか。
当時は子供もいなかった。
誰かと一緒に海に行く未来なんて
想像すらしていなかった。
塩水でベタベタするのが面倒。
砂がついて部屋が汚れる。
日焼けしてヒリヒリする。
そういうのが
正直しんどいんですよね。
海が嫌いというより
自分の行動パターンとして、
ビーチリゾートという選択肢が
そもそも存在しなかった。
それが今、
家族4人でビーチリゾートに来ています。
6歳と3歳の娘を連れて
飛行機に乗って、
ロシアのマイナス27度から
タイの33度へ。
結婚して、子供ができて、
「家族旅行=ビーチリゾート」
みたいな公式が、
いつの間にか
自分の中に入り込んでいました。
子供がいるという前提が
当たり前になりすぎて、
自分はそもそも
どういう人間だったかを
すっかり忘れていたんです。
7日目の昼、
ホテルのキッズエリアで
子どもたちを遊ばせている時に
ハッと、気づきました。
「あれ、そういえば自分は
海とか好きじゃなかったはず!?」
結婚し子供が生まれてから
子育て中心の生活に没頭して
すっかり忘れてましたが、
今さらながら
自分の好みを思い出しました。
じゃあ、なぜ来ているのか。
この記事では、
一人なら絶対に選ばない場所に
なぜ僕が家族を連れてきているのか。
その理由を
掘り下げてみたいと思います。
ビーチリゾートの現実
「子供のためにビーチリゾートへ行く」
この言葉には
どこか美しい響きがあります。
キラキラした海。
はしゃぐ子供たち。
でも、
実際に来てみると
ちょっと違うんですよね。
うちの娘たちは
海よりプールが好きです。
ちなみにこれ
うちだけじゃなくて、
ECナビの調査(約9万人回答)でも
プール派61%、海派39%
という結果が出ています。
6歳のソフィアも、3歳のアマヤも
どちらも同じ。
海に連れて行くと最初の数日は
テンションが上がります。
波がきた!
砂のお城を作る!
でも、そこからが問題なんです。
砂が足にまとわりつく。
海水が目や口に入る。
3歳の次女アマヤは特に文句を言い出す。
結局、
「暑い」「痛い」「疲れた」
の三重苦になって海で泳ぐのは
2日も続けば良い方です。
一方、プールはどうか。
ホテルに戻ってプールに入れると
娘たちの目が輝きます。
塩水じゃないから目が痛くならない。
砂もベタベタひっつかない。
プールサイドには日陰がある。
結果、
2時間でも3時間でも
ずっと遊び続けます。
「パパ、もっと遊ぶ!」
「まだ帰りたくない!」
海では聞けなかったこのセリフが
プールでは何度も出てくる。
正直に言うと、
プーケットに来てから数日間。
子供たちが一番楽しそうにしていたのは
ビーチではなくホテルのプールでした。
さらに言えば、
この町での子連れでの移動は
想像以上にハードでした。
歩道の段差、ベビーカーが通れない道
止まらない車や爆音のバイク。
ビーチリゾートの響きは美しい。
でも、実態は意外と厳しい。
じゃあ、
なんでわざわざここに来ているのか。
なぜ「子供のため」だけじゃないのか
その答えを話す前に
少し妻の話をさせてください。
僕の妻はロシア人です。
ロシアでは、
「夫婦の時間」
をとても大切にします。
どのくらい大切にするか。
娘が通っている保育園で
「大人2人」の旅行パッケージが
売られています。
最初、意味がわからなかった。
保育園で、なんで大人だけの旅行?
聞いてみたらこういうことでした。
子供を祖父母に預けて
夫婦二人で旅行に行く。
それがロシアでは普通なんです。
もちろん、
子供を連れて行く人もいます。
でも、
感覚的には
夫婦だけで行く人のほうが多い。
だから、
保育園の旅行パッケージは
「大人2人」が基本なんです。
旅費が半分近くに抑えられますし。
3歳の子も、6歳の子も
おばあちゃんの家に預けて、
パパとママは二人でリゾートへ。
実はこれは、
ドバイに住んでいる
ロシア人やヨーロッパ人の
知り合いも同じで、
当たり前のようにナニーに子供を預けて
10日間くらいの
夫婦二人旅を楽しんでいました。
「子供は?」
と聞くと、
「ナニーがいるから大丈夫」
とケロッとしている。
妻のお兄さん夫婦もそうです。
子供二人をおばあちゃんに預けて
ヨーロッパへ10日間。
最近はロシア国内を1週間。
当たり前のように
夫婦だけで旅行に出かけます。
最初は驚きました。
日本で育った僕には、
「子供を置いて遊びに行く」
という発想がなかったから。
でも、
もっと驚いたのは
妻が「なぜ驚くの?」と
本気で不思議がっていたことです。
「親だって人間でしょ?休みたいし
楽しみたいでしょ?
それの何がおかしいの?」
何も言い返せなかった。
日本では、
親が自分のために何かをする時、
どこかで罪悪感が生まれる。
特に「旅行」なんかだと
「子供のため」という理由がないと
なんとなく後ろめたい。
だから、
本当は自分が行きたいだけなのに、
「子供に海を見せてあげたくて」
「子供の思い出作りのために」
と言ってしまう。
これ、僕だけじゃないと思うんです。
でも、
その「子供のため」が
積み重なると、厄介なことになる。
「私は子供のために
自分を犠牲にしている」
という感覚が生まれてしまう。
これって旅行だけじゃなくて、
子供の習い事選びだって
自分自身のキャリアや仕事の選択だって
全く同じことが言えるはずです。
犠牲にしているつもりはなくても
「子供のため」と言い続けていると
脳がそう認識し始める。
そして、その疲弊は子供に伝わる。
親がイライラしている。
親が無理している。
親が楽しそうじゃない。
子供は、そういう空気を
全身で感じ取ります。
だから僕は
あえて言うようにしています。
「自分のためでもある」と。
マイナスが半年続く
ロシアの冬から逃げたかった。
暖かい場所で
ぼーっとしたかった。
そんなの当たり前のことです。
誰だって思う。
でも、
その「当たり前」を
ちゃんと認めること。
「子供のため」で包み隠さないこと。
それだけで、
旅行中の自分の機嫌が
全然違うんです。
子供と一緒にプールで遊ぶのは楽しい。
でも、
子供が寝た後に
一人でビーチを散歩するのも
同じくらい楽しい。
両方あっていい。
「子供のため」だけで
自分を縛らない。
それが僕なりの
家族旅行の考え方です。
子供の記憶に残るのは「場所」じゃない
ここで一つ
残酷な事実をお伝えします。
3歳の子供は今回の旅行を
ほとんど覚えていません。
6歳でも、かなり怪しい。
これは僕の感覚じゃなくて、
科学的に証明されていることです。
「幼児期健忘」
という現象があります。
人間は、3歳以前の記憶を
ほとんど保持できない。
そして、
3〜7歳くらいの記憶も
大人になるにつれて
どんどん薄れていく。
つまり、
今回のプーケット旅行。
3歳のアマヤは、
大人になった時
何も覚えていない可能性が高い。
6歳のソフィアも、
「なんか海に行った気がする」
くらいの曖昧な記憶しか
残らないかもしれない。
これを知った時
僕は正直、ショックでした。
「じゃあ、意味ないじゃん」
と思ったんです。
高いお金を払って、長い時間をかけて
大変な思いをして連れてきているのに、
子供は覚えていない。
それって、何のためにやってるの?
でも、
もう少し調べてみると
別の側面が見えてきました。
記憶は消えても、
感情は残る。
「何をしたか」は忘れる。
「どこに行ったか」も忘れる。
でも、
「どんな気持ちだったか」は
残り続ける。
楽しかった。
安心していた。
パパとママが笑っていた。
そういう
ぼんやりとした感覚が
子供の心の土台になる。
僕自身の話をします。
幼稚園の頃の記憶
ほとんどありません。
埋もれている記憶もありますが、
「あの頃は楽しかった」
という感覚だけは
なんとなく残っています。
逆に、
「あの頃は辛かった」
という感覚も
残っている時期がある。
具体的に何があったかは
覚えていないのに
感情だけが残っている。
この「感情の記憶」こそが
人格形成に大きな影響を与えるんです。
だから僕は、
こう考えるようになりました。
子供に
「どこに連れて行くか」は
実はそこまで重要じゃない。
大事なのは、
「誰と、どんな気持ちで過ごすか」
です。
プーケットじゃなくてもいい。
近所の公園でもいい。
家のリビングでもいい。
子供が
「楽しい」「安心」「幸せ」
と感じる瞬間をどれだけ作れるか。
それが全てなんじゃないかと
思うんです。
今回の旅行で
一番印象に残っているシーン。
ホテルのプールで
娘二人と遊んでいた時のこと。
二人とも
めちゃくちゃ笑っていました。
僕も笑っていた。
妻も笑っていた。
あの瞬間。
家族4人全員が笑っていた
あの数分間。
10年後、娘たちは
プーケットのことを
覚えていないかもしれない。
でも、
「パパとママと一緒に
すごく楽しかった」
という感覚だけは
心のどこかに残っていてほしい。
場所は関係ない。
お金をいくらかけたかも関係ない。
子供の心に残るのは、「感情」です。
だから僕は、旅行中
できるだけ笑うようにしています。
イライラしそうになっても、
深呼吸して、笑顔を作る。
完璧にはできないけど
意識はしています。
子供は、親の表情を見ています。
親の声のトーンを聞いています。
その空気を、全身で吸収しています。
だからこそ、
親が楽しんでいることが
何より大事なんです。
「子供のために我慢する」
じゃなくて、
「親も一緒に楽しむ」
これが、
子供の心に一番良い記憶を残す方法だと
僕は思っています。
「選択肢を与える」という教育
僕が子供に
本当に伝えたいことは、
たった一つです。
「ここじゃなくても、
生きていける」
これだけ。
世界は広い。
いろんな国がある。
いろんな生き方がある。
どこが正解とか、
どこが間違いとか、
そういう話じゃない。
ただ、
「選択肢がある」
ということを
知っておいてほしい。
僕自身の話をします。
子供の頃
僕の世界はとても狭かった。
田舎の小さな町。
同じ顔ぶれのクラスメイト。
毎日同じ道を歩いて
同じ学校に行って、
同じ家に帰る。
その世界が
「すべて」でした。
だから、
その中で辛いことがあると
逃げ場がなかった。
いじめられても、
「ここで耐えるしかない」
と思っていました。
他の選択肢があるなんて、
想像すらできなかった。
大人になって海外に出て、
いろんな場所で暮らしてみて、
初めて気づきました。
世界って、こんなに広かったんだ。
その瞬間
心がすごく軽くなりました。
「ここがダメでも、他がある」
そう思えるだけで、
人生の難易度が
一気に下がったんです。
これを、子供たちにも伝えたい。
今、娘たちは
ロシアの保育園に通っています。
そこが彼女たちの「世界」です。
でも、
それだけじゃないんだよ、
ということを
見せてあげたい。
日本に行けば、
日本語を話す人たちがいる。
タイに行けば、
タイ語を話す人たちがいる。
ドバイだとアラビア語。
どこに行っても
人は生きている。
ご飯を食べて、
笑って、寝て、また起きる。
その当たり前の光景を、
いろんな場所で見せてあげること。
それが、僕にできる
最大の教育だと思っています。
もし将来、娘たちが
ロシアで辛い目に遭ったら。
「日本に行こう」
と言える。
日本で辛かったら、
「他の国に行こう」
と言える。
そのために、
言語を学ばせています。
ロシア語、日本語、英語。
3つの言語ができれば、
世界の大半の場所で
生きていける。
今回のプーケット旅行。
子供たちは
タイ語を学んだわけでも、
タイの文化を
深く理解したわけでもない。
でも、
「ロシアじゃない場所」
で過ごした経験は、
確実に残ります。
空港で飛行機に乗った。
知らない言葉が聞こえた。
暑い場所で泳いだ。
見たことない食べ物を食べた。
そういう一つ一つが、
「世界は広い」
という感覚を
育ててくれる。
親として、
僕ができることは限られています。
子供の人生を
コントロールすることは
できない。
でも、
選択肢を見せてあげることは
できる。
「ここしかない」
と思い込んで
苦しむ人生じゃなくて、
「ダメならあっちに行こう」
と軽やかに動ける人生を
歩んでほしい。
そのための種まきを、
今、やっているんだと思います。
一人なら来ない場所に、家族で来る意味
最初の問いに戻ります。
一人なら絶対に来ない場所に、
なぜ家族を連れてきているのか。
答えは、シンプルです。
自分の「自由」を広げたかったから。
昔の僕は、
「自由」とは
「誰にも縛られないこと」
だと思っていました。
一人で好きなように生きること。
それが自由だと。
でも今は、
少し違う考えを持っています。
一人の時の自由は、
自分の好きなことだけをする自由です。
好きな場所に行き、
好きなものを食べ、
好きな時間に寝る。
それはそれで心地いい。
でも、
その自由には限界があります。
自分の枠から
出られないんです。
家族がいるから、
一人では行かない場所に行ける。
家族がいるから、
一人では見られない景色が見える。
家族がいるから、
一人では気づけない自分に気づける。
それって、ある意味、
最高の自由なんじゃないでしょうか。
7日目の昼、
ホテルのキッズエリアで
子どもたちを遊ばせている時に、
「自分って海とか好きじゃないんだよな」
と気づいた瞬間。
でも同時に、
こうも思いました。
「でも、ここに来てよかったな」
と。
例えば15年後
娘たちが、
「あの時のプーケット楽しかったね」
なんて覚えてなくてもいい。
「世界は広かったね」
という感覚だけ持って、
どこかの国で笑って生きていてくれたら。
それだけで僕が
今日砂まみれになった意味はあるんです。
それでは、また。
