こんにちは、森翔吾です。
今日は、
今まであまり
話してこなかった、
いや、正直に言うと
「ちょっと恥ずかしくて
隠していた話」
をしようと思います。
テーマは、ズバリ
「運」
について。
皆さんは、自分のことを
「運が良い」
と思いますか?
それとも
「運が悪い」
と感じていますか?
僕の人生を客観的に見ると
よく人からこう言われます。
「森さんは運がいいですよね」
「奥さんと出会えたのも
奇跡みたいな確率ですよね」
確かに、その通りなんです。
僕とロシア人の妻が出会ったのは
ベトナムのハロン湾。
しかも、
妻がベトナムに滞在していた時間は、
たったの「20時間」
でした。
20時間ですよ?
もし僕が一日でも
到着が遅れていたら、
今の家族も、子供たちも
このロシアでの生活も
存在しなかった。
これを「運命」や「奇跡」と呼ぶのは
簡単です。
でも、
今日僕が皆さんに伝えたいのは、
そんなロマンチックな
話だけではありません。
むしろ、
もっと現実的で、泥臭くて、
でも誰にでも再現できる
「ある法則」
についてです。
それは、
運が目の前に落ちてきた時
それを拾えるかどうかは、
あなたが「決断」できるかどうか
という残酷な真実です。
今日は、
僕のちょっと情けない
過去の失恋話も含めて(笑)、
人生を変えるための
「運の掴み方」について
本音で書いてみようと思います。
⚙️ 運命の歯車が噛み合った「ベトナムの20時間」
そもそも、
なぜ僕があの時
ベトナムにいたのか。
そして、
なぜ妻があの場所にいたのか。
ここからして
不思議な巡り合わせでした。
僕が旅に出た「個人的なルーツ」
当時、僕は
「自分探しの旅」
の真っ最中でした。
サラリーマンを辞めて
起業してから数年後、
アメリカ人パートナーに騙され
在庫を持ち逃げされ
500万円近い損失を出した後……
奇跡的に「神セラー」に出会って
経済的な自由を
手にした時期です。
時間とお金ができた僕は
自分の過去や性格を深掘りするために
世界中を旅していました。
そこでふと頭に浮かんだのが
小中学校時代の一番の親友
グエン君のことでした。
彼はベトナムにルーツを持つ子で、
勉強もできたし
ギターも上手くて
絵の才能もあって……
何より、
子供離れした
「大人びた雰囲気」
を持っていました。
「なんで彼は、あんなに
大人びていたんだろう?」
大人になった今
ふと思ったんです。
もしかしたら、
ベトナム戦争や難民といった背景が
彼や彼の家族を
そうさせたのかもしれない。
彼のルーツを知れば
僕自身の価値観にも
何かヒントがあるかもしれない。
そんな、
あくまで僕の勝手な
推測と好奇心だけで
ベトナム行きのチケットを取りました。
妻の「20時間」の理由
一方、妻はどうだったか。
彼女はその時、
ロシアからタイのプーケットへ
お母さんを招待する旅行の途中でした。
そのトランジット(乗り継ぎ)のために
前から興味があったベトナムに
立ち寄っていたんです。
滞在時間は、
わずか20時間。
その短い時間を利用して
彼女はハロン湾のクルーズツアーに
参加しました。
僕も、
同じツアーに一人で参加していました。
ここで、
小さな「偶然」が起きます。
ツアーの席順です。
普通なら、
欧米人は欧米人同士
アジア人はアジア人同士で
固められることが多いですよね。
その日も最初はそうでした。
でも、
途中から家族連れのグループが
追加で乗ってきたことで
席が足りなくなったんです。
その結果、
一人参加だった僕だけが
「アジア人枠」からあぶれて、
妻が座っていた
「欧米人枠」の席に
放り込まれることになった。
周りはみんな
ヨーロッパや米国から来た人たち。
その中にポツンと放り込まれた
日本人の僕。
そこで同じテーブルにいたのが
今の妻でした。
お互いに一人旅。
自然と会話が始まり
その一瞬の交差で
連絡先を交換しました。
これが、僕らの出会いです。
確かに、これは「運」ですよね。
神様のいたずらと言ってもいいくらいの
確率です。
でも、
ここからが今日の本題です。
この「運」を「結婚」という
現実に変えたのは実は、
運の力ではありませんでした。
💔 【恥ずかしい告白】インド行きのチケットと、日本にいた「好きな子」
実は、
妻と出会ったこの時、僕は彼女に
「ある重大な秘密」
を隠していました。
それは、僕が
「1ヶ月後のインド行きのチケット」
を持っていた
ということです。
地図を見ればわかりますが
インドはドバイ
(妻が当時働いていた場所)
のすぐ隣です。
普通なら、
妻:
「私はドバイに住んでて
不動産系の仕事をしているわ。」
「えっ、君はドバイで働いてるの?
実は僕さ、来月
インド行きのチケットを持ってて。
ついでにドバイにも寄るよ!
それにしてもすごい偶然だね!」
って、話せたはずです。
でも、
僕は言いませんでした。
「じゃあね」
と言って、そのまま別れました。
なぜか?
正直に言いますね。
当時、日本に
「片思いしている女の子」
がいたからです。
その子とは、
何度もご飯に行ったり
遊びに行ったりしていました。
でも、
付き合うまでには至らない。
なんとも言えない、
中途半端でモヤモヤした関係が
数年続いていました。
だから、
ベトナムで妻と出会って
「いいな」と思っても、
「日本に好きな子がいるしな……」
という思いが
ブレーキをかけていたんです。
二股をかけるような
器用なこともできないし、
何より、
不誠実なことはしたくなかった。
運命を変えた「返信のないLINE」
日本に帰国してすぐ
僕はその日本の女の子に連絡しました。
「日本に帰ってきたんだけど調子どう?
またご飯でも行かない?」
いつもなら、
すぐに返信が来る子でした。
でも、
その時は
待てど暮らせど返信が来ない。
数日後、
もう一度送ってみました。
それでも、返信がない。
1週間が経ちました。
この時、僕の中で
何かがプツンと音を立てて
繋がりました。
「あれ、これって……」
無視されているわけでも
ブロックされているわけでもない。
ただ、返信がない。
僕はこれを、
「運命からのメッセージ」
だと捉えました。
「そっちはもう終わりだよ。
次に行きなさい」
という、何かの合図なんじゃないかと。
「決断」の瞬間
ここで僕が、
「いや、忙しいだけかも」
「もう少し待ってみよう」
と、優柔不断に粘っていたら
今の人生はありませんでした。
僕はそこで
「決断」
しました。
「よし、もう彼女のことは諦めて
新しい方向に進もう」
そう心に決め、
インドへ飛び立つ
残り2週間のタイミングで、
ロシア人の彼女(妻)に
連絡しました。
「実はインド行きのチケットを
持ってるんだ。
ドバイの近くだよね?
よく考えたんだけど
ドバイに行こうと思う。
会わない?」
もし、あの時
「どっちつかず」
の状態でキープしようとしていたら
間違いなく両方失っていたと思います。
片方を断ち切るという
「決断」
をしたからこそ
運命の歯車が次に進み始めたんです。
(ちなみに後日談ですが、
日本の女の子から
しばらくして連絡が来ました。
「ごめん、たまたま忙しくて
返信できなかった!」
と。
本当にたまたまだったみたいです。
でも、その時にはもう
僕の心はドバイに向かっていました。
不思議なタイミングですよね)
ここで気づいた大切なことがあります。
僕がこの運を活かせたのは、
単なる「ラッキー」や「タイミング」
のせいではありませんでした。
実は、
その数年前の決断の積み重ねが
「運を受け止める体制」
を作っていたんです。
💰 運を掴めるのは「準備ができている人」だけ
さて、ここで
少し冷静な話をさせてください。
もし、
この運命的な出会いがあった時、
僕が
「サラリーマン」
だったらどうなっていたでしょうか?
結論から言うと、
100%うまくいっていませんでした。
あ、ここで先に
一つだけ言わせてください。
これは決して、
「俺は金持ちだったんだぞ」
「すごいだろ」
という、
自慢話をしたいわけでは
決してありません。
ただ、
客観的な「事実」として、
「物理的にどうだったのか?」
という検証をしたいんです。
当時、
僕は彼女に会うために
年に3回、毎回1ヶ月ほど
ドバイに滞在していました。
ドバイですよ?
物価も高いし
旅費も含めれば1回の滞在で
50万〜70万円は軽く飛びます。
しかも、
1ヶ月という長期休暇が必要です。
普通の会社員に
そんなお金と時間の余裕があるでしょうか?
上司に
「ちょっと運命の女性に会いに
ドバイに1ヶ月行ってきます」
なんて言えますか?(笑)
絶対に無理ですよね。
つまり、
僕があの出会いをモノにできたのは、
「運を受け入れられるだけの
『経済力』と『時間』を持っていたから」
に他なりません。
そして、
その状態(準備)を作っていたのは
過去の僕の
「決断」
でした。
- 29歳で、「このままじゃ終われない」とサラリーマンを辞める決断をしたこと。
- 起業して3〜4年はかなり大変でした。その中で、詐欺にあって在庫を持ち逃げされ、500万円を失うどん底を味わっても、「絶対に諦めない」と続ける決断をしたこと。
- その結果、「神様セラー」に出会い、自由な生活を手に入れていたこと。
運は、
誰の目の前にも平等に降ってきます。
でも、それをキャッチできるのは、
「バットを振れる状態」
に仕上げていた人だけ
なんです。
もし皆さんが今、
「運命の出会いがないかなぁ」
「いいビジネスの話が来ないかなぁ」
と思っているとしたら、
一度自分に問いかけてみてください。
「もし明日、そのチャンスが来たとして
即座にドバイに飛べる準備はできているか?」
スキルはあるか?
時間はあるか?
お金はあるか?
もし「NO」なら、
運を嘆く前に、
まずはその「状態」を作ることに
全力を注ぐべきだと思うんです。
🇷🇺 僕が妻を生涯のパートナーに選んだ「本当の理由」
話は少し戻りますが、
僕が妻との結婚を決めた理由。
それもまた、彼女自身の
「決断」と「生き様」
にありました。
出会った当時、彼女は
「ドバイで働いている」
と言っていました。
僕は勝手に、
「へぇ、実家が裕福なのかな」
「エリート駐在員みたいな感じかな」
と想像していました。
ドバイってキラキラした
イメージですからね。
でも、
付き合っていくうちに知った事実は
全然違いました。
月給5万円の出稼ぎ労働
妻が4歳の時に
ソ連が崩壊しました。
その直後の1990年代ロシアは
ルーブル暴落や経済危機に見舞われ
失業率が急騰していました。
彼女が20歳になり
就職する時期には
地元での仕事は絶望的な状況で、
周りの友人が就職していく中
自分だけが決まらない
焦りを感じていたそうです。
そこで彼女がした決断は、
「ドバイに出稼ぎに行く」
ことでした。
しかも、
条件はホテルでの住み込み労働。
給料は、たったの
月5万円
です。
日本人なら、
まず選ばない選択肢ですよね。
でも彼女は、
「このままロシアで
腐っているよりはマシだ」
と、その過酷な環境に飛び込んだんです。
親孝行へのリスペクト
さらに驚いたのは、
彼女がその月5万円の給料を
コツコツ貯めて、
お母さんを親孝行の旅行に
招待していた
ことです。
物価が高いドバイへ
何度も招待し、
僕と出会ったときは
タイのプーケットの五つ星ホテルへ
お母さんを招待。
プーケットへの飛行機代、
ホテル代、滞在費……
特に、
月収5万円の時代に関して言うと
間違いなく彼女の月収の数ヶ月分は
お母さんに使っていたはずです。
それを、全て
自分のお金でまかなっていた。
この話を聞いた時
僕は恥ずかしくなりました。
日本という恵まれた環境にいながら
「自分探し」なんて言って
フラフラしていた自分と、
生きるために国を出て
這い上がり、親孝行までしている彼女。
「この人はすごい。肝が据わっている」
心の底からリスペクトしました。
もし彼女が、ただの
「運が良くてドバイにいるお嬢様」
だったら、
僕は結婚していなかったかもしれません。
彼女もまた、
人生の岐路で厳しい
「決断」
をし、努力で運を引き寄せていた。
その「生き様」に惚れたんです。
🎓 【科学的根拠】運は待つものではなく「技術」である
ここまで僕の体験談を
話してきましたが、
「それは森さんが
特別だっただけでしょ?」
と思う方もいるかもしれません。
でも実は、
この「運と行動」の関係は
科学的にも証明されているんです。
計画的偶発性理論(プランド・ハップンスタンス)
スタンフォード大学の
ジョン・クランボルツ教授が提唱した
有名な理論があります。
「成功者のキャリアの80%は、
予期せぬ偶然(運)によって決まる」
でも、
ここで重要なのは続きです。
その偶然は、
ただ待っている人に
訪れるのではなく、
「好奇心・持続性・楽観性・冒険心
を持って行動し続けた人」
だけが、
偶然をチャンスに変えられる
というものです。
つまり、
運は魔法ではなく、
行動の統計的結果
なんですね。
あのハリウッドスターも「大工」だった
皆さんは、
ハリソン・フォード
を知っていますよね?
『スター・ウォーズ』のハン・ソロや
『インディ・ジョーンズ』で有名な
大スターです。
でも、
彼が30歳を過ぎても
全く芽が出ない
売れない俳優だったことは
ご存知でしょうか?
彼は生活のために
俳優業の傍ら、
「大工」
として働いていたんです。
ある日、
映画監督ジョージ・ルーカス
のオフィスで、
ドアの修理(大工仕事)を
頼まれました。
そこでたまたま、
当時オーディション中だった
『スター・ウォーズ』の
台本読みの相手役(代役)を
頼まれたんです。
ここで彼が、
「どうせ俺は大工だし……」
「もう俳優なんて諦めようかな」
と腐っていたら
今の彼は絶対にいませんでした。
彼は、
いつチャンスが来てもいいように
大工をしながらも
演技の腕を磨き続けていた。
つまり、
「準備」
ができていたんです。
その結果、
代役にもかかわらず
主役候補を食うほどの演技を見せつけ
監督に「こいつだ!」と
即決させました。
大工から一夜にして
銀幕のスターへ。
これを単なる「ラッキー」で
片付けちゃダメですよね。
「運がドアをノックした時
彼はいつでもドアを開ける
準備ができていた」
これが全てなんです。
もし彼が準備をしていなかったら、
運命の女神はそのまま
通り過ぎていたでしょう。
✨ 最後に:あなたの「受け入れ体制」は整っていますか?
僕のベトナムでの出会いも。
妻のドバイでの出稼ぎも。
ハリソン・フォードの大工仕事も。
全てに共通しているのは、
「運が来る前に
それを受け入れるための
『決断』と『準備』をしていた」
ということです。
運が良いとか悪いとか
嘆いている暇があったら。
まずは自分の足元を
見てみてください。
もし今、
あなたの目の前に
最高のチャンスが落ちてきたとして。
それを拾うためのスキルは
ありますか?
それに飛び込むための時間の余裕は
ありますか?
そして、
過去を断ち切って
新しい方へ進む「決断力」は
ありますか?
もし「まだない」と思うなら。
まずはそこからです。
「決断」とは
運を受け入れるための
「空のカップ」を用意すること
だと、僕は思っています。
カップが満杯だったり
そもそもカップを持っていなければ、
どれだけ幸運の雨が降っても
一滴も受け止めることはできません。
でも、
あなたが覚悟を決めて
「空のカップ」を空に向けて掲げれば。
そこには必ず
運が流れ込んできます。
僕も30歳手前まで
何者でもないただのサラリーマンでした。
吃音で悩み
人目を気にして生きてきました。
でも、
「自分で生きる」と決断し
準備を始めた瞬間から
運の流れが変わりました。
皆さんなら
絶対に大丈夫です。
まずは今日、
何か一つ、小さな「決断」を
してみてください。
その積み重ねが、
いつか必ず「運命の出会い」を
引き寄せてくれるはずです。
それでは、また。


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